「食料自給率向上」は政策目標として適切か?

食料自給率と安全保障 第5回

タグから探す

2024.6.5

全社連携事業推進本部稲垣公雄

食と農のミライ
5月29日、農政の憲法とよばれる「食料・農業・農村基本法」の改正法が成立した※1。今後は、基本法改正を受けて制定される基本計画の内容と、その実行が何より重要となる(MRIマンスリーレビュー2023年11月号「農業基本法改正の方向性と課題」参照)。基本計画において、1つの論点になるのが、「食料安全保障向上に向けたKPI(重点とすべき目標指標)の設定」である。特に、焦点となりそうなのが「食料自給率」の扱いである。

食料自給率に関する国会での議論

今回の基本法改正に関する国会質疑における論点の1つが、「食料自給率の位置付け」であった。

「食料自給率を38%まで低下させた政府の責任を明確化せよ」「なぜ、もっと明確に食料自給率向上に取り組む、という方向性にしないのか」というような声が多くの野党議員から聞かれた。特に、現行基本法において、基本計画の中で「食料自給率の目標」を定める必要がある、とされているものが、改正案において「食料自給率その他の食料安全保障の確保に関する事項の目標」と修正されていることに対して、「食料安全保障を確保する上で、政策の後退ではないか」というような指摘もあった。
図表1 食料自給率にまつわる第213回通常国会における論点
食料自給率にまつわる第213回通常国会における論点
三菱総合研究所作成
政府・与党は、これに対して「食料自給率だけで、食料安全保障を評価するのは適切ではない」と反論しており、基本的にはほぼ原案どおりで法制化される。

メディアでの報道を見ていても、食料自給率の低さを問題にする報道は少なくなく、その点に不安を感じている生活者も少なくなさそうだ。実際のところは、どうなのだろうか。食料自給率をどの程度向上させれば、食料安全保障は確保できるのだろうか。いや、そもそも、食料自給率と食料安全保障にはどのような関係があるのだろうか。

「食料自給率」から見えるもの・見えないもの

「国内の農産物では食料需要の38%しか賄えていない」と言われると、何となく、日本の農業生産力などに不安を感じる人が多いかもしれない。食料自給率の定義と推移は図表2のとおりである。一般に最もよく取り上げられるのは、カロリーベースの自給率であり、それ以外に金額ベースの自給率もある(さらに図表では、飼料用穀物の輸入分を除外したものと除外していないものを示した)。この図表を一目見てわかるのは、平成12年(2000年)頃以降の食料自給率は円安影響を除けばほぼ横ばいで変わっていない、ということと、昭和40年(1965年)から平成12年(2000年)までの時期が大きく低下している期間である、ということである。しかしながら、実は、後者のほとんどの期間において(1990年頃まで)、国内農業生産額はむしろ一貫して増加していた。食料自給率が低下した主因は人口増加などに伴う食料需要の増加であり、そのスピードに食料生産増加が追いつかなかったのである。

一方で平成12年以降の自給率はほぼ横ばいになっているが、平成2年から22年頃まで、一貫して農業生産額は減少している。平成12年以降の自給率が下げ止まったように見えるこの時期に、農業の生産力はむしろ低下していた。ちなみに、平成22年以降は、生産額は一定の水準をキープしており、自給率も横ばいであった。以上の状況を見ただけでも、食料自給率だけでは、必ずしも国内農業生産の状況が判断できるわけではない、ということがわかる。
図表2 食料自給率の推移
食料自給率の推移
出所:農林水産省「令和3年度 食料自給率・食料自給力指標について」(令和4年8月)を基に三菱総合研究所作成
https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/anpo/attach/pdf/220805-2.pdf(閲覧日:2024年4月19日)
東京大学小嶋大造准教授は、食料自給率の課題として「食料自給率から見えてこないもの」を3点挙げている※2

①国民に必要な食料確保として、この水準を超えていれば問題ない、というミニマムの水準(閾値)がない
②栄養バランスが考慮されていない(カロリーベースの向上だけを追求すれば栄養バランスが損なわれる可能性)
③食品ロスが考慮されていない

