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企業価値を最大化するサステナビリティ経営へ

意思と戦略に基づくマテリアリティ特定がカギ
2024.6.1
猪瀬 淳也

金融コンサルティング本部猪瀬淳也

戸上 亜美

エネルギー・サステナビリティ事業本部戸上亜美

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OPINION

サステナビリティ(持続可能性)の視点を経営の根幹に組み込むことが企業にとって不可欠な時代となった。TCFDをはじめとする情報開示への要請に目を向けがちだが、大切なのは自社の特徴を踏まえて取り組むべき社会課題(マテリアリティ)を特定し、中長期的な事業機会とリスクを捉えて、企業価値を向上させること。そのための戦略の開示と実行が問われている。情報開示が目的化してしまっては本末転倒だ。情報開示の最新動向を踏まえた上で、日本企業が目指すべきサステナビリティ経営のあり方を改めて考えてみたい。

投資家の注目テーマと情報開示の最新事情

近年、環境・社会・経済の持続可能性(サステナビリティ)に配慮することにより、自社の事業のサステナビリティ向上を図る「サステナビリティ経営」に取り組む企業が増えている。とはいえ、サステナビリティの範囲は非常に広大だ。各国の法規制や国際機関による各種規格など※1で企業が取り組むべきサステナビリティ関連トピックが体系化されているが、100近くの細項目を挙げている例もある。その中で、サステナビリティ関連財務情報開示として注目度が特に高いテーマは次の3つである。

まず以前から投資家の強い関心を集めているテーマとして「気候変動」がある。米国における株主提案のうちサステナビリティ関連のトピックが占める割合を見ても、直近で「気候変動」が最も高くなっている(図1)。そして、近年比率が急速に高まっているのが「人権・人的資本(人権、ダイバーシティ、働きがい)」および「他の環境課題(自然資本など)」である。これらは今まさに旬なテーマだ。

ここで挙げた気候変動、自然資本、人権・人的資本の3つは、それぞれ投資家の注目点や開示要請のレベルが異なっている。以下にその最新動向とポイントを解説したい。

図1 米国における分野別株主提案
米国における分野別株主提案
注:株主提案のうちESGに関連する提案のみを対象とし、その中で各トピックが占める割合を時系列で整理

出所:"Proxy Review 2024", As You Sow, 2023.03.27
https://www.asyousow.org/reports/2024/3/15/proxy-preview-2024(閲覧日:2024年5月28日)などを基に三菱総合研究所作成

①気候変動

気候変動は、早くから情報開示の国際的な議論が活発に行われてきたため、開示基準も精緻化が進んでいる。現状では2017年6月に公表されたTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)最終報告書が、企業の情報開示に関する事実上のグローバルスタンダードとなっている。以前は難易度の高い分析・目標設定を公表する企業が評価されてきた。しかし最近では温室効果ガス排出ネットゼロ(カーボンニュートラル)を掲げる企業が増えているにもかかわらず、経営実態が伴っていないことが指摘されており※2、投資家の関心は「目標の実現可能性」に移りつつある。具体的には、ネットゼロの実現に向けた中間目標や詳細な戦略・施策で構成する「移行計画」に注目が集まっている。

②自然資本

一方、自然資本の情報開示は、TCFDと整合をとる形で作られたTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)最終提言が2023年9月に公表された。まだ公開から時間が経っていないため、現時点では、自社の事業活動と自然資本の関係について詳細な分析結果を開示している企業に注目が集まっている状況だ。

日本では飲料メーカーが先行して開示している例がある。TNFD提言では、地理的位置を考慮して自然資本への依存やインパクトを評価することを求めているが、当該メーカーでは主力商品のうち地域依存度が高い原料生産地の農園を対象に、生物多様性のリスクを分析し開示している。

今後は分析結果だけでなく、ネイチャーポジティブ(自然再興:自然への負荷を抑えるだけでなく、自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失を止め、反転させることを目指す概念)※3を実現するための具体策に関心が移ると考えられる。ただし、カーボンニュートラルと比較して、ネイチャーポジティブを評価するための指標は複雑であり、評価方法のコンセンサスはまだ得られていない。国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)における次アジェンダとして自然資本が入る予定であり、企業としては今後、ネイチャーポジティブについてどのような評価方法が求められていくのか、同審議会の議論の動向を注目しておく必要があろう。

③人権・人的資本

人権は、以前より「ビジネスと人権に関する指導原則(国連)」などの国際ルールがあり、多くの企業で人権デューデリジェンス※4が進みつつある。基本的にはとるべきアクションや情報開示について、国際的にもフレームワークが共有されているトピックである。実際に、2022年9月に日本政府が公表した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」では、国連指導原則の規定を踏まえて人権方針の策定、人権デューデリジェンスの実施、救済メカニズムの構築を企業に求めている。

一方、人的資本については、「人材版伊藤レポート」などの影響もあり、人的資本経営の推進が中長期的な企業価値向上に必要不可欠との認識が、日本国内の経営者・投資家の間で定着しつつある。しかし、現状ではTCFD・TNFDのようなフレームワークは国際的には存在せず、求められる内容が明確には定められていない。今後、ISSBにおける次アジェンダに人的資本が入る予定であり、グローバルな開示基準の確立に向けて具体の議論が進むことが期待される(表1)。

このように、投資家から企業に求められる開示・取り組みのレベルはトピック・時期によっても異なっている。
表1 気候変動、自然資本、人的資本・人権に関する主な動向
気候変動、自然資本、人的資本・人権に関する主な動向
出所:各種文献を基に三菱総合研究所作成

