この図では以下の3点に着目していただきたい。
第一は、新幹線開業後の数年間である。1982年に大宮~新潟間、1985年に上野~大宮間が開業し、首都圏との交通条件は大幅に改善したが、佐渡への観光客は大きく変化していない。新幹線が開業したというだけでは観光客は増加しない、すなわち新幹線は観光振興にとって十分条件とはなっていない。
第二は、1989年以降の数年間である。新幹線が開業しただけでは観光客が増加しないことを踏まえ、地元の佐渡旅館組合と首都圏から新潟までの足を担当するJR東日本、新潟駅から新潟港までの足を担当する新潟交通、新潟港から佐渡までの足を担当する佐渡汽船の四者が連携し、「佐渡冬紀行 1泊2日24,800円」という良質で廉価な観光商品を開発した。JR東日本では冬場の越後湯沢~新潟間の輸送効率向上が課題であったなど、いずれの関係主体も冬場の観光客数増加が悲願であり、商品開発にも力が入っていた。この商品の開発により、1989年12月~1990年3月における佐渡の観光客は、前年比で20%以上増加した。1991年の観光客は120万人を突破したが、「冬紀行が夏場にリピーターを呼び込んだ」と佐渡観光協会では分析している。
この商品開発成功の最大の要因は、上越新幹線の開業による時間短縮により、首都圏を対象とした1泊2日の商品開発を行えるようになったことである。社団法人日本観光協会によると、国内宿泊観光旅行の約5割は1泊2日である。新幹線の開業により交通条件が変化した場合、まず着目すべきは、首都圏をはじめとする大市場からの1泊2日圏の拡大状況だ。上越新幹線の開業により、佐渡は首都圏からの1泊2日圏内に入ってきた。すなわち、新幹線は佐渡の観光振興にとっての条件を整えた。それに加えて、地元関係者が一体となって優れた観光商品を開発し、初めて観光振興(地域振興)が実現した。
第三は、観光客が1991年度をピークに年々漸減傾向にあり、直近ではほぼ商品開発前の水準に戻っていることである。確かに佐渡冬紀行は成功したが、その後は山形新幹線、秋田新幹線、長野新幹線等新たな路線が開業し、競争相手も増えてきた。冬紀行も「佐渡」の他に「信州」「会津」「山形・庄内」などが新たに企画・販売されている。成功を収めるには大変な努力が必要であるが、成功を収めても安穏とはしていられない。一度成功を収め、一段高いレベルに到達した後も、その水準を維持し、さらに発展させていくためには、リピーターを確保するなど、より一層の創意工夫を継続的に実施していくことが必要だ。
この事例で示すように、新幹線が整備されるだけでは地域は発展しない。沿線地域では、新幹線を活かした受け皿整備を行い、新幹線の効果を最大限かつ継続的に引き出す努力が求められる。