食農

「食と農のミライ」はどうなる?
経済学視点で考える、食料安全保障と気候変動対策

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「食べる」という消費行為の特殊性

稲垣 三菱総合研究所(MRI)の食農分野社会課題解決検討チームは、2021年4月から、特に「国内の農業生産力の維持確保」や「グローバルのフードシステムの環境対応」といったテーマに注目して検討を続けてきています(FRONTLINE「食と農のミライ—変革に向けたMRIのアプローチ」参照)。その中で、「食料」という誰にとっても極めて身近なもの(経済学的にいえば「財」)であるが故の、難しさ、誤解や理解不足に日々、直面しています。

下川先生は、ご著書『食べる経済学』などで、消費財の中での「食料」という財の特殊性からひも解いて、農業や食料に関する本質的な課題に切り込んでいらっしゃいます。
下川 食が抱える課題は、食文化をはじめイデオロギー的に語られがちで、経済学とはうまくブリッジできていないのではないか、という問題意識がありました。経済学の観点では、食料品という「財」は人間が生きるための必需品であり、かつ体内に取り込む量には限度があるという特性から、いわゆる「需要」の有様や「需要と供給」の関係が、その他の「財」とは異なるのです。そのため他の「財」とは分析の視点を変えるべきであると解説したのが『食べる経済学』です。
下川准教授
下川 哲 早稲田大学政治経済学術院 准教授
稲垣 経済学的に需要供給の関係をとらえると、「食料は価格弾力性が低い」といわれます。要するに、「値段が高くなっても安くなっても、あまり需要量は変わらない」けれど、逆に「供給量が少し変わるだけで、価格が大きく変動する」という特性があります(コラム 食と農のミライ「食料価格はなぜあげられない」参照)。
下川 食料の価格弾力性が小さい根本的理由は、「人間の食べられる量が限られている」からです。お金持ちになって車を複数買うことはできますが、食べる量を何倍にも増やすことはできません。

そして、生産側に目を向けると、「工業製品のように、柔軟に生産量を変動させられない」のが農業です。植物工場などで採算がとれる食料はまだまだ限られています。生きるために最も必要な穀物は、広大な土地と水、それに生育のための時間を必要としており、どんなに技術が発展しても自然資源に大きく影響せざるを得ない、という特性があります。

食料自給率を高めることと、「安くておいしい食卓」は必ずしも両立しない

久保田 そうした財としての特性を前提とした上で、下川先生の「市場」の重要性、特に「国際的な取引によって、安くて豊かな食が実現できている」というご指摘と、「自給率100%を目指した場合にどのような食卓になるのか」という思考実験が印象的です。
下川 私はコーヒーが好きなのですが、国内自給できるものだけで食料を賄おうとしたら、コーヒーはほぼ飲めなくなるでしょう。チョコレートも、アボカドも、ごま、唐辛子、ハチミツなどもほぼ食べられなくなります。

自給率100%の実現にあたってそれ以上に課題となるのは、小麦や大豆などの輸入に依存している主要な穀物類を国内生産することができるのか、という点です。例えば、小麦は約650万トンの需要のうち、その8割を輸入していますが、これを国内で生産にするには、ざっと120万haの農地が必要になります。現状の農地が全体で約430万haですので、不可能ではないかもしれませんが、かなりチャレンジングなことです。

そもそも日本の気候は稲作に比べて小麦生産にあまり向いていない上に、小麦を作る分、さまざまな作物の作付けをあきらめなくてはならなくなるでしょう。結果として、穀物も野菜も、今よりも格段に高くなることが予想されます。
久保田 さらにいえば、それだけの犠牲をはらって小麦の自給率を100%近くに高めたとしても、食料安全保障的に本当に効果があるのかということをよく考える必要があると思います。

「日本国内で食料自給率ちょうど100%」というのは、ある意味、貿易のない江戸時代に戻るようなものですよね。干ばつなどの気候変動のリスクを考えると、実は、食料安全保障上のリスクはむしろ高まるのではないか、と思います。
久保田研究員
久保田孝英 ビジネスコンサルティング本部 産業戦略コンサルティンググループ
下川 現代の先進国において「安くておいしいものを食べられる」のは、地球規模での市場の発展とそれに伴う分業の進展があったから実現可能になったのは間違いありません。

