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スキルベースで人的資本投資を推進する

スキルと仕事の可視化で進化する日本の人材戦略
2024.7.1
西澤 和也

人材・キャリア事業本部西澤和也

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INSIGHT

人への投資を実現するためのキーワードとしてスキルに着目し、人材戦略におけるスキル活用場面と方法を紹介する。その上で、スキルに基づく人的資本経営を実現していくポイントは「スキルの可視化」と「仕事の可視化」両輪で実行することにあると指摘する。
 

「スキル」を起点に人材戦略を実現する

近年、さまざまな角度から学びや転職を円滑に実施しキャリアアップを支援する行政施策が打ち出されてきた。新しい資本主義実現会議が発表した「三位一体の労働市場改革」では、①リスキリングによる能力向上、②職務に応じた適正なスキルの評価、③自らの選択による主体的な労働移動の円滑化を掲げ、ジョブ型人事制度の導入などの変革を通じた「人的資本投資」拡充を目指している。その意味で、「人的資本投資」という言葉は社会にかなり定着し、向かうべき方向性には一定の合意が得られつつある。

しかし、人的資本投資として具体的に他社は何をしているのか、自社は何をすればよいのかと疑問に感じている企業は多いのではないだろうか。日本において実効性のある人的資本投資を推進していくには、この疑問に明確に回答していく必要がある。

ここで注目したいのは「スキルベース」の考え方である。

企業の持続的な成長のために、人的資本経営は、経営戦略と人材戦略の連動の下で、AsIs-ToBeギャップ(目指すべき姿と現状とのギャップ)を埋めることを求められる。かみ砕くと、経営戦略を定め、それに基づく人材戦略を立て、対応した人材ポートフォリオを組んだ上で、不足する人材を社外から獲得する(=採用する)、ないし社内で育成することになる。

これらを実行する上での難しさは幾つもあるが、1つは事業に求められる人材をいかに表現し、採用・育成するのかの具体化だ。例えば「生成AIの技術を事業に組み込みサービス化できる人材を100人増やす」という目標を立てたとき、果たして該当する人材を採用・育成できるだろうか。

そこで「スキル」に着目してみたい。生成AIの技術を事業に組み込みサービス化するために必要なスキルは何か。例えば、生成AIの技術特性を理解して既存サービスの課題解決に結びつけていくアイディエーションスキル、そのアイデアをシステムに落とし込み要件定義をするスキル、実際にシステムを構築し生成AI技術を実装するためのAPI(Application Programming Interface)を活用するスキルなど、求められるスキルを幾つかの要素に分解できる。デカルトの「困難は分解せよ」の教えの通り、個別のスキルに落とし込み「スキルの可視化」ができれば、自社において該当する人材の現状把握も、その育成やさらなる採用についても具体的な策を講じることができる(図1)。「生成AIの技術を事業に組み込みサービス化できる人材を100人増やす」ために何をすればいいかわからなくても、各スキルを持つ人材の必要数を割り出し、育成・確保目標を立てることができれば、実行に移すことが可能となる。
図1 経営戦略と人材戦略の連動におけるスキルの役割
経営戦略と人材戦略の連動におけるスキルの役割
三菱総合研究所作成
必ずしも人的資本経営の文脈のみではないが、スキルの明確化を起点に人事制度や運用を見直す「人事のスキルベース化」は現在世界的にも注目を浴びている。具体的にスキルを人事の現場でどのように用いているのか、米国における採用・育成動向の例を幾つか紹介しよう。

①スキルベースの採用

従来、大学などで取得した学位・学歴は、採用時の目安として非常に重要視されてきた。日本でも採用要項などで「応募要件:大卒以上」のような記載はしばしばみられる。シグナリング理論※1に基づき、高い能力を測る代理変数として「学位・学歴」を用いてきたのだ。しかし、近年は具体的なスキルを求人の要件として記載することで、学位ではなくスキルを基に人材を採用する動きがある。米国では2014年から2023年にかけて学位を記載しない求人が約4倍に増加しており、大卒要件を外して募集した職に占める学位保持者の割合は産業別にばらつきがあるものの、最大で39%減少している(図2)。これにより、多様な職場や仕事に適合したスキルを持つ人材の確保が可能になる。特に、専門・技術職という不足分野の人材採用にも有効であると指摘され、例えば建設管理者やウェブ開発者などについては、学位は持たずともスキルさえあれば採用の門戸が開かれつつある※2、3
図2 大卒要件を外した職における学位保持者シェアの平均減少率(産業別)
大卒要件を外した職における学位保持者シェアの平均減少率(産業別)
出所:“Skills-Based Hiring: The Long Road from Pronouncements to Practice.”, P.13 Figure 7 Sigelman, M.,Fuller,J., Martin,A., 2024, Published by Burning Glass Institute.を基に三菱総合研究所作成

②スキルベースの育成

育成面でもスキルへの着目が進んでいる。大手小売のウォルマートでは、スキルに着目した学習コースを設置。4カ月程度の短い学習証明書※4を発行の上、成長部門の該当職の仕事へ就業を促進している※5。例えば、サイバーセキュリティアナリストに就く際、これまでは関連する学位の取得を要求していたが、数カ月の学習を経た者から当該職に就けるようにしている※6。人手不足下において、スキルベースの育成を導入する意味合いは非常に大きく、「よい人がいない」というミスマッチを埋める好事例と言えるだろう。

