マンスリーレビュー

2023年11月号特集2食品・農業サステナビリティ

環境対応から始まる食農イノベーション

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2023.11.1

政策・経済センター岸 紘平

政策・経済センター山本 奈々絵

食品・農業

POINT

  • 世界の食農分野の温室効果ガス排出量は30年で1.4倍。
  • 環境負荷低減に向けたさまざまなイノベーションが活発に。
  • 負荷低減の「価値化」が新たなビジネスチャンスを生む。

増大する食農由来の環境負荷

世界の食料システムに由来する人為的な温室効果ガス(GHG)排出量は全GHGの約3割を占めるとされている。その上、自然資本、すなわち多様な生物やその基盤となる水、土壌などの資源への依存度も高い。世界人口の増加と経済成長に伴い食料の需要・供給の増大が見込まれる中で、環境負荷の低減は、世界の食料システムが直面する最大の課題である。

当社の推計では、この環境変化で2020年から2050年にかけて、主食源(小麦・コメ・イモなど)の需要は約1.2倍、タンパク源(肉・魚・乳など)の需要は約1.4倍に増加する。経済成長に伴い、主食源中心のものから、タンパク源を含むものへと一人あたりの食構成が変化するためだ。

その生産・流通過程でのGHG排出量は約1.4倍、土地利用面積は約1.4倍、淡水利用量は約1.2倍に増加する見通しである(図)※1。牛肉の消費拡大への考慮も不可欠だ。GHG排出および土地利用面積双方へのインパクトは増加量のそれぞれ46%、55%を占め、最も大きい環境負荷要因の一つとなっている。
[図] 食料需要増加に伴う環境負荷の増大(主食源およびタンパク源)
[図] 食料需要増加に伴う環境負荷の増大(主食源およびタンパク源)
出所:各種データから三菱総合研究所作成

続々登場する環境負荷低減のイノベーション

こうした食料システム由来の環境負荷に関して、政府も対策を急いでいる。2021年に農林水産省が決定・公表した「みどりの食料システム戦略」では、持続可能な食料システムの構築に向けて、「2050年までの農林水産業のCO2ゼロエミッション化」や「化学肥料使用量30%減」など複数の目標が掲げられた。

中でもGHG排出に関しては、日本の農林水産分野における排出量(2021年度実績)の35%を燃料燃焼によるCO2排出が占める。一方、稲作によるメタン排出が同24%、家畜の排せつ物管理および消化管内発酵による排出も計29%を占めており、それぞれ対応が求められる。

現状の打開策となるイノベーションの創発も進んでいる。例えば水田稲作では、田植え後に行う中干し期間を慣行から約1週間延長することで、メタン発生量を約30%削減可能である。個々の生産者にとって追加的な労力・コストが少なく、現場に普及しやすい手法として注目される。畜産・酪農でも、カシューナッツ殻液などを飼料に添加することで乳牛のげっぷ中のメタン発生を2~4割削減できるという研究成果がある※2

GHGの排出を削減する手法の他にも、炭素固定などの技術で土壌中にガスを貯留して正味の排出量を抑制する手法も注目されている。例えば農業では、土壌改良資材として炭を農地に施用する農法が以前からあるが、バイオマスを材料とした難分解性の炭化物(バイオ炭)を使用することで、農地に炭素を固定することができるようになる。

カーボンの「クレジット化」が新ビジネスに

ではイノベーションをどう農業現場に実装すべきか。ボトルネックは「生産者が取り組む動機」に乏しい点にある。動機付けには、環境負荷低減の取り組みを価値化し、なんらかのかたちで個々の生産者に還元できる仕組みが不可欠である。

GHG排出で言えば、有効手段の一つとして「J-クレジット」の活用が挙げられる。GHGの排出削減・吸収量をクレジットとして国が認証して販売可能にする制度であり、「みどりの食料システム戦略」でもその推進が掲げられている。

今後農林水産分野でJ-クレジットを普及させていくためには、食品メーカーや小売りなど、食農バリューチェーンにおける大手プレーヤーが重要な役割を果たす。例えば、味の素は食品・医薬品大手の明治グループと協働し、持続可能な酪農業の実現に向けたJ-クレジット制度を活用したプロジェクトを2023年3月に立ち上げた。味の素製の乳牛用アミノ酸リジン製剤「AjiPro®-L」を明治グループに販売し、提携酪農家の乳牛へ給餌することで、栄養バランスの改善だけでなく※3、排せつ物からのN2O発生を抑制できる※4。その排出削減分をクレジット化したものを、明治グループが買い取ってGHG排出のオフセットに活用する。味の素は自社商品の販売拡大、明治グループはGHG排出量のオフセット、酪農家は乳量維持とクレジット販売収入による手取りの向上という、「三方よし」を目指したビジネスモデルといえる※5

J-クレジットのような仕組みは、財務価値として見えにくかった環境負荷低減を新たに価値化するものであり、食農分野の環境負荷低減の取り組みをビジネスチャンスに転換するものでもある。重要なのは、味の素・明治の事例に見られるように、個別の生産者や企業による取り組みに閉じず、サプライチェーンを横断したアクションへと拡大させることだ。「環境対応」は企業にとって外圧という側面だけではない。むしろそれを契機とした、ビジネスモデルとイノベーションの創出に、今後も注目していきたい。

※1:MRIエコノミックレビュー(2023年7月19日)「【提言】世界の持続可能な食料システムに向けて」。

※2:真貝拓三ら(2014年9月)「カシューナッツ殻液を利用した乳用牛からのメタン低減技術」(栄養生理研究会報)。

※3:1日あたり80gの投与で乳量を平均約3%向上させ、飼料コストも1頭あたり1日平均で11円削減可能になる(「AjiPro®-L」製品カタログ)。 

※4:「乳量を維持しながら糞尿から発生する余剰な窒素を約25%削減し、酪農家のコスト削減にもつなげることが可能となる」(2023年4月3日付け食品新聞WEB版)。

※5:個々の酪農家はクレジットの取得を行わず、GHG排出量削減分の価値を味の素が集約してクレジット化、明治グループへ販売する。その後クレジット購入の代金は、個々の酪農家に支払われる。

著者紹介