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ゲノム医療 第3回
遺伝子とデータを使って、病気を予防・治療する社会

ゲノム医療はアルツハイマー病の
検査・治療の光明となり得るか

ヘルスケア・ウェルネス事業本部 飛田 弥咲 2020.05.29

アルツハイマー病治療薬への期待と現状

2019年10月下旬、Biogen(バイオジェン)とエーザイはアルツハイマー病の治療薬候補「アデュカヌマブ」をアメリカ食品医薬品局(FDA)に申請することを目指すと発表しました。今まで大手製薬企業がアルツハイマー病の治療薬を開発するものの、治験(臨床試験)の中止が相次いできました。今まで「認知症は不治の病」とまで言われていただけに、この発表に胸を躍らせた方も多いと思います。

アルツハイマー病の原因として考えられてきたのは、「アミロイドβ」というたんぱく質の脳内神経細胞周辺での蓄積や、同じく神経細胞内に存在する「タウ たんぱく質」の変異と中枢神経細胞内への凝集です。これまで「アデュカヌマブ」を含む治療薬の多くは、アミロイドβの除去や産生抑制をターゲットに開発が進められてきました。しかし、アミロイドβはアルツハイマー病発症の10~15年も前から脳内に蓄積し始める※1ことや、ヒトとマウスでは薬剤が効果を現す作用の仕組み(作用機序)が異なり、マウスを使った試験で明らかになった効果がヒトの臨床試験で再現が難しいことなどがあり、治療薬の完成までには至ってきませんでした。

今ではこの現状を踏まえ、アミロイドβ以外に着目し、神経細胞を保護したり神経細胞死や炎症を抑制したりするといったアプローチによる治療薬の研究が盛んに行われています。2019年時点のフェーズ3治験(治療薬の有効性や安全性を検証するための大規模な臨床試験)のうち約6割がアミロイドβやタウたんぱく質「以外」をターゲットにした治療薬です※2。アルツハイマー病の治療薬の戦略は、これまでの「アルツハイマー病の原因を取り除く」から、「脳の機能を高める/保護する」に遷移しつつあります(図1)。

図1

アルツハイマー病の治療薬戦略

出所:三菱総合研究所

遺伝子情報を活用したアルツハイマー病スクリーニング

アルツハイマー病の検査や治療に、ゲノム医療はどのように期待されているでしょうか。

前回のコラムでは、遺伝子編集技術の向上や遺伝子解析のコストの低減を背景に、希少疾患がん領域で、遺伝子解析を用いたスクリーニングや遺伝子治療などが盛んに行われていることを紹介しました。アルツハイマー病においても同様の傾向があり、特に遺伝子情報を用いたスクリーニングには効果が期待されています。

現在の認知症のスクリーニングは、質問紙を用いた認知機能検査や、CTやMRIなどによる画像検査、血液や脳髄液の検査などを通じて行われます※3。しかし、これらは理想的なスクリーニング方法ではありません。これらの検査は、認知機能が低下した症状が現れてからしか判断できないからです。アルツハイマー病の症状が現れる10~15年前から脳内にアミロイドβが蓄積されるため、治療の効果を最大化するためには、症状が出現する「前に」スクリーニングして治療を開始することが理想です。また画像検査は高額で、脳髄液検査は高侵襲(身体への負担や影響が大)です。今後さらに患者数が増えることを考えると低コスト・低侵襲のスクリーニングが望まれます。

このような背景からますます注目されているのは、遺伝子情報、特に血中マイクロRNAとアルツハイマー病の関連に着目した研究です。もし血中マイクロRNA中のバイオマーカーが確立されたなら、採血によって簡単、安価で大規模なスクリーニング検査が可能になり、今認知機能が低下していなくても早期発見が可能になるでしょう。現在、アルツハイマー病のバイオマーカーとなりうる因子として、血中マイクロRNA中に含まれる脳の酸化ストレス関連因子や細胞周期の調整因子などが報告※4されていて、今後の検査方法の確立が期待されます(図2)。

図2

アルツハイマー病の検査方法の変遷

出所:三菱総合研究所

また国立長寿医療研究センターでは、血中マイクロRNAを基に認知症の発症リスク予測モデルを構築※5しました。このように、スクリーニングだけでなくリスク予測まで技術を展開できる可能性が明らかになっています。

血中マイクロRNAなどを利用したバイオマーカー技術の発展は、治療薬開発にも大きな影響を与えると思われます。現在の認知症治療薬の臨床試験では、認知機能の「改善」を目標にしており、例えばがんのように生体バイオマーカーや腫瘍の摘出といった病態を評価する基準がありません。バイオマーカー技術が進展すると、バイオマーカーの増減で神経障害を評価できるようになり、新たな治療や研究につながるでしょう。また、バイオマーカーが確立されると、発症前の対象者選定や短期間での効果検証ができる可能性が広がり、治療法開発の追い風になると考えられます。

