「食料安全保障」を脅かすリスクシナリオ

食料自給率と安全保障 第6回

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2024.6.5

全社連携事業推進本部稲垣公雄

食と農のミライ
前回コラムでは、食料自給率だけで、食料安全保障の状態を測るには無理があることを明らかにし、現状の一定程度、満たされた日本人の食卓を毀損するリスクを見ていくことが重要であることを示した。今回は、日本の食料安全保障度合いの国際比較を確認した上で、日本の食卓を脅かすリスクシナリオについて考えてみよう。

世界最上位層にある日本の食料安全保障の評価

英国エコノミスト誌は、アメリカの農薬・種子企業のコルテバ・アグリサイエンス社をスポンサーとして、毎年世界各国の食料安全保障ランキングを発表している※1。対象となる世界113カ国中、日本のランキングは、意外にも6位と世界でも最上位層に位置付けられている。評価の枠組みは以下の4つである。あわせて、分野ごとの日本の順位も示す。

①Affordability(手ごろな価格)=16位(評価内容:消費者が食品を購入する能力、価格ショックに対する脆弱性、ショック発生時に消費者を支援するプログラムや政策の存在など)
②Availability(入手のしやすさ)=1位(評価内容:農業生産と農場の能力、供給途絶のリスク、食料を普及させる国の能力、農業生産を拡大するための研究努力など)
③Quality and Safety(質と安全性)=30位(評価内容:平均的な食事の多様性と栄養価、および食品の安全性など)
④Sustainability and Adaptation(サステナビリティと適応)=20位(評価内容:気候変動の影響、天然資源リスクに対する感受性、国としての適応など)

なんと、「Availability」の評価は世界第1位である。前回コラムで触れたとおり、「現時点」で見る限り、「日本の食料安全保障上の問題は大きくはない」と考えてよいのではないだろうか。

食料安全保障に対する不安を因数分解する

客観的に見て、日本の食料安全保障の状態は、(まだ)それほど危機的な状態ではないのだとしても、それにもかかわらず、なぜ、これほどまでに、食料安全保障への関心や不安が高まっているのであろうか。1つの仮説を図表1に表してみた。
図表1 日本の食卓の豊かさの構成要素と不安要素(一般論)
日本の食卓の豊かさの構成要素と不安要素(一般論)
三菱総合研究所作成
日本の食卓の原材料となる食材は、カロリーベースで約40%の国内生産と、約60%の輸入によって賄われている。昨今の「食料自給率38%」という報道で、改めてその認識が強まった。その中で、ウクライナ・ロシア紛争を契機とする食料価格の高騰があり、「海外から主要食品が調達できなくなるのではないか」という不安が高まった。一方で、国内農業生産者の高齢化・離農などの報道もあり、「国内生産力がもっと弱まるのではないか」という不安も高まってきた。結果として、「何となく、食料自給率38%では不安だ」というムードになっているのが、現状だと言えるだろう。

前回コラムでも指摘したとおり、ここで忘れられているのが、まず、大前提として「現状の日本人の食卓は一定程度、満たされている」という事実であり、その現状をもたらしている要因に対する認識である。
図表2 日本の食卓を成立させている本当の構成要素
日本の食卓を成立させている本当の構成要素
三菱総合研究所作成
以下で、日本の豊かな食卓を成立させている構成要素を整理して考えてみよう。

まず、「①国内生産による調達」「②輸入による調達」にあわせて、「③小売り・物流などの(全国津々浦々を張り巡らした)フードサプライチェーンの確立」が日本の食料供給を支えている、という認識も重要である※2

そして、食料安全保障への不安をあおる言説の1つは、「国内農業生産力が弱体化して大変なことになっている」「今後、万が一輸入できなくなる事態がきたら、どうするんだ」という類のものであろう。だから「国内生産力の強化が必要だ」という主張が生まれてくる。国内農業生産力が重要なのは確かだ。しかしながら、あくまでそれは1つの要素でしかない。すべての国内食料需要を国内生産で賄うことが不可能であることが明らかである以上※3、食料輸入を維持し続けることもまた、非常に重要な要素である。世界から現状のような食料輸入を維持するためには、「(1)世界の食料生産と供給システムが、安定的に機能している」ということが不可欠である(この中身は「(1)-1 世界の農業生産の安定性」「(1)-2 世界の食料貿易の安定性」に分けられるだろう)。