上記を踏まえながら、食料自給率の指標としての限界を、小嶋准教授はグアテマラと、マダガスカルを例に指摘している。前者のカロリーベースの食料自給率は128%、後者は80%である。しかしながら、グアテマラの128%のうち、56%が「砂糖類と油脂類の輸出」によってもたらされている。あるいは、マダガスカルの食料自給率は80%あるものの、そもそもの摂取カロリーが成人1日あたり1,892kcalしかない。また、摂取カロリー全体のうち、穀物とイモ類からの摂取比率が80%を占める。食料自給率が高いからと言って、決して豊かな食生活が実現しているわけではないのである※3

むしろ慎むべき食料自給率の政策目標化

食料自給率向上に向けて、「輸入依存からの脱却」というフレーズをよく耳にするようになった。海外からの輸入量の多い小麦や飼料用穀物を、国内産に切り替えていくことを目指すものである。

確かに、理論上では、図表3のカロリーベースの代表的な輸入依存部分、(赤枠で囲った)小麦や飼料用穀物を全量国内生産に切り替えた時には、小麦で約11%、飼料用穀物で約8%、合計で約20%の食料自給率向上効果があると考えられる。

しかしながら、例えば、食料用小麦需要約600万トンのうち、約100万トン国内生産・約500万トン輸入の状況を、全量国内生産に切り替えるためには、500万トン分、おおむね100万haの農地が必要になる。現状の経営耕地面積約430万haから、100万haもの農地を小麦向けに転用することができるのか。あるいは、新しく開墾して100万haもの農地を作るのか。小麦は本来、乾燥している気候、土壌に適した作物で、国内のどこでも作れる、というものではない、ということも認識する必要がある。
図表3 食料自給率の食物別構成/輸入農産物の国内生産化の効果・コスト試算
食料自給率の食物別構成/輸入農産物の国内生産化の効果・コスト試算
出所:農林水産省「令和3年度 食料自給率・食料自給力指標について」(令和4年8月)より、赤吹き出し、「359円/人・日」部分を三菱総合研究所が追記し作成
https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/anpo/attach/pdf/220805-2.pdf(閲覧日:2024年4月19日)
また、穀物は内外価格差が非常に大きい作物であり、現状(平時の国際価格が安定して低価格である時期)において、これだけの増産を農業経営体に行ってもらうためには、かなり大きな財政支出が不可欠になる。三菱総合研究所の概算推計では、小麦500万トンに対して5,000億円程度は必要になる。

こうしてみてくると、現状20万ha・100万トンの小麦の国内生産を、40万ha・200万トンに増やすぐらいが、現実的に実現可能な目標になるのではないか。その時の追加財政コストは1,000億円程度になり、そのコストで向上する食料自給率は約2%である。こうなると、今度は逆に、2%の食料自給率向上に1,000億円を拠出することに、どれだけの意味があるのか、ということが問われるだろう※4

参考までに、近年のコメの需要量は年10万トンずつ減少している。10年で100万トンにおよび、現状約700万トンの需要に比すると10年で14%の減少となる。現時点でのカロリー消費量で見ると、自給率に対しておおむね3%のインパクトとなる。政策的に食料自給率向上を目指して小麦や飼料用穀物の増産を図っても、過去のトレンドが続くとすると、コメの消費需要減退に、その努力は飲み込まれてしまう可能性が高い。

こういう事態が予想される中で、「食料自給率向上を具体的な目標値に設定する」ことに意味があるとは考えにくい。そもそも、コメ小麦の100%国内自給を追加の財政コスト5,000億円をかけて実現した(できた)としても、その時に食料安全保障の度合いが素晴らしく改善する、と言うのならともかく、むしろ、食料安全保障の充実度合いが後退する可能性が高い※5。以上を踏まえると、食料自給率自体を直接的な政策目標指標にすることは、むしろ慎むべきと考えるのが妥当であろう。

目指すべきは農業の維持ではなく、食卓の維持

そもそも、なぜ、これほどまでに一部のメディアや政治家は「食料自給率を高めよ」と主張するのだろうか。前述のようにグアテマラやマダガスカルにおいては、食料自給率自体が無意味な数字と言ってよい。日本において、食料自給率の向上を目指す理由がどこに、どの程度あるのだろうか。

