マンスリーレビュー

2023年11月号特集1食品・農業経済・社会・技術

農業基本法改正の方向性と課題

同じ月のマンスリーレビュー

タグから探す

2023.11.1

食農担当本部長稲垣 公雄

ビジネスコンサルティング本部久保田 孝英

POINT

  • 2024年の基本法改正により、今後の農政の展開方向が示される。
  • 脱炭素時代の環境対応・人口減少時代の農村農地政策にビジネスチャンス。
  • 数字の入った具体的なビジョンと基本計画・個別法が重要。

25年ぶりの基本法改正

政府は2024年の通常国会で「食料・農業・農村基本法」の改正を目指している。新基本法の最重要な主題は「食料安全保障」と「農業や食料システムの環境」への対応である。これらの実現には「農業の生産性向上」「農村・地域コミュニティ・農村インフラの維持・活性化」が不可欠であり、最重要主題と合わせた4つが、新基本法の基本理念として位置付けられる見通しである。

2つの基本法の評価

新基本法の見通しや影響を確認する前に、過去の2つの基本法を簡単に振り返っておこう。農政に関する最初の基本法である「農業基本法」(以下「旧基本法」)は1961年に作られ、1999年には現行基本法が新法として制定された(図1)。
[図1] 3つの基本法の目標・基本理念
[図1] 3つの基本法の目標・基本理念
出所:各種関連資料から三菱総合研究所作成

【1961年制定・旧基本法】

旧基本法は、来たるべき高度成長期を見据え「農業の生産性向上」「農業者の所得向上」を目標としていた。具体的には「高付加価値作物へのシフト」や「食糧管理制度による価格維持政策の見直し」を目指すものであった。

しかし、減反によるコメの価格維持政策は継続され、こうした目標は達成されることはなかった※1。1980年代には食糧管理法に基づく食糧管理費※2が1兆円を上回り、多大な国民負担として注目が集まったが、農業の構造改革は遅々として進まなかった。

その一方で、自動車産業・電機産業を中心とした日本の国際競争力が高まり、日米貿易摩擦が政治問題化し、ついに1993年に関税及び貿易に関する一般協定(GATT)ウルグアイラウンド農業交渉が妥結して、「農産物でも関税をはじめとする国境措置については極力排除」する国際ルールが原則的に取り決められた。

【1999年制定・現行基本法】

1999年に制定された現行基本法は、コメを中心とした食料輸入の国境措置を維持する国際交渉の根拠とすべく「食料の安定供給」「農業の多面的機能の発揮」を前面に掲げた。加えて旧基本法からの懸案である農業の生産性向上および構造改革を目指した「農業の持続的発展」、人口減少社会を見据えた「農村政策」を合わせた4点を大きな方針とした。さらに「食料自給率の向上」も政策目標に定められた。

1995年にGATTが発展的に解消され世界貿易機関(WTO)が発足し、2001年にドーハラウンドが開始されたが、WTO体制はその後完全に機能不全に陥り、国際貿易のルールメイキング機能を失ってしまった。現在、国際貿易交渉は地域貿易協定(RTA)・自由貿易協定(FTA)など、2カ国間ないし複数国間の交渉にシフトしている。現在ほぼ全てのFTAは、完全自由貿易主義で始まった環太平洋パートナーシップ(TPP)協定を含め、それぞれの国の保護貿易政策に一定の配慮をした内容で交渉妥結に至っている※3

一方で内政的には、1999年の現行基本法制定直後に農政を襲ったのは、牛海綿状脳症(BSE)などの安全問題であった。現行基本法の基本理念を示した第2条から5条の中には「安全」という言葉が含まれていない。

以上の環境変化により、現行基本法もまた旧基本法同様、制定後間もなくして形骸化したといわれている。「農政の憲法」と呼ばれることもある基本法であるが、実際には宣言法、恒久法として制定されており、具体性のない目標や抽象的な方向性を示すだけの役割にとどまることから、基本法の位置付け自体に限界があるという声も少なくない。

過去の農政自体が失敗だったのか

農業就業人口の減少や食料自給率の低下といった問題が目立っていることもあり、基本法の評判のみならず、農政そのものの評価が芳しくない。しかしながら、図2に示したとおり、戦後、1980年代半ばまでに農業の土地生産性・労働生産性は大きく高まり、1970年代に農家世帯所得は一般世帯所得にキャッチアップしている。その結果、政策目標は一定程度達成されている、との見方もある※4
[図2] 農業生産額・農業就業人口などの推移と見通し
[図2] 農業生産額・農業就業人口などの推移と見通し
クリックして拡大する

出所:各種データから三菱総合研究所作成
また、現行法が目指した食料自給率向上は達成されていないが、1980年代半ばから2005年前後までの農業生産額の低下傾向は、それ以降下げ止まり、農業生産額は維持されている。農業者の減少傾向は継続しているものの、畜産などを中心に農業経営体の大規模化が進み、農業の産業化は一定程度進展している面もある。

何より、戦後復興期を乗り越えて以降、80年近くにわたって、国内で食料危機的な状況は一度も訪れていない。国民の食生活も基本的に豊かになっている。経済協力開発機構(OECD)が毎年公表している農業のための国民負担の評価指標(PSE)によれば、1980年代に7兆円以上だった国民負担も、近年3兆〜4兆円で推移しており、一人あたりの国民負担も291ドル(2018年)と国際的に見て低くはないが、突出して高いという状況でもない※5