アルツハイマー病の遺伝子治療の可能性

ゲノム医療の発展により、「アデュカヌマブ」をはじめとする従来のアルツハイマー病治療薬とは異なるアプローチによる遺伝子治療の可能性も見えてきました。

理化学研究所では、ゲノム編集技術を駆使してマウスの特定の遺伝子領域を欠失させた結果、アミロイドβの蓄積が抑制されることを明らかにしました※6。また、アルツハイマー病の発症リスクを減少させる「APOE2」を用いた遺伝子治療のフェーズ1治験が実施されています※7。Biogen(バイオジェン)とSangamo Therapeutics(サンガモ・セラピューティクス)は連携してアルツハイマー病を含む遺伝子治療開発をすると発表※8しており、今後さらにアルツハイマー病の遺伝子治療の推進が期待されます。

一方で懸念や課題もあります。アルツハイマー病は、海馬や大脳皮質といった脳の広範囲に神経変性が起こっていたり、アミロイドβの関連因子はアミロイドβの産生以外の脳機能も担っていたりするため、特定の遺伝子への治療が上手くいかない可能性が示唆されています。さらに、遺伝子治療のためには遺伝物質を細胞に運搬するウイルスベクターを開発する必要があり、その開発コストと安全性確立も課題です。加えて、遺伝子治療は一般に高額であり、世界的に患者数が多いアルツハイマー病において、医療費や保険制度への影響も並行して検討する必要があります。

ゲノム医療が拓くアルツハイマー病の未来

これまで見てきたように、ゲノム医療の発展はアルツハイマー病のスクリーニングに大きな影響を与えており、近い将来には安価で簡便に検査が可能になると予想されます。さらに、バイオマーカーの確立は治療薬開発にパラダイムシフトを起こす可能性を秘めており、アルツハイマー病の遺伝子治療は今後ますます盛んに研究されるでしょう。

しかし、ゲノム医療がもたらすスクリーニングや治療法開発の成果を誰もが享受できるようになるには、まだ時間がかかりそうです。さらに、スクリーニング技術の発達により早期診断が実現しても、根本治療法がなければ認知症患者が戸惑う状況が生み出されるため、そういった方への支援も必要です。

そのためこれらの開発と並行して、認知症になっても安心して暮らせる社会づくりが必要です。社会づくりの具体例としては、医療機関や行政などステークホルダーが連携して認知症の方をケアできる体制を構築したり、認知症の方の就労支援や意見を社会に反映できる機会を設けたりするなどが挙げられます。東京都町田市や福岡県大牟田市では、認知症の方と行政が一体となり認知症にやさしいまちづくりをしており、今後の参考になります。

世界の認知症患者数は2030年には7470万人に増加する※9と予測されます。ゲノム医療をはじめとする最新の技術によって、認知症を症状が現れる前から診断して治療できるだけでなく、認知症になっても安心して暮らせる社会が実現することを願ってやみません。

  • ※1:Clifford R Jack Jr et at al., Tracking pathophysiological processes in Alzheimer's disease: an updated hypothetical model of dynamic biomarkers, The Lancet Neurology 12(2) 207-216, 2013
  • ※2:Jeffrey Cummings et al., Alzheimer‘s disease drug development pipeline: 2019, Alzheimer’s & Dementia, 272-293, 2019
  • ※3:日本神経学会『認知症疾患診療ガイドライン2017』(医学書院、2017年)
  • ※4:Swarbrick, S., Wragg, N., Ghosh, S. et al. Systematic Review of miRNA as Biomarkers in Alzheimer’s Disease. Mol Neurobiol 56, 6156–6167, 2019
  • ※5:国立研究開発法人日本医療研究開発機構プレスリリース「血中マイクロRNAを用いた認知症発症リスク予測モデルの構築」
    (2019年2月25日)
    https://www.amed.go.jp/news/release_20190225-03.html(閲覧日:2020年4月21日)
  • ※6:理化学研究所プレスリリース「ゲノム編集でアルツハイマー病を予防する-核酸医薬への応用可能性を拓く-」(2018年5月4日)
    https://www.riken.jp/press/2018/20180504_2/index.html(閲覧日:2020年4月21日)
  • ※7:ClinicalTrials.gov "Gene Therapy for APOE4 Homozygote of Alzheimer's Disease" https://clinicaltrials.gov/ct2/show/NCT03634007(閲覧日:2020年4月21日)
  • ※8:Biogen News Releases "BIOGEN AND SANGAMO ANNOUNCE GLOBAL COLLABORATION TO DEVELOP GENE REGULATION THERAPIES FOR ALZHEIMER’S, PARKINSON’S, NEUROMUSCULAR, AND OTHER NEUROLOGICAL DISEASES", February 27, 2020 http://investors.biogen.com/news-releases/news-release-details/biogen-and-sangamo-announce-global-collaboration-develop-gene(閲覧日:2020年4月21日)
  • ※9:Alzheimer’s Disease International "World Alzheimer Report 2015"
    https://www.alz.co.uk/research/world-report-2015(閲覧日:2020年4月21日)
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