日本の農業生産を維持する国民負担の水準は?

食料自給率と安全保障 第3回

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2023.10.19

政策・経済センター武川 翼

食と農のミライ
読者の中には「日本農業は世界一保護されている」という言葉を耳にしたことがある方もいるかもしれない。その一方で、「日本の農業保護は欧米諸国よりも十分でない」という真逆の意見も目にしたこともあるのではないだろうか※1

意見が分かれる要因は何なのか。また、農業の国民負担の水準は、実際はどの程度なのか。本コラムでは、国際貿易論の共通指標として一般的に用いられる「農業保護水準を示す指標:PSE」の国際比較を通して、日本農業の国民負担の水準についてひもときたい。

国民負担について意見が極端に分かれる理由

まずはじめに、本コラムで用いる「農業保護水準を示す指標:PSE(Producer Support Estimate)」について解説したい。PSEとは、経済協力開発機構(OECD)から毎年公表されている指標であり、日本農業経済学会のみならず、国際的な学術論文で「農業保護の水準を包括的にみる指標」として用いられている。PSEが包括的と言及されるのは2つの要素で構成されるためである。この後に示す算出式の通り、PSEとは①関税のように農産物の価格形成に介入することで間接的に所得移転する手段と、②直接支払いのように価格形成に介入せずに所得移転する手段をそれぞれ推計し総和したものである。農業政策の国際的な傾向として、価格支持政策から直接支払い政策への移行は進みつつあるが、その程度は各国で異なっている。そのため、PSEが①②双方を含めた農業保護指標である点は包括的といえるであろう。

PSE = ①関税などによる生産者への間接的な所得移転(MPS) + ②直接支払いによる所得移転
※MPS(Market Price Support)とは、品目ごとの内外価格差に国内生産量を掛け合わせた集計値で推計される

以上の前提を踏まえた上で、図1では各国の「PSEとMPS/PSE」を示す。MPS/PSEとは、「上記式で①を総額で除したものであり、農業保護水準全体のうち①による保護水準の割合を示したもの」と解釈いただきたい。まず、図1で注目したいのは、MPS/PSEについてばらつきがある点である(PSEの絶対額の考察は、農業産出額・GDPなどが各国で異なるため、後段で言及する)。具体的には韓国と日本のMPS/PSEがそれぞれ80%以上と高い一方で、EU28カ国やアメリカは30%以下で低い状況である。言い換えると、韓国や日本は価格支持政策を主体に農業保護を実施している一方で、EU・アメリカは直接支払いを主体に農業保護を実施しているということである。

これは、各国の価格支持政策から直接支払い政策への移行の程度が異なる点を反映したものであるが、この点こそが「日本農業の国民負担について極端に分かれる理由」の一因となっている。つまり、MPS/PSEが一律ではない中で、①②のどちらか一方のみを対象に比較をしてしまうと、誤った解釈につながるのである。例えば、「①関税による生産者への間接的な所得移転」だけを比較すれば、日本は他国と比べて非常に保護されているように見える。その一方で、「②直接支払いによる所得移転」だけを比較すれば、日本は他国と比べて保護されていないという結論にみえてしまう。つまり、①②それぞれの手段で、各国が農業保護を実施しているため、①②どちらか一方のみで論じることを避けるべきであり、①②の総和で農業保護の程度を見ていくことが重要だと考える。
図1 PSE(絶対額)とMPS/PSE(%)、2019
PSE(絶対額)とMPS/PSE(%)、2019
出所:OECD各種データより三菱総合研究所作成