自社の特徴を起点としたマテリアリティ特定を

サステナビリティ経営に欠かせない要素に「マテリアリティ(重要課題)の特定」がある。環境・社会・経済のサステナビリティに関わる課題のうち、自社の事業活動やステークホルダーへのインパクトの大きさを踏まえ、優先的に取り組むべき課題を明らかにするプロセスだ。

日本企業は、各国の法規制や国際機関の提示する基準に満遍なく対応しようとする傾向が強い。サステナビリティ経営においても、ここまで述べてきた「気候変動」「自然資本」「人権・人的資本」や「地域社会との共生」など、できるだけ幅広いトピックを自社のマテリアリティとして盛り込んで開示しようとする日本企業が多い。しかし、その姿勢は果たして正しいのだろうか?投資家たちは本当に、すべての企業にサステナビリティ関連トピックを一様に幅広く開示することを求めているのだろうか?

むしろ逆である。多くの投資家が求めているのは「その企業の価値向上に特に関連性の深い社会課題の特定=マテリアリティの明確化」だ。あくまで企業価値を向上させる(もしくは毀損させない)という視点でその企業にとってマテリアルな社会課題を特定し、その解決のための取り組みによっていかに企業価値が高まるのか、投資家にストーリーとして伝えることが重要となる。おのずとマテリアリティは絞り込まれ、そこに各社の特徴が反映されるはずである。

そもそも、サステナビリティ経営の本来の目的は、投資家など外部からの要請に応えて開示することにあるのではない。社会課題を中長期的な事業機会やリスクと捉えて、自社の持続的な成長を実現することにある。したがって、長期の事業環境変化と目指す企業像・社会像を具体化し、その実現に向けた意思と戦略を込めたマテリアリティを掲げることが望ましい。最終的な優先度は自社で決定すべきものだが、その検討過程で、投資家や関連団体などとの対話を通じて、トピックに対する自社の優先度を議論したり、社外からの見え方や期待を確認したり、相互理解を深めたりすることは有意義である。その際、前述の「気候変動」「自然資本」「人権・人的資本」などサステナビリティに関連する代表的なテーマについて、投資家が企業に何を期待し、どのような情報開示を求めているのか、また投資家と企業がどのような対話を行っているのか、最新の動向を注視した上、本質を理解しておくことは有効であろう。

マテリアリティ特定を通じて自社の特色と経営の意思を社内外に示し、サステナビリティにつながる施策を推進するとともに多様なステークホルダーとのコミュニケーションを図ることで共感を生み、中長期的な企業価値を向上させていく。これこそが、サステナビリティ経営の本質である。

求められる社会変革とステークホルダーの連携

一方で、日本におけるサステナビリティ経営の推進には根本的なボトルネックがある。それは、日本は他国と比べて国民のサステナビリティへの関心度が低いことだ。消費者や顧客がサステナビリティへの取り組みを価値と認識しておらず、企業などがその価値を商品・サービスの価格に反映する動きが進んでいない。さらに、デフレや賃金停滞が長らく続き、サステナビリティがもたらす価値を商品価格に反映しづらい環境にあった。

ようやく物価上昇や賃上げの局面となった今、価格差を生む要素の一つとしてサステナビリティの価値を消費者や顧客が認め、追加でお金を支払う文化が根付いていく可能性は十分にある。そうなれば、サステナビリティに対する取り組みが企業価値向上に直結する世界が実現する。

社会・文化の変革や個人の行動変容は最もハードルの高いトランジション(移行)の一つではある。そこで注目したいのが、実効性のある脱炭素化に向けた、ステークホルダーと消費者との対話や連携の促進だ。サプライチェーンに関わるさまざまな取引先や地域社会までを巻き込んだ潮流を生み出すことができれば、サステナビリティに取り組む意義が少しずつ消費者の心にも届くようになるはずだ。

産官学やNPOなどを含めた多くのプレイヤーが、「どうすれば消費者へのサステナビリティの価値訴求が実現できるか」を共創し、消費者への広報活動などを含めた多様なエンゲージメントにつなげていく。その推進のためにも、あらゆるステークホルダーとともに議論する場が早急に必要である。

※1:米国SEC気候関連開示規則、欧州CSRD/ESRS、ISO26000、GRIなど

※2:国連が指摘した文書は以下
”INTEGRITY MATTERS:NET ZERO COMMITMENTS BY BUSINESSES, FINANCIAL INSTITUTIONS, CITIES AND REGIONS”, The High‑Level Expert Group on the Net Zero Emissions Commitments of Non-State Entities
https://www.un.org/sites/un2.un.org/files/high-level_expert_group_n7b.pdf (閲覧日:2024年4月19日)
また企業の移行計画の実態を分析した結果は、例えばCDPによる分析結果など
ARE COMPANIES DEVELOPING CREDIBLE CLIMATE TRANSITION PLANS?, CDP, 2023.02
https://cdn.cdp.net/cdp-production/cms/reports/documents/000/006/785/original/Climate_transition_plan_report_2022_%2810%29.pdf?1676456406 (閲覧日:2024年4月19日)

※3:環境省 もっと先の未来を考えるエコ・マガジン エコジン(エコジンズ アイ ネイチャーポジティブ 2024.02.14)
https://www.env.go.jp/guide/info/ecojin/eye/20240214.html(閲覧日:2024年4月17日)

※4:人権デューデリジェンスとは企業が自社の人権に対する影響や、予防・軽減に向けた対処について適切に説明するため、人権への悪影響の評価、調査結果への対処、対応の追跡調査、対処方法に関する情報発信などを行うこと

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