例えば、オーストラリアと日本では、国民1人当たりの農地面積に480倍の開きがあります(牧草地などを除いて、作物を耕作している農地だけに限っても42倍の開きがある)。つまり、日本は主食穀物類を生産する、という点では、主要先進穀物輸出国との比較において、技術や努力では到底埋められないほどの自然条件の差があるわけです。基本的には日本では自給するよりも食料を輸入したほうが安く手に入るわけで、その分、日本が得意な工業製品などの生産に注力した方が無駄なく資源を活用でき、非常に大きな経済的なメリットを得られるわけです。

他方で、食料システムの国際的な分業が進展したことによって、「食料生産の現場を多くの人がリアリティをもって、とらえられない」という問題があるのではないか、と思います。例えば、農地整備を含め、食料生産には非常に時間がかかることが理解されていないのですね。「土に種をまけば植物は育つ」と思っている人もいますが、それだけで普段食べているようなおいしい農作物が育つわけではありません。

食料と農業の問題は何なのか?

稲垣 下川先生がご指摘されるように日本の農業生産基盤と農業先進国のそれとは決定的な違いがありますよね。その中で、昨今のような地政学的なリスクが増していく時代環境で、食料安全保障のために、ある程度の財政負担を伴いながらも一定の国内農業生産を維持していくことは、避けられないことだと思います。

一方で、日本の財政状況を見たときに、農業に対する財政支出をどんどん増やしていけばいい、という話でもない。もちろん、食料のことですから、本当に必要なことは何よりも優先してやるべき、ということはあるかもしれない。しかし、先ほどの小麦の例のように、何でもいいから自給率をあげよ、という話でもない。どのように農業生産を守っていくか、その優先順位付けが重要だと思っています。
稲垣本部長
稲垣公雄 食農分野担当本部長(全社連携事業推進本部)
下川 私が特に危惧しているのは、農業をやる「人」が日本にいなくなってしまうことです。この20年あまりですでに就農者は半減していますし、そのうち半数以上が70歳以上で、農水省の推計では、2040年には30万人くらいにまで減ってしまう予想です。
久保田 当社も同様の試算を実施しており、なりゆきでは2020年の107万経営体が、2050年には18万まで減少、農業生産額も半減すると推計しています。その推計に対し、「直近10年で農業経営体数は170万から107万まで減少しているものの、農業生産額は約9兆円を維持している。だから、これからも、農業経営体数が激減しても、農業生産は減少しないはずだ」との見方もあるようです。

しかし、当社が現場をつぶさに見ている状況からは、この10年間の農業経営体あたりの規模拡大が、今後25年間も継続できるか、というとかなり難しいのではないか、と見ています。
稲垣 農業者の所得向上という観点から考えても、農業経営体数の減少はむしろ、ある程度は進めていかなくてはならない、という面もあると思いますが、その中でも、国民1人当たりの農業生産額や生産量を維持すべきであり、そのためには、何よりも経営耕地面積を維持していくことが重要だと思っています。

スマート農業などを取り入れて、より少ないリソースで農業生産額を維持することを目指す必要もありますが、日本の土地利用型農業の生産性に関して最大の課題は、農地集積の問題です。そして、最後はもちろん人材の問題になります。

30年後のために、今から変革を

「食べる」視点だけではなく、「作る」視点から食を考える

下川 農地や生産性に関していえば、温暖湿潤気候では小麦よりもコメの生産が向いており、とりわけ連作障害が起きにくい水田はアジア・日本において最も生産性が高い方法です。コメの需要が減り、水田が使われなくなっている課題に対し、「小麦が足りなくなったら、また水田でコメを生産すればよい」という人がいますが、水田は数年間使わないと復活させるのは難しく、維持に比べ何十倍ものお金と時間がかかってしまいます。

だからこそ、『食べる経済学』で紹介している事例のように、手間をかけずに水田を保ちつつ、コメを作ることに固執しない活用法・仕組みが必要なのだと思います。
対談風景(下川准教授)
久保田 水田維持に関連して、飼料用米に対する補助金は本質的には「農地を維持していることに対する補助金」なのではないか、と見て取ることもできます。そうだとすると、反収(単位面積あたり収量)が高い必要はなくて、むしろ農地をたくさん利用していることが重要なのかもしれない。