最後に、もう1つの重要な要素は、「(2)日本(日本人)に一定の経済力がある」ということである。いくら世界に食料がたくさんあっても、日本にそれを買う力がなければ、意味がない※4

(1)(2)という、「世界の食料供給と貿易の安定性」と「日本の経済力」を前提として、①②③が実現されている。①②③を通じて、「多くの国民が購入できるレベルの価格・安定的な価格で、十分な食料が供給できているという状態」が実現できている。食料安全保障上の対策を考えていく上では、これらの状態が、どう毀損される可能性があるのか、どういったリスクが、いつ頃に発生する可能性があるのかをしっかり見極めていくことが重要である。

考え得るリスクシナリオと緊急事態への備え

前項を踏まえると、将来のリスクを考える上で、「①国内生産による調達」にあわせて、「②輸入による調達」ができるための基盤として、「(1)-1 世界の農業生産の安定性」「(1)-2 世界の食料貿易の安定性」「(2)日本の経済力」が毀損されるリスクを検討しておく必要がある。

まず、今後5年から10年というスパンで考えた時には、全体的にそこまで大きな変化があるとは考えにくい。以前のコラム(※3参照)で紹介したとおり、アメリカやカナダなどの日本の穀物輸入先は、国内需要の200%から300%の穀物生産を行っている国で、干ばつなどでの極端な減産が数年続くような事態にならない限り、食料輸出・世界貿易を途絶えさせることは考えにくい。気候変動などによる不安定化のリスクはあるものの、OECD-FAO(Food and Agriculture Organization)の予測でも、世界全体の農業生産は年率1%程度で増産されると考えられている※5

問題は20~30年後の中長期の状況である。三菱総合研究所は「①国内生産による調達」力において、現状の半分程度の生産力になっている可能性が高いと推計している※6。とはいえ、実はそれだけでは食料危機は発生しない。現状と変わらないぐらい世界の食料供給が潤沢で、日本の経済力が相当程度あれば、世界から百万トン単位で穀物などを追加的に購入することは不可能ではないだろう。

しかしながら、現状のトレンドからすれば、日本の相対的な経済力がかなり低下している可能性がある。日本の相対的な経済力低下は、おそらく円安傾向を現状以上に強める可能性があり、今、巷で心配されはじめている国際的な食料調達競争での買い負け現象が、コモディディ的な一般食材まで波及する可能性がある。そして、その時に、「(1)-1 世界の食料生産」が気候変動などにより大きく不安定化しているとしたら、世界全体で食料価格が急騰し、国際市場から追加的な食料輸入をすることが難しくなっている恐れがある。その場合、国内でも貧困家庭の増加など、大きな問題が発生している可能性は否定できない(メインシナリオ)。

ただし、実はこの場合でも、全体の変化がじわじわと起こってくれれば、ある程度の対応は可能だろう。日本の経済力が低下して、世界の農産物価格が上昇しているとすれば、内外価格差が縮小し、相対的に日本国内で農業生産がしやすくなっている可能性も高い。

