マンスリーレビュー

2022年2月号特集1経済・社会・技術

「共領域」なくしてイノベーションは結実しない

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2022.2.1

専務執行役員長澤 光太郎

研究理事亀井 信一

POINT

  • イノベーションは社会実装で結実し、その鍵は「共領域」の形成にある。
  • 欧米では国として共領域形成のシステムを模索し戦略展開している。
  • 若者や大学発ベンチャーなどのコレクティブインパクトが日本の希望。

コロナ禍が教えてくれたこと

コロナ禍も3年目を迎えた。日本は奇跡的に新型コロナウイルス感染症による死者は少ないものの、これまでの対応は決して十分ではない。いざというときに、給付金の交付手続きや行政と医療機関との連携などがうまく機能しなかった。

改めて気付かされたのは、過去30年の日本で技術革新は進み、イノベーションが生まれる環境も整備されてきたものの、社会への実装は思ったほど進んでいなかったという事実である。

MRIマンスリーレビューの2020年12月号※1でも指摘したとおり、イノベーションは社会に実装して初めて結実させることができる。これがより良い社会の実現にも繋がる。日本の問題の本質は、イノベーションや先端技術そのものよりも、それを社会に実装し、社会の変革に結びつける部分にあるのではないか。

「イノベーションから社会実装」は一連のプロセスであり、天才的な発明発見や先端技術だけで実現するものではない。既存の技術をうまく組み合わせ、技術以外の社会システムなどの要素も織り込み、長い場合で数十年の年月を経ることで、「大きな果実」としてより良い社会の実現が達成されるのである。そのためには、問題の複雑さとそれぞれの因果関係を把握することから始めて、多種多様なソリューションの考案、それを実装・活用するインフラの構築に至るまで、幅広い賛同者や参加者を巻き込み、協調して事に当たるメカニズムが必要となる。

分断が阻む日本のイノベーションと社会変革

多くの賛同者や参加者を巻き込み社会実装への道を拓くためには、第1に皆に共感してもらえるビジョンや目標の提示が求められる。次に、この将来のあるべき姿を実現するために必要な知や機能を構造化し、社会に実装させるために前に進むというのが王道である。

しかし、このようにバックキャスティング的に物事を考え実行しようとすると、多くの場合、日本では縦割り組織や社会の分断に阻まれる。

よく引き合いに出されるのが、幼保一元化の問題である。より多くの人が参画できる社会を実現するには、待機児童が多い保育園と定員割れの多い幼稚園を統合すれば、需給バランスが取れ社会課題が解決すると思われる。全体的な育児負担が軽減されて、親の世代が働きやすくなるためだ。実際には、保育園は厚生労働省、幼稚園は文部科学省の管轄であり、携わる人材の資格も双方で別物であり、そう簡単にはいかない。

中でも、今回のコロナ禍で白日のもとにさらされたのは、国のデジタル化、なかんずく行政のデジタル化の遅れであった。2020年に国連が発表した世界電子政府ランキングで日本は、2年前より順位を下げて14位となってしまった。

ここでも主因は、縦割りと分断による「サイロ化」である。実際、国や地方公共団体ごとに情報システムがバラバラであり、簡単には連携ができそうにない。こうしたサイロ化は、至るところに存在する。

「共領域」という新戦略

バックキャスティング思考により、望ましい未来に向かうためには、従前の縦割りによる分断から「共創」に向かうことが大前提となる。そのためには、人と人、組織と組織、場合によっては人と組織の間の協力が必要であり、そこに何らかの「紐帯(ちゅうたい)」を形成することが必須である(図)。
[図] 「共領域」の概念図
[図] 「共領域」の概念図
出所:三菱総合研究所
辞書によると、「紐帯」とは、ひもや帯のように2つのものを結びつけて、繋がりをもたせる、大切なものとされる。しかし、これを機能させるためには、単に結びつけるだけでは不十分である。信頼や相互承認に基づく能動的なものであることに加え、参加者や参画機関が自己有用感、すなわち自分が周りの役に立っていると感じることが必要である。そうでなければ、自律的に分散したもの同士が協調するという状況(共創)は成立しない。

当社は、この紐帯を「共領域」と名付けた。この共領域を形成することにより社会実装や社会の活性化、より良い社会を実現しようという考え方が、当社が唱える新戦略の姿である。

分断を突破するポイント

では具体的にどうすれば、共領域を形成することによって分断を突破できるのであろうか。実際には、個別に事情が異なり、ケース・バイ・ケースで議論する必要がある。ここでは一例として、国の研究開発プロジェクトについて考えてみる。

グローバルな競争が激化する中で、多くの企業は、日本の社会実装力がスケール、スピードの点で劣後していることに大きな危機感を覚えている。個々の企業やその他の組織による個別の取り組みだけでは限界がある。その中で、大きな役割を担ってきたのが政府研究開発プロジェクト、いわゆる「国プロ」である。