時々、「農家や農協は手厚い保護を受けている」と批判する声も聞きますが、彼らは制度にあわせて経済合理的に行動しているだけです。彼らの取り組みがおかしいとしたら、それは制度設計や制度趣旨の伝達の問題であって、農家の問題とはいえないのではないでしょうか。
下川 現在の補助金制度は農家にとって非常に使いにくいものも多いようです。補助金の種類にもよりますが、例えば他者とシェアする機材は購入できないとか、申請以外の目的で使えるアタッチメントが付けられる機械はダメなど、制度ごとにかなり厳しい制約があります。そのような状態では、所有権を持つ複数の人がチームで農業大規模化をしようとしても、なかなか補助金を活用できません。

飼料用米に話を戻すと、飼料用米の生産振興にコストをかけるのは、水田の維持という目的であれば効率性が高い取り組みとはいえないと思います。日本の農業関連の補助金額が低いといわれますが、これは労働コストに対する低さであって、手間をかけずに農地維持ができるのであれば現状の財政支出でもやりようはいろいろあるはずなのです。
久保田 手間をかけないという観点は、農地維持の重要なポイントに思えます。飼料米を作るよりも手間がかからなければ、耕作放棄地問題も解決しやすいのではないでしょうか。

持続可能な食料システムに向けた多面的アプローチ

下川 先ほど、「安くておいしいものを食べられる社会」といいましたが、それは「食べる」側から見た最も望ましい社会です。一方で、「作る」側から見れば全く違った社会の考え方もあると思います。「生産コストと環境負荷が低い食品を、できるだけ高く買ってくれる」という社会です。
山本 あまりよく考えずに日々の「食べる」の視点だけで意思決定をしていると、「作る」側の状況が全く見えていない消費になっている、ということですね。さらにいえば、現状の環境負荷の大きい農業を続けている限り、現在生きているわれわれの「食べる」という消費行動が、将来世代の豊かな食生活を棄損している可能性がある、ということかもしれませんね。
山本研究員
山本奈々絵 政策・経済センター 兼 ビジネスコンサルティング本部 産業戦略コンサルティンググループ
下川 社会にとって最も望ましい「食べる」の意味合いは、社会を構成する人々の立場や視点によって変わります。社会全体として、どのような「食べる」を実現しようとするかで、必要とされる食料市場の仕組みも異なり、具現化される社会も異なってくるのです。
山本 私たちは「食料システム自体が、気候変動に及ぼす影響が大きい」とする提言をまとめ、人為的に排出される温室効果ガス(GHG)は食料由来の比率が高く、とりわけ畜産牛による環境負荷が高いことを示しました。

ご著書でも牛丼を食べるとどれだけ環境負荷があるのかの例を紹介されていましたが、技術革新と並行して、環境再生型農業や牛のゲップ削減などの技術を取り入れた食料を「消費者が選ぶ」といった両面のアプローチが気候変動対策には欠かせないと考えています。
下川 食による気候変動対策を考える際は、それが地球全体のためなのか、日本のためなのかを分けて考えるべきです。日本では牛肉の7割が輸入なので、消費削減しても日本のGHG排出量を削減する効果は大きくありません。

また、日本は水田、畜産、畑作の順にGHG排出量が高い一方、世界全体では畜産、畑作が大多数を占め、水田のGHG排出はごくわずかです。世界と日本は別という視点で考えないと、効率の悪い対策になりかねません。
山本 農水省によれば、日本全体のGHG排出量のうち農業生産由来のものは4%と報告されています。しかし、当社の推計では、海外から輸入している食料の分を含めれば、9%相当となります。世界平均は13%といわれているので、さほど変わらない、ということになります。

さらに、加工や流通まで含めたフードシステム全体で見れば、人類活動の約3割を占めるといわれています。その意味では、世界各地から原料となる食材を輸入している食品メーカーや商社と一緒に、食料・農業の環境負荷低減を考えていきたいです。
下川 労力をかけずに水田を維持する方法の追求や、水田の環境負荷低減に関する研究は、日本が世界に先駆けて行うべきです。なぜなら、アメリカやオーストラリア、フランスなど、世界の多くの農業先進国は小麦(つまり畑作)を主戦場としていて、コメを中心にしている国がないからです。