スキルと仕事、2つの可視化がカギ

こうしたスキルベースの人事的な取り組みが日本で行われていないかと言うとそんなことはない。従来から製造業などで緻密なスキル管理をしている企業もあれば、近年タレントマネジメントシステムなどを活用し、従業員の保持するスキルの可視化を始めている企業もある。

一方で、必ずしも日本企業でスキルベースの人事がうまく進んでいるわけではない。「自分はどのようなスキルを身につけるべきかわからない」「資格取得を通じてスキルを身につけたとしても業務に活かすことができていない」などの声が挙がっているように、既存従業員のスキル可視化にとどまっている例は多い。前述のようなAI技術に関連した新しい職務に必要なスキルを可視化したり、そのスキルを習得した人材が成長部門に移って活躍したりといった具体的な活用まで至っているとは言えないのである。

ではスキルを企業内で有効にワークさせるためには何が必要か。

結論として、スキルを可視化することに加え、当該スキルを活用できる仕事(タスクなど)※7も可視化し、スキルと具体的な仕事の連接を図る必要がある。つまり、身につけたスキルをどんな仕事でどのように活用できるのかも併せて整理して可視化することが求められる。

この点について、リスキリングの定義に関する議論は示唆深い。経済産業省 「第2回デジタル時代の人材政策に関する検討会(2021年2月26日)」において、リスキリングとは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」※8と指摘されている。つまり新しい職業であれ今の職業であれ、実施すべき「仕事」を明確化することが前提であり、その上で必要なスキルを可視化し、その獲得を目指すのがリスキリングの在り方であると言えよう。

その意味で、いわゆるジョブ型雇用の推進とスキルベースの人事は整合的に進められることが望ましい。「仕事(タスクなど)」と「スキル」をそれぞれ明らかにした上で、相互に連動させていくことが期待される。例えば広報マネージャーであれば、広報の効果測定や戦略立案のためのデータ分析のように、業務内容に対し必要なスキル(マーケティング知識やデータ分析スキル)を特定してはじめて、業務で活用することができる(図3)。スキルの可視化と同時に、仕事の言語化が必要とされるだろう。
図3 仕事とスキルの可視化によるリスキリングの促進(イメージ)
仕事とスキルの可視化によるリスキリングの促進(イメージ)
出所:独立行政法人情報処理推進機構「デジタルスキル標準 ver1.0」共通スキルリスト 学習項目例一覧を基に三菱総合研究所作成
仕事とスキルの可視化によるリスキリングの促進(イメージ)
出所:独立行政法人情報処理推進機構「デジタルスキル標準 ver1.0」共通スキルリスト 学習項目例一覧を基に三菱総合研究所作成
人的資本経営、リスキリング、ジョブ型雇用などさまざまなキーワードが人材分野の政策として掲げられているが、これらは必ずしも相互に結びついていない。本インサイトでは、人的資本経営がワークするためには、スキルに着目したスキルベースの人事によるリスキリング(や採用)が必要であること、またその際にはいわゆるジョブ型雇用で求められている職務の可視化が不可欠であることを指摘した。個々の歯車をうまくかみ合わせ、より効果的な「人への投資」が進んでいくことを期待したい。

※1:労働市場において、企業は求職者の生産性や能力を容易に把握できないことから、求職者の示す情報(=シグナル)を生産性や能力の代理指標として用いて選抜(=スクリーニング)すると考える理論。これまで多くの場合、学位や学歴は代表的なシグナルと捉えられてきた。

※2:“Skills-Based Hiring: The Long Road from Pronouncements to Practice.”, Sigelman, M., Fuller, J., Martin, A., The Burning Glass Institute, 2024
https://www.hbs.edu/managing-the-future-of-work/Documents/research/Skills-Based%20Hiring.pdf(閲覧日:2024年5月31日)。

※3:“The Emerging Degree Reset”, The Burning Glass Institute, 2022
https://www.hbs.edu/managing-the-future-of-work/Documents/research/emerging_degree_reset_020922.pdf(閲覧日:2024年5月31日)。

※4:フロントラインマネージャーのリーダーシップ、人材とビジネスのリーダーシップ、データサイエンス、ソフトウェア開発、プロジェクト管理などが例として挙げられている。

※5:“Walmart Accelerates Efforts To Provide Associates With Skills To Fill 100,000 In-Demand Jobs”, Walmart, Feb. 22, 2024
https://corporate.walmart.com/news/2024/02/22/walmart-accelerates-efforts-to-provide-associates-with-skills-to-fill-100000-in-demand-jobs(閲覧日:2024年5月31日)。

※6:“Walmart Plans To Remove College Degree Requirements From Hundreds Of Corporate Job Descriptions”, Forbes, Sep 28, 2023
https://www.forbes.com/sites/jenamcgregor/2023/09/28/walmart-plans-to-remove-college-degree-requirements-from-hundreds-of-its-corporate-job-descriptions(閲覧日:2024年5月31日)。

※7:ここでの仕事の可視化はいわゆる職務定義の作成を企図している。

※8:リクルートワークス研究所「第2回 デジタル時代の人材政策に関する検討会」(資料2-2 石原委員プレゼンテーション資料 P.6)
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_jinzai/pdf/002_02_02.pdf(閲覧日:2024年5月31日)。

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