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農産物の価格はなぜあげられない?(前編)

食料安全保障と農業のキホンの「キ」(6)

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2023.9.25

全社連携事業推進本部稲垣公雄

食と農のミライ
近年の農業生産資材コストの上昇を受けて、「農業の生産コストを適正に価格に反映させるべきだ」という議論がなされているのをご存じだろうか。生産コストの価格転嫁を制度化することは、本当に正しいことなのだろうか。本コラムでは、農産物の価格決定のメカニズムについて紹介したい。

生産コストの価格転嫁が議論されている背景

いよいよ来年度2024年度に、農業政策の大方針を規定する「食料・農業・農村基本法」が改正される。2023年9月11日、農水省の食料・農業・農村政策審議会は、基本法見直しに関する最終とりまとめを、野村哲郎農相(当時)に答申した。この中で、1つの論点が、近年上昇している農業生産資材(農機、肥料、農薬、飼料など)コストを農産物価格に転嫁する必要性を訴える「適正な価格形成に向けた仕組みの構築」という方針である※1

背景には、ロシア・ウクライナ紛争を契機に「エネルギーや肥料などの生産資材価格が上昇しているにもかかわらず、農産物の販売価格は上がらない」という状況がある。
図1 農業法人の生産コスト上昇と価格転嫁の状況認識
農業法人の生産コスト上昇と価格転嫁の状況認識
出所:日本農業法人協会 2022年12月「第2回 コスト高騰緊急アンケート結果」
https://hojin.or.jp/information/2022costup2/(閲覧日:2023年8月29日)
確かに図1にあるとおり、2022年11月~12月に日本農業法人協会が会員の農業法人向けに行った調査では、回答者の97.2%は「生産コストが上昇した」としている。上昇の規模については全体の89.6%が1.3倍以上と回答した。一方で、価格転嫁をできてないという法人は55%に上っている。

消費者からすると近年、食料品価格はかなり上昇しているとの実感があるだろう。確かに、小麦などを使った加工食品や、鶏卵は値上がりをしている。ただし、これら小麦関連の加工食品の価格上昇は、輸入小麦の値上がりが契機であり、鶏卵については、鳥インフルエンザの流行などによる供給減が主因である。
図2 きゅうり卸売価格の推移(2022/08~2023/08東京都中央卸売市場)
きゅうり卸売価格の推移(2022/08~2023/08東京都中央卸売市場)
出所:農林水産省 日別情報グラフ(青果物)
https://www.maff.go.jp/j/tokei/syohi/oroshi_kakaku/seika.html(閲覧日:2023年8月15日)
注:最高値・最安値、8月8日(2022年・2023年)の価格、凡例、参考は三菱総合研究所追加
農産物の代表例として、図2では東京都卸売市場の「きゅうり」1kgあたりの価格を示した。グレーの「平均」のデータは、過去5年間の平均であり、特異値を除けば、ほぼ、この2年間も例年通りの価格水準だといえるだろう。ここでは、きゅうりの例を取り上げたが、生鮮野菜類の卸売り価格は、全般的にみて、この1年半ぐらいの生産資材コストが上がっている期間においても、あまり変わっていない。

農産物価格が決定する構造

あらためて、図2のデータで注目したいのは、その時々による価格変動の大きさである。平均的な価格の1kg300円に対して、この2年間の最高値(1kg860円)と最安値(1kg143円)は5倍以上の違いになる。1kg300円のとき1本100g・3本の原価は90円となり、一般的な小売価格を1本100g・3本150円と仮定すると原価率は60%となる。同じ計算を最高値と最安値であてはめてみると、きゅうり3本の小売価格はこの2年間で430円から72円まで変動していることになる(小売価格と卸売価格との割合である原価率・粗利率は常に一定ではないため、実際の変動幅はもう少し小さくなるだろう)。

消費者も、きゅうり3本が100円だったり、300円だったりすることは、しばしば起こりうる実体験として認識していることだろう。もちろん、消費者としては、スーパーの生鮮売り場で「なんて高いんだ!」と驚くことにはなろう。しかし、この事態は生産者の側からは、どう見えるのだろうか。同じものとして作っているのに100円になったり300円になったりする、というのはどういうことなのだろうか?
図3 需要供給曲線(一般製品と農産物の対比)
需要供給曲線(一般製品と農産物の対比)
出所:三菱総合研究所
図3-1は、一般的な製品における価格決定のメカニズムを表す「需要供給曲線」である。一般的な製品では、価格が下がれば下がるほど、消費者の需要は大きくなる。一方で、生産者側は、価格が高くなればなるほど、たくさん作りたい。その両者のバランスがとれる交差点が、均衡価格になり、均衡数量になる。

しかしながら、生鮮野菜などの一般的な農産物は、少し事情が異なる。まず、もともと安価な商品であり、食べたい人は既に必要な量を購入済みである場合が多く、100円が50円になったからといって、さらにたくさん買ってたくさん食べよう、ということが起こりにくい。そして、基本的に鮮度が商品価値を左右するため、買い置きや買いだめによる需要増もあまり期待できない。したがって、赤線の需要曲線が、一般商品の場合よりも「立っている」のである(図3-2赤線と図3-1赤線を比較されたい)。