より重要になる新基本法の役割

しかしながら、今後の世界と国内の食料・農業生産と需要のトレンドを考えると、従前の政策や考え方では不十分であることも明らかだ。今回の改正も、現行法制定時と同様に、ロシア・ウクライナ紛争に伴う国際価格(エネルギー・資源・食料など)の高騰・不安定化など国際環境の変化を契機として、検討が始まっている。

旧基本法・現行基本法の主題は「農業の生産性向上」(およびそのために必要な農村政策)であったが、これまで見てきたとおり、その達成度合いは十分ではなかった。食料調達環境に不安定さが増す見通しの中で、新基本法でも「農業の生産性向上」が大きな主題であり続けるのは間違いない。

当社が2050年に向けた国内食料需要と生産の見通しを推計した結果、これまでの政策を継続した場合、2050年の国内農業経営体は2020年対比80%減少の18万経営体、農業生産額は半減し4.3兆円となる見通しである。2040年には、主食穀物の輸入を現状よりも200万トン増やさなければならないといった懸念もある。特集3「国内農業生産・農地維持の課題とビジネスの可能性」で示したとおり、「農業の生産性向上」に資する方法論をゼロベースで見直し、10年先、20年先を見据えた政策を展開していく必要がある。

そして、これからの農業における最大の課題は「環境対応」になる。当社推計では、2050年に向けて世界のタンパク源需要は約1.4倍、人類活動の温室効果ガス(GHG)排出の3分の1を占める食料システムの環境負荷も約1.4倍まで拡大することが予想される。

現行基本法までの考え方は、「どちらかというと、農業は環境に良い」というイメージで語られ、位置付けられてきた面がある。しかしながら、完全に局面は変わった。2021年5月に策定された「みどりの食料システム戦略」をより強力に発展させるかたちで、官民を挙げて食料・農業の環境対応を推進する必要がある。1,500兆円ともいわれる世界の食市場にアプローチできるビジネスチャンスでもある※6

特集2「環境対応から始まる食農イノベーション」に、具体論を含む詳細を記した。

農地と農業人材の具体ビジョンが必要

食料・農業システムの大転換期における新基本法が過去の基本法のように形骸化しないためには、「農地と農業人材に関する具体的な数字の入った大きなビジョン」を示す必要がある。

例えば「食料安全保障の観点から飼料用穀物を国内でも作ろう」というのは間違った話ではない。しかしながら、そこには、「現状では年間1,600万トンも飼料用穀物を輸入しており、そのうちのどれだけを国内産にしたら効果があるのか」「そのときのコストはどれぐらい許容されるのか」——という観点が決定的に欠けている。

農業界で「農業者の所得向上」という目標を掲げることは多い。しかし国民経済全体から見た問題の本質は、「国民に必要な食生活をなるべく安いコストで、いついかなるときも満たす」ことにある。国民の食生活を守ることを目標に、中長期的視点、例えば2050年までに「どれぐらいの農地と農業人材を確保する必要があるのか」「そのためのコストをどれぐらいかけるのか」を起点に戦略を練るべきだ。その実現に向けて、農家所得を底上げする必要があるのであり、その逆ではない※7

新基本法制定後の個別法と基本計画が重要

基本法の改正を受けて、その後に個別法がどのように制定され、運用されるかが極めて重要になる。例えば、農業経営基盤強化促進法、農地中間管理事業の推進に関する法律、農地法などの農地制度の一連の改正は、基本法の見直しに先駆けて実施されている。新基本法が制定された後も、農地を中心とした、当面の政策はこの枠組みの中で推進されることになるだろう。これらの政策の課題はすでに現場ではさまざまな声として上がっている。新基本法は、その運用や見直しの際の指針となる必要がある。

現行基本法では5年ごとに基本計画を策定することになっている。その方針が踏襲される場合、次の基本計画は、2025年に決定される。その基本計画の中で、前述のとおり「農地と農業人材に関する具体的な数字の入った大きなビジョン」がしっかりと明示されるべきである。そのとき初めて、新基本法に魂が宿ることになるだろう。

※1:「1968年頃、既に旧基本法はレームダック化し、神棚に祭り上げられ、一顧だにされなくなっていた」(谷口信和東京大学名誉教授)。農林統計協会(2023年3月)「日本農業年報68」p.6。

※2:流通業務取扱費、米穀販売・管理業務委託費といった主要食糧の管理に必要な経費。

※3:日本でいえば、重要5品目といわれる「コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物」の交渉において、日本の主張が基本的に受け入れられるかたちでFTAが締結されている。

※4:ただし、1970年代の農業者の所得をキャッチアップすることは、兼業農家における非農業所得の上昇によって達成されたものであり、農業政策としては評価されない、という意見も多い。

※5:PSEによる国民負担の分析については、MRIエコノミックレビュー(2023年7月19日)「【提言】食料安全保障の長期ビジョン2050年の主食をどう確保するか」参照。

※6:新基本法の理念は、2つの大きな論点に対応しており、大きな方向性としては妥当である。しかし新基本法改正の足元の議論は、「生産コストの価格転嫁」と「多様な農業人材」に集中している。生産資材コストの上昇により、一部の農業経営体が厳しい経営環境下にあることは事実だが、安易に消費者価格をゆがめるような政策は取るべきではない。

※7:当社では、2040年・2050年に向けた主食穀物の生産のために必要な農地推計を行っている。※5と同様のコラム参照。

著者紹介