輸入小麦があるから国内小麦も安く買える

食料安全保障と農業のキホンの「キ」(2)

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2023.4.14

全社連携事業推進本部稲垣公雄

食と農のミライ
「ごはん」と「パン」の価格は同じなのに、原材料の「玄米」と「小麦」の価格には3倍の価格差がある。なぜ、国内小麦が輸入小麦と同程度の価格で作れるのか。最近、農作物の自給率向上の必要性がよく語られるようになったが、その価格決定のメカニズムを分解することを通じて、小麦の国内自給率を向上させた場合の食卓への影響を確認してみよう。

小麦の価格が決まるメカニズム

玄米と小麦の原価の構造の違いを理解するために、まず、輸入小麦の価格が決定されるメカニズムを確認しよう。国内約600万トンの需要の大半を占める500万トンの輸入小麦は、ほぼ全量を政府が買い付けし、国内製粉メーカーなどに売り渡している。その価格を「政府売渡価格」とよび、2023年4月からの1トン当たりの価格が7万6,750円に決定した※1。この政府売渡価格は、政府が「海外から輸入した買付価格」に、港湾経費と「マークアップ」という「輸入差益」を上乗せして決定されている。通常、政府売渡価格と輸入買付価格の間には、1トン当たりおおむね2万円程度の差益が発生するように設計されている(ちなみに、本年4月からの価格決定のための直近半年間の算定期間の政府の買付価格は、前半がおおむね1トン当たり6万円台、後半は同5万円台であり、政府売渡価格を抑えるために、差益が通常より圧縮されている)。

コメに比べて国内小麦を安く販売できる理由がここに隠されている。実は、麦や大豆などの生産農家に対して政府は、「畑作物の直接交付支払い金(通称「ゲタ政策」)」という補助金を年間約2,000億円程度支給している(2023年度予算額で1,984億円)。生産量や収量などにより変動はあるが、小麦の場合の平均交付単価は60kg当たりおおむね6,000円程度、1トン当たり約10万円である。

この補助金が販売価格に上乗せされることで、農家の収入はようやく約15万~17万円となる。前回のコラムで玄米の取引価格を1トン当たり約20万円だと紹介した。この補助金があることで、農家としては、小麦を生産してもコメに近い収益が取れるようになるのである。農家から見れば国内で生産する限り単位当たりの生産コストは、コメも小麦それほど大きくは変わらない。もしも農家の収入が3分の1になってしまうようであれば、小麦を生産することはほぼ不可能である。

察しのよい読者はお気づきだと思うが、この原資となっているのが「政府売渡価格と輸入買付調達価格の差分」である。500万トンの小麦輸入に対するマークアップ差益が1トン当たり2万円とすると、100万トンの国内生産に対して、ちょうど同10万円の補助金を拠出することが可能になる。

小麦自給率100%には6,000億円の追加国民負担

つまり、500万トンの輸入小麦は1トン当たり5万円で調達できているが、「あえて7万円で国内流通させることで100万トンの国内生産を維持させている」ということになる。そのコストは総額としてどれぐらいなのか。

図表1では、現状の国内で消費者が小麦原価に支払っている金額、すなわち政府売渡価格・卸販売価格の合計4,200億円に対して、全て輸入で賄った場合、全て国内生産で賄った場合それぞれのコストを試算した。現状のコストは4,200億円だが、最も比較優位のある「全て輸入小麦」となった際のコストは3,000億円。現状は1,200億円分、消費者の負担が増えていることがわかる。この1,200億円のコストによって、国内の小麦生産100万トンが賄われており、そのために必要な約20万ha程度の農地が保全されていると考えることができる。600万トン全体でみると小麦1kg当たり約20円の消費者負担増、保全面積でいえば、1ha当たり60万円(ちなみに4haがおおよそ東京ドーム1つ分)のコストとなる※2※3

その一方で、食料自給率を高める視点から全て国内生産とした場合、あくまで単純計算だが、現状よりも約6,000億円の消費者・生活者の負担増が生じることが見込まれる。小麦1kg当たりに換算すると、約100円の負担増となる(現在の店頭価格が1kg当たり333円であるため、最低でも同433円、多少の追加的経費を含めると、おそらく同500円程度にはなるだろう)。この消費者負担によって保全できる農地は、理論上120万haまで増えることになる※4※5
図表1 輸入小麦・国内生産小麦の数量と単価・総額の関係
輸入小麦・国内生産小麦の数量と単価・総額の関係
出所:三菱総合研究所

食料価格・国内生産維持バランスをいかにとるか

前述の6,000億円の負担増は、単純に計算すると国民1人当たり年間6,000円の負担増と等しい。日本全体の財政状況を考えたときに、現実的な選択肢になるとは考えにくい。「食料自給率をあげよ」というのは一見すると正論であるように見えるが、(コメにしろ麦にしろ、1トン当たり15万~20万円で販売できなければ成り立たないという)現状の国内農業の生産性を前提とした場合、食料自給率の向上は国民負担増大に直結することを忘れてはならない。

しかしながら、だから今のままでよいという話でもない。現状の成り行きに任せた場合、国内生産力が弱体化することで、これまで以上に輸入を増やさなくてならない状況が想定される。今回のロシア・ウクライナ紛争後に、一部の途上国で食料危機が懸念される状況に陥ったのは、2000年代以降、国内生産価格と輸入価格の関係から、ロシア・ウクライナからの穀物輸入の依存度が高まっていたという経緯が背景にあり、この事実を反面教師とする必要がある。

重要なのは、輸入と国内生産の平時の状況・コスト構造、将来のリスクを見据えたうえで、国内農業生産をどれぐらいのコストをかけて、どの程度維持すべきと考えるか、戦略的な対応を行っていくことである。将来の輸入途絶の可能性を確認しつつ、最適な国内生産、輸入のバランスを模索し続ける必要がある。

現状、国内需要のうち、700万トンのコメは100%自給できており、600万トンの小麦については、500万トン輸入、100万トンを国内生産、というバランスである。悪天候などによる不作への対応を考えると、実はほぼ「ちょうど」100%の自給状態、というのは食料安全保障上、必ずしも安定した状態ではない。友好国である小麦の輸入先の生産が安定的である限りは、コメ・小麦という主食に関する食料安全保障のバランスは、現状は必ずしも悪くないとみることができるだろう。しかしながら、前述のとおり、国内生産力の低下により、中長期的にこのバランスが崩れていく可能性がある。そのリスクがどの程度あるのか、そして、そのリスクを見据えた将来の最適水準の在り方については、別の機会にあらためて提案していきたい。

最後に本コラムでは国内の農業の生産性について、ある一定の仮定