さらに、最大の違いは供給側にある。多くの農産物は、短期間で生産量を変動させることはできない。1年に1作であるケースも多い。そういった農産物の場合、農家は「作ってしまったものは、価格がいくらであっても、出荷して販売するしかない」のである。そのため、青線の供給曲線は「ほぼ、垂直に立っている」、と考えることができる※2
図4 実際の需要供給曲線の事例(2010~2021年のきゅうりの場合)
実際の需要供給曲線の事例(2010~2021年のきゅうりの場合)
図4-1 出所:京都大学 大学院地球環境学堂 環境マーケティング論分野
「青果物の需給動向:全品目」(きゅうり 8月)
https://www.eeso.ges.kyoto-u.ac.jp/emm/agrimarketing/dsv_analysis/dsv_yasai_allitems(閲覧日:2023年8月29日)
注:P1とP2の点線は三菱総合研究所追加

図4-2 出所:三菱総合研究所
実際のデータで見てみよう。図4-1が2010年から2021年の東京都卸売市場の8月の価格と出荷量をグラフ化したものである。この全体のグラフの形がほぼ需要曲線であり、この需要曲線だけで、価格が決定している状態だと考えられる。最も価格が高かった2014年の価格がP1だが、そのときの供給曲線は右図で示した左側の青線であり、供給量はQ1となる。一方で、最も価格が低い2016年の価格はP2、その時の供給曲線は、右図の右側の青線であり、供給量はQ2だったと考えられる。

「豊作貧乏」と「作り捨て」の理論

生産コストの価格転嫁の影響を検討する前に、読者も一度は耳にしたことがあるであろう「豊作貧乏」と「作り捨て」の構造について紹介しておこう。図5-1では、その事象を図式化した。通常の均衡点(P0Q0)に対して、供給曲線が右側にシフトしたことによって、価格はP3、数量Q3で均衡している。このケースでは、供給曲線がほぼ垂直であることに加えて、需要曲線がかなり通常よりも垂直方向に立っているため、Q0からQ3への生産量は10%増に過ぎないが、価格はP0からP3へと50%減少している。
図5 「豊作貧乏」と「作り捨て」の需要供給曲線
「豊作貧乏」と「作り捨て」の需要供給曲線
出所:三菱総合研究所
数量Q×価格Pの面積で売り上げが示されることになるが、P0×Q0とP3×Q3は100:55という比率になる。生産量は10%増えているのに、売り上げは、45%減少してしまうのである。これが「豊作貧乏」の姿である。こうした状況になることが事前に予想できる場合、図5-2のように10%は「作り捨て」にして、通常の数量しか出荷しなければ、売上は100%にまで戻ることになる※3

農産物には以上のような、価格決定メカニズム上の特徴がある。要するに、短期的には市場の価格決定メカニズムがうまく機能しない面がある。「うまく機能しすぎるために、生産者側に持続的な経営を難しくさせる可能性がある」といった方が正しいかもしれない。そこで、政策的には「野菜価格安定制度」など、豊作などによって農産物の価格が著しく低下した場合に、「作り捨て」という無駄を発生させないために、農家の所得を補償する制度が存在する。

※1:農林水産省「食料・農業・農村政策審議会 基本法検証部会」第17回(令和5年9月11日)「食料・農業・農村政策審議会 答申」
https://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/kensho/attach/pdf/17siryo-9.pdf(閲覧日:2023年8月29日)
農林水産省「食料・農業・農村政策審議会 基本法検証部会」2023年6月2日に、「第4回食料安定供給・農林水産業基盤強化本部」(内閣府首相官邸)報告
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/nousui/shokunou_dai4/gijisidai.html(閲覧日:2023年8月29日)
https://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/kensho/16siryo.html(閲覧日:2023年8月29日)

※2:ここでは、露地栽培の野菜での典型的なイメージで記述した。施設園芸によって数週間から1カ月程度で、繰り返し何度も作付け・出荷できるような、生産サイクルが短い農産物には、市場価格の動向をみながら生産量を調整できる面があるため、図3-1に近い場合もあると考えらえる。
なお、農産物のような「価格が上がっても下がっても、売れる数量の変化が小さい」という特性を、「価格弾力性が低い」と表現する。「価格変化が小さい」のではなく、「価格変化に対して数量の変化が小さい」という意味である。農家から見ると「生産量弾力性が極めて高い」、すなわち、「たくさん作るとすぐに価格が安くなり、生産量が少し減少すると、急に高くなる、ということである。

※3:実際にはここまで単純な話ではない。生産者全体が合議して、出荷調整をするようなことは困難であり、現場の実態としては、「市場価格が下がりすぎて、物流費を賄えないことが明らかな場合に出荷をあきらめる」ようなケースが多くなるだろう。

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