一番問題なのは、国内生産力や日本全体の経済力の低下がじわじわと続いて、結果として大きく弱体化している状況で、世界各所で広域・連続的に干ばつが続くなど、世界全体での食料生産が大きく毀損されるような事態が、「急激」に発生する場合である。この場合、国内に再生産力がない中で、世界食料危機が発生することになる(最悪のシナリオ)。
図表3 日本の食卓のリスクシナリオ
日本の食卓のリスクシナリオ
三菱総合研究所作成
世界の農業生産や貿易環境が中長期的にどのように変化するか、はっきりしたことは誰にもわからないし、日本がコントロールできる要因は多くはない。日本の農業政策の範囲でできること、やるべきことは、「農業生産基盤の毀損をなんとか食い止めておくこと」だけである。農地や農業経営人材など農業生産の基盤となるリソースは、いったん毀損されてしまうと、一朝一夕で回復できるものではない。特に、人間の主食となる穀物類は、植物工場などで工業製品的に生産することは、まだまだ不可能であり、大地の上で、農地を使って、1年1作(多くても2作程度)で生産するしかない。その意味において、「不測の事態への対処としての食料安全保障」を担保する最重要要素は「農地の維持・確保」であり、その農地を活かす「農業経営体・人材の確保」である。緊急事態への備えとしては、この2つが、最も重要な改正基本法下での政策目標KPI(重点とすべき目標指標)となるものだろう。そして、緊急事態だけに対応した人材確保ができないことは明らかである以上、それらの経営体・人材を産業にひきとめておくだけの「農業生産額(一義的には付加価値額・その代理変数としての生産額)」がもう1つの最重要KPIとなるだろう。

最後に、農業政策以外の観点にも触れておきたい。農業政策を超える範囲において、政策として取り組むべきことはこのほかにも、多々、あるだろう。大きな話をすれば、何よりも、日本の経済力を維持し続けることが、食料安全保障上も最も重要なことである。あるいは、海外からの安定調達という面から、海外農業投資を進める国も増えてきている。日本政府としても、そういう発想での政策にも検討の余地があるかもしれない。政府レベルでの話ではなくとも、総合商社や食肉などの食品メーカーが、海外の生産者とつながり、サプライチェーンを構築して日本国向けの食料を調達していることは、海外からの安定調達という意味で、食料安全保障上の意味合いも大きいように思われる。こうした取り組みを、官民挙げて、総合的にデザインすることが求められている。

※1:" The Global Food Security Index 2022", The Economist Newspaper Limited
https://impact.economist.com/sustainability/project/food-security-index/(閲覧日:2024年4月27日)

※2:国内生産・輸入と同じように、フードバリューチェーンをいかにして維持していくか、というのは食料安全保障上も大きな課題になる。この点については改めて論じることとしたい。

※3:過去の日本の歴史において、主要穀物の年間国内生産の最大量は昭和30年代の約1,400万トン程度である。現在、日本国内の穀物需要は3,300万トンにおよぶ。現在の日本人の食生活を前提とした場合、穀物の国内自給100%はどうやっても達成できるものではないことは明らかである。詳しくは以下、当社コラム参照。
日本の食料国内生産と輸入量の実態 食料自給率と安全保障 第2回(食と農のミライ 2023.3.2)

※4:現状の国際環境を前提とした時に、食料安全保障において、最も重要な要素を1つだけ挙げるとするとすれば、「国の経済力」である。シンガポールは食料自給がほぼゼロの国だが、十分豊かな食生活が享受できている。世界の農業生産やその貿易システムが安定的に機能している前提であれば、世界屈指の経済力である必要もなく、1トンあたり4万円程度の小麦が購入できる経済力、さらにはいざという時にはその価格が2倍や3倍になっても、100万トン単位で購入できる(例:+4万円×300万トン=+1兆2,000億円)、という程度の国力である。
ただし、そのシンガポールにおいても、培養肉や植物工場など施設型食料生産システムを推進して、2030年までに自給率30%まで向上させるという「30/30政策」が展開されていることも付言しておく。

※5:OECD-FAOの2023-32年の見通し推計によれば、世界の農作物生産量は今後10年間に年平均1%増加し、主として低・中所得国において増加する予測となった。農作物生産量の増加率の79%は単収の増加が、15%は耕作地の増加がそれぞれ寄与する。単収は、今後の育種技術などの向上を理由に増加する見込みである。
"OECD-FAO Agricultural Outlook 2023-2032", OECD
https://www.oecd.org/publications/oecd-fao-agricultural-outlook-19991142.htm(閲覧日:2024年5月7日)

※6:2050年の国内農業生産を半減させないために(MRIマンスリーレビュー2022年12月号 特集2)
【提言】食料安全保障の長期ビジョン 2050年の主食をどう確保するか(エコノミックインサイト 政策提言 2023.7.19)

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