以前、水田に対するカーボンクレジットの動きがないか、イタリアのEU専門家委員に尋ねたことがあったのですが、「これまで検討したこともない」と。欧州連合(EU)有数のコメ生産地であるはずのイタリアですらそんな状態であり、水田の環境負荷低減について、積極的に取り組める技術や余裕があるのは日本か中国くらいしかないのではないでしょうか。
稲垣 最後に、もう一つ、重要な問題として、消費者意識の問題があります。「みどりの食料システム戦略」(みどり戦略)では有機農業の拡大なども目標に設定されていますが、食料消費・生産に関する気候変動に対して、まだまだ日本の消費者の意識が成熟していないように見受けられます。
山本 当社の行っている調査でも、この分野の環境対策などは、「政府や行政がしっかりやる必要がある」という意見の方が強くて、まだまだ、自分事化されていないのが実態のようです。エシカル消費層をもっと増やしていくためには、地道に啓蒙・啓発活動をしていくしかないのでしょうか。
下川 もちろん、消費者を地道に啓発していくことは重要です。ただ、「牛肉の消費量を半減させたい」と方針を設定したとしても、実際に減らす人は1割程度にしかならないのではないでしょうか。だから培養肉や植物肉などの技術革新が生まれるわけですし、そこへの期待も大きいわけです。

しかし、行動を変えられない人間に合わせて技術を高度化しても、今度はその技術に対して反発が起きて技術が持つポテンシャルを発揮できない、ということも起こる。遺伝子組み換えやゲノム編集は最たる例ですよね。行動変容も技術革新もイヤという人間のわがままに振り回されているのです。
山本 そう考えると、行動経済学的なアプローチなども含めて、いろいろなことを複合的に、戦略的に考えていくことが重要になるのでしょうね。

日本に比べると、EUの一部の国、ドイツなどでは、環境対策面を中心にエシカル消費が進んでいるようにも見受けられます。日本との差はどんな点なのでしょうか?
下川 EUは政策により世の中の仕組みを急激に大きく変える点かもしれません。最近、イギリスで突然パンに含まれる塩分を一斉に減らすという「かくれ減塩政策」が実施されましたが、反発も起きないどころか、そもそも国民が気付いていないともいわれています(笑)。マインドセットの変化を待つだけでは、いつまでたっても行動変容は実現しません。
山本 人の意識をドラスチックに変えられないのなら、気付かないうちに変化・選択してしまう状態を作り出すのも手かもしれませんね。
下川 ひとつの対策ですべてを解決しようとするから無理が生じるわけで、①啓発により人の知識と行動を変える → ②技術革新で環境負荷を減らす → ③さらなる行動変容を生む仕組みや制度を作る、のセットを積み重ねていくことで、初めて食による環境負荷軽減が実現します。日本独自の状況を理解した上で、多方面からのアプローチを続けることが大切ですし、皆さんにはその解決策につながる提言を期待しています。
全員

PROFILEプロフィール

メンバー

  • 下川 哲
    下川 哲
    早稲田大学政治経済学術院 准教授
    北海道大学農学部農業経済学科卒業後、米国コーネル大学にて応用経済学博士号(Ph.D.)を取得。香港科技大学社会科学部助教授、アジア経済研究所研究員を経て、2016年から現職。米国の農業経済学会誌「Journal of the Agricultural & Applied Economic Association」(JAAEA)や国内学術誌「農業経済研究」などの編集委員も務める。専門は農業経済学、開発経済学、食料政策。
    主な著作に、今回の対談の契機となった「食べる経済学 」(大和書房・2021年)のほか、「食から考える世界と未来 (1) ~ (10)」(日経新聞朝刊・2022年)や、「持続可能な食の実践に壁、人間の合理性の限界」(週刊東洋経済・2020年)などがある。

    下川研究室公式サイト:https://prj-foodecon.w.waseda.jp/


  • 食農分野担当本部長(全社連携事業推進本部)
    関西センター長、ものづくり事業革新センター長、経営イノベーション本部副本部長などを経て2021年より食農分野担当本部長。事業会社・金融機関などでのコンサルティング経験を農業分野の社会課題解決につなげるべく、農業分野の事業改革、事業創出に取り組んでいる。
  • 政策・経済センター 兼 ビジネスコンサルティング本部 産業戦略コンサルティンググループ
    入社以来、食農分野や国内の地域産業に関わる業務に従事。2児の母であり、子どもたちが大人になる20年以上先の未来に向けた持続可能性に興味を持つ。現在、食×サステナビリティをテーマに研究・提言活動を実施している。
  • ビジネスコンサルティング本部 産業戦略コンサルティンググループ
    入社以来、食農関連企業を含む民間企業の事業戦略・組織戦略・マーケティング戦略のコンサルティング業務に従事。毎年1カ月程度、ぶどう農家の実家からリモートワークを行い、就業時間の前後に農作業を手伝う。

所属・役職は当時のものです

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