そもそも、みなさんは、今現在、日常的にどのような食事をされているだろうか。日々、栄養不足で、おいしくない食事しか食べられていない、という人はそれほど多くはないのではないか。戦後、餓死者が出るような状態から、昭和30年代のコメの自給の達成を経て、高度成長期、バブル期、平成、令和と続く現在まで、日本人の食卓は一貫して豊かになってきた。そのことに大きな異論を挟む余地はないだろう(もちろん、近年の格差の拡大により、十分な食事がとれない家庭が増加している、というような面での課題があることは否定しない※6)。

本質的な意味を突き詰めて考えていけば、「農業生産を維持すること自体が目的なのではない」ということを、改めて確認・共有する必要がある。食料安全保障が目指すべき一番重要なことは、「日本人の豊かな食卓の実現」である。そのためにはもちろん、国内の農業生産の維持も必要だが、安価な農産物を輸入することもまた不可欠である。

その意味において、「食料自給率が38%まで低下した」という図表2を嘆く必要はなく、(国内生産か輸入かは別として)「2,265kcal/人・日のカロリーを、これだけ多様な食品から摂取できていること」「それを一人あたり1日359円のコストで実現できていること」を示す図表3の状態を、むしろ誇るべきなのである。

上記の前提に立って、現状の日本人の食卓を一定程度、評価するのであれば、「現状の食卓をいかにして維持させるか」という文脈の中で、海外からの食料の輸入や、日本国内の将来の農業生産の見通しを確認し、想定されるリスクに対して、対応策を考えていくべきである。
次回コラムでは、現状の日本の食卓を脅かすリスクについて、考えてみたい。

※1:2024年4月19日、第213回通常国会にて、同法改正案が衆議院を通過。5月29日に参議院を通過し、改正法が成立した。

※2:「日本学術会議農学委員会・食料科学委員会」主催の「食料自給率の動向と見通し -食料・農業・農村基本法の改正に向けて」(2024年2月23日)における小嶋大造准教授(東京大学大学院農学生命科学研究科)の報告講演より。

※3:食料自給率の考え方については、当社コラムに詳しい。
食料自給率低下の主因と食料安全保障の視点 食料自給率と安全保障 第1回(食と農のミライ 2023.1.12)

※4:ここで留意いただきたいのは、「現状20万ha・100万トンの小麦の国内生産を、40万ha・200万トンに増やす」ことに意味がない、ということを言っているわけではない、という点である。目標を「食料自給率を上げる」とした場合、その目標達成に向けて「20万ha国内小麦生産を増やそう」という施策をうっても、目標達成につながらない、ということを指摘している。次回コラムで詳述するが、「食料安全保障上、〇〇haの農地を維持する必要がある」という目標に対して、「その一部を20万haの小麦の増産で達成しよう」と考えるのであれば、十分、有効な目標足りえるだろう。

※5:現状コメの自給率はほぼ100%、麦の自給率は20%程度で、コメ麦合計の自給率はおおむね60%程度である。もし、小麦の輸入をすべて国産に転換して自給率をちょうど100%にできた場合と、どちらが食料安全保障上のリスクが高いだろうか。主食穀物自給率100%は、江戸時代とほぼ同じ状況だと言える。干ばつなどの気候変動への耐性から見て、むしろ全球的にリスク分散している前者の方が、食料不足になるリスクは低いと言えるのではないだろうか(これらのリスクについては、当社コラムを参照)。
輸入小麦があるから国内小麦も安く買える 食料安全保障と農業のキホンの「キ」(2)(食と農のミライ 2023.4.14)

※6:改正基本法において、「食料安全保障」を「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ、国民一人ひとりがこれを入手できる状態を言う」としている。単に有事において必要食料量が全体として調達できるかどうか、だけではなく、平時においても所得格差や食料アクセスの問題でこの状態が毀損されるリスクが高まっており、これらの問題に対処することも重要な課題である。これらの視点については改めて論じることとしたい。

関連するサービス・ソリューション

連載一覧

関連するナレッジ・コラム

関連するセミナー