日本の負担額はOECD平均の1.6~2.3倍

次に先ほど解説したPSEを用いて、国際間の比較を行う。ただ、GDP・農業者受取額などが各国で異なる中でPSEの絶対額による国際比較を単純に行うことは適切ではないため、本コラムでは3つの指標を用いた比較を試みる。図2では人口を用いて「国民1人あたりのPSE(USドル/人)」、図3ではGDPを用いて「名目GDPに占めるPSEの比率(%)」、図4では農業者受取額を用いて「%PSE(農業者受取額に占めるPSEの比率)」を算出した。図2~図4で示す通り、「日本の農業保護の水準は世界一高い」というわけではない。ただし、どの指標でもOECD平均と比較して1.6倍から2.3倍ほどであり、相対的に高めというのが日本の保護水準の現状であろう。
図2 国民1人あたりのPSE(USドル/人)、2018
国民1人あたりのPSE(USドル/人)、2018
出所:OECD各種データより三菱総合研究所作成
図3 名目GDPに占めるPSEの比率(%)、2018
名目GDPに占めるPSEの比率(%)、2018
出所:OECD各種データより三菱総合研究所作成
図4 %PSE(農業者受取額に占めるPSEの比率)、2018
%PSE(農業者受取額に占めるPSEの比率)、2018
出所:OECD各種データより三菱総合研究所作成
また国民負担の観点から図2に注目すると、国民1人あたり年間291USドル=約3.2万円(2018年時点:110円/USドル換算)の負担をしている※2。OECD平均の約2.0万円と比較した場合、日本の負担額は1.6倍である。加えて日本より高い国は、(データ取得できる範囲では)スイスや韓国などの限られた国しか存在せず、「これ以上高めていい」とは決して言えない水準であろう。

ただし、「関税や直接支払いによる保護を減らし、負担額の低下を目指すべき」とは簡単に結論づけられない。現状の「約3.2万円の負担」がなければ、農業生産力の低下や関税の低下により、国産品よりも安い農産物がより多く輸入される結果、現状の食料自給率(カロリーベースで37%、生産額ベースで66%※3)よりも低くなることは容易に想像できる。つまり、「農業保護のための負担」と「食料安全保障」はトレード・オフの関係があるはずである(ただし、生産条件や食志向などが同一条件のケース)。したがって、やみくもに国際間比較から「日本の負担額は高位であるから減らすべき」と結論づけるのではなく、「負担」と「食料安全保障」のバランスを議論するのが重要だと考える。

この章の最後に、図4について確認したい※4。「%PSE(農業者受取額に占めるPSEの比率)」は他の指標と比べると高いことも日本農業の特徴の一つである(日本の%PSEはOECD平均の2.3倍に対して、国民1人あたりのPSEは1.6倍)。これは、国民1人あたりの負担が相当高いにもかかわらず、それに見合うだけの国内自給量が少ない、ということを意味している。主因は日本の農業の生産性の低さにあると考えられる。農業保護の効率性を高める上でも、農業の生産性を高めることはプラスに働くことが示唆される。

農業保護支出総額と内訳の推移

最後に、「農業保護のための負担」と「食料安全保障」のバランスについて検討する一助になることを目的に、図5で「日本におけるPSEの総額と内訳の推移」について確認する。まず全体的な傾向として日本のPSEは、1986年から2000年代後期まで低下傾向にあり、それ以降は横ばいとなっている※5。前述の2018年時点の「年間約3.2万円の負担」は、1986年時点では1.8倍ほどであった(1986年時点で国民1人あたり年間344USドル=同5万8,196円の負担。為替レート:169円/USドル、人口:1.21億人で算出)。
図5 日本におけるPSEの総額と内訳の推移(兆円)
日本におけるPSEの総額と内訳の推移(兆円)
注1:OECD各種データの単位はUSドルのため、IMF「為替データ」を用いて日本円に換算して算出した
注2:「コメ_MPS」とは、コメの価格支持による間接的な負担を示す。
注3:「直接支払い」には品目ごとの区分がないことに留意が必要である。

出所:OECD各種データ・IMF「為替データ」より三菱総合研究所作成
また、PSE内訳のなかで最大の割合を占めるのは「コメ_MPS」である(1986年時点:全体の42%、2021年:24%)。さらにデータの制約上、「直接支払い」の品目ごとの負担額を示すことはできないが、直接支払いにおける水田農家を対象とする割合は高位であることが予想される(2021年:令和3年度の当初予算で「水田フル活用の促進」に3,050億円であり、PSEの「直接支払い」のうち約38%を占める※6)。以上から、日本農業保護における最大の負担は、水田に関連する負担だといえる。この結果は、日本人の主食はコメであるため、やむを得ない結果であるが、コメ・水田関連の政策検討は食料安全保障を考える上での重要項目であることがあらためて確認できた。

その水田関連のPSEであるが、35年前と比較すると減少していることが推定できる。2018年時点では水田関連のPSEは1.5兆円程度(コメ_MPS:約1.2兆円+直接支払い:「水田フル活用の促進」で約0.3兆円)である※7のに対して、1986~1988年時点では「コメ_MPS」だけで約2.2~3.3兆円※8であり、水田関連のPSEは減少したことが概算できる。また、2000年代後半からは多少の変動はあるものの、横ばいの傾向なのも水田関連のPSEの特徴である(「コメ_MPS」は横ばい。「直接支払い」は2007年:品目別横断的経営安定対策から、内容は変更しているが同規模予算の継続施策が実施されていることから大まかに横ばいとみなした)。

しかし今後も水田関連のPSEは横ばいの状況が続くとは限らない。当社【提言】食料安全保障の長期ビジョン 2050年の主食をどう確保するかでは、コーホート分析などを用いてコメ・麦の将来推計を行い、「生産者の減少により、2040年の成り行きの耕地面積は現状170万から77万ヘクタール(ha)に減少すると推計し、「食料安全保障上で必要な面積(113万ha)との差分を耕作する担い手の維持・確保が重要」と言及した。特段手段を講じずに成り行きで77万haになりうる状態から113万haへの「担い手の維持・確保」を目指すのであれば、今まで以上の政策誘導が必要になるであろう。つまり、その分の水田関連のPSEが上昇することになるのだ。

ただしPSEの国際比較の観点からは、日本が比較的高い状況にあることを踏まえ、「担い手の維持・確保の取り組み」を実現する際には、財政支出を追加するのではなく、その内容(政策誘導など)を組み替えることで、国民負担を増やすことなく食料安全保障を維持する必要があると考える。まとめると、①食料安全保障のための負担に対する国民理解に加えて、②国民負担をよりかからない方法での耕地面積維持の検討※9が引き続き必要である。当社としても国民負担額を考慮した上で、適切な政策などを引き続き検討したい。

※1:例えば、鈴木宣弘氏の「『日本農業は世界一保護されている』はフェイク?」や山下一仁氏の「農業を国民に取り戻すための6個の提言 —食料・農業・農村基本法見直しを機に農政を抜本的に正せ—」などが挙げられる。
https://seikatsuclub.coop/news/detail.html?NTC=1000000283(閲覧日:2023年8月24日)
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yamashita/133.html(閲覧日:2023年8月24日)

※2:「約3.2万円の負担」とは、国の予算として3.2万円ほどの負担をしているのではなく、「関税などを要因とした商品の高価格化」による負担も含む数値である。つまり、ほぼ同じ輸入品を低価格で購入できるにも関わらず、高価格の国産品を購入しているケースも「約3.2万円の負担」に含まれている。

※3:図2の数値が2018年時点のため、2018年時点の数値を提示した。食料自給率の出典は農林水産省「日本の食料自給率」
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html(閲覧日:2023年8月24日)

※4:農業者受取額とは農業粗生産額+直接支払い受取額で算出される。詳しくは、坪田邦夫氏の「東・東南アジア食料農業と農政変容(ノート)」を参照されたい。

※5:日本は、国際間の価格差による所得移転(MPS)の割合が高いので、為替レートにも多分に影響を受けている点に留意が必要(1986年:169円/USドルである一方で、2022年:110円/USドル)。ただし、関税などにより、円高の状況でも、より安い輸入品を利用していないという点で「負担」が大きかったとも解釈できる。

※6:2021年:令和3年度の当初予算で「水田フル活用の促進」に3,050億円であり、PSEの「直接支払い」のうち約38%を占めることを予想される。当初予算額の出所は農林水産省「令和3年度農林水産関係予算の重点事項」
https://www.maff.go.jp/j/budget/pdf/r3kettei_juten.pdf(閲覧日:2023年8月24日)

※7:「農業者戸別所得補償制度」で直接支払いが多かった2011年でも、水田関の直接支払いは当初予算で5,604億円(水田活用の所得補償交付金:2,284億円、米の所得補償交付金1,929億円、米価変動補てん交付金(24年度予算計上)1,391)であり、「コメ_MPS」を含めると、水田関連予算で1.7兆円ほどだと推計できる。予算額の出典は農林水産業「平成23年度農林水産関係予算の重点事項」
https://www.maff.go.jp/j/budget/2011/pdf/a02.pdf(閲覧日:2023年8月27日)

※8:1986~1988年時点でも転作補助金に関する政策があったため、水田に関する直接支払いは存在する。1986~1988年時点は「コメ_MPS」のみでも2018年よりも大きいため、説明は省略した。

※9:例えば、生産性向上により、同じコストでより大きい水田面積を経営できるようになれば、「国民負担を増やさずに目標面積113万haにつながる」ことになったといえる。