ところが、この国プロは、本当に社会実装に繋がっていたか疑問である。経済産業省の所管プロジェクトに関してみると、約25%がその後、当初目的を達成できないか事業化に至らず中止・中断になっている。しかも、41%の案件が研究開発事業の開始時に事業目標(アウトカム)を設定していなかった。その中身を見ても、目標を設定したのは、事業部門(23%)よりも研究開発部門(52%)の方が多かった。27%の機関が、想定ユーザーや事業部門などと意見交換を行っていないとも報告されている※2

企業自体も例外ではなく、常に分断の誘因に満ちている。上記の研究と事業との間のみならず、企画・製造・販売・経営がうまく繋がっていない。関係会社といえども企業間のデータが共有されていないことも多い。

このまま手をこまぬいては分断のままである。何もしなければ繋がらないものを何とか繋がないかぎり、絶対にイノベーションは結実しない。

ではどうすれば、この分断の状況を打破できるか。物事を動かすのは人間、すなわち人材である。何よりも、産官学それぞれの立場で視野の広い次世代リーダーやイノベーターを育成することが共領域形成のポイントとなる。例えば、産官学の人材流動の垣根を撤去し、共領域を通して、研究、技術開発・実証、社会実装までをシームレスに経験するための環境を整え、これにアクセスできる人を増やすことではないか。

海外の先行的な事例

この方法は、言うはやすく実行は難しい。果たして、日本で本当に可能なのであろうか。その問いに答える前に海外の事例を見ておきたい。

社会実装に向けた研究開発システムの典型として、よく米国の国防総省・国防高等研究計画局(DARPA)が挙げられる。いち早くインターネットの原型や衛星利用測位システム(GPS)を開発したことで知られる。ここのプログラムマネジャー(PM)は、企業や政府、大学などで経験を積んだトップレベル人材を通年採用している。その際、専門知識のみならず種々のステークホルダーとのコミュニケーション能力を重視しており、人の育成と流動を通じた共領域形成に繋げている。

こうした共領域形成は、ドイツのイノベーションに大きく寄与しているフラウンホーファー研究機構でも見られる。所属する研究員は、プロジェクトの遂行にあたり企業との付き合いを深め、産業界からも歓迎される人材に成長する。多くが産業界に移ることにより、ネットワークの拡大にも寄与する。ここが人の流動のエンジンとなり各界を繋げる人材を輩出している。

さらに、欧州のHorizon Europeと呼ばれるプログラムでは、先端研究、社会課題解決、市場創出の3要素を連接・包摂するために欧州連合(EU)が多額の予算をつぎ込んでいる。まさに、欧州全体で共領域形成を狙っている。

いずれにおいても、社会実装を実現するために、研究者やマネジャーが社会と向き合い、社会とシームレスに結びつき共領域形成の核となるような工夫が織り込まれている。

日本における希望の光

共領域形成のポイントは、社会と繋がった複眼的な視点をもつ次世代リーダーやイノベーターを育成することである。では、「内向き」で「特殊」な国といわれる日本で共領域形成は可能だろうか。

希望の1つは、若者の考え方が共領域形成に向くように変化してきたことである。若い世代は自己肯定感をもてていない一方で、社会貢献意識は高い。日本の若者は社会貢献への「やりがい」と他者との繋がりからの「信頼」を重視している。

さらに、 ビジョンを共有した地域やコミュニティが起点となり、社会の仕組みを変えようとする取り組みが注目されつつあることも、日本にとって追い風である。ここでは、社会貢献へのやりがいや他者との繋がりからの信頼が重視される。若者にとってはチャンスなのである。詳しくは、特集2「日本の価値観の変化と社会実装論」をみていただきたい。

近年、日本の大学発の新たなスタートアップなどが次々と出てきている(表)。これは、2番目の希望である。
[表] 大学発ベンチャー企業数の日米比較
[表] 大学発ベンチャー企業数の日米比較
出所:経済産業省「令和2年度産業技術調査(大学発ベンチャー実態等調査)報告書」、AUTM "AUTM 2020 Licensing Activity Survey" に基づき三菱総合研究所作成
確かに先端技術の進展は目覚ましく、多くの分野で米中に立ち遅れていることは否定できない。しかし、それが直ちにイノベーションや社会実装、社会改革の障害になるとはかぎらない。「イノベーションから社会実装」は一連のプロセスである。そのためには、幅広い賛同者・参加者を巻き込み協調して事に当たるメカニズムが必要となる。

このような取り組みの1つが「コレクティブインパクト」である。異なる価値観をもつ者同士が課題認識を共有し同一の目的に向かうことで、結果として大きなインパクトをもたらすという思想は、まさに共領域の考え方そのものである。

コレクティブインパクトの大前提は、課題認識を共有しうる多様な参画者の存在であり、スタートアップやNPOはその有力な構成要素である。したがって、スタートアップが次々と生まれている状況は、日本の希望に繋がるのである。これについては、特集3「社会実装の加速には真の多様性を」に詳しく示した。

共領域なくしてイノベーションは結実しない。共領域形成の視点からイノベーションを見詰め直すと、「勝ち筋」が見えてくる。

※1:2020年12月号特集「イノベーションは社会実装で完結する」

※2:経済産業省「令和2年度産業技術調査事業(研究開発事業終了後の実用化状況等に関する追跡調査・追跡評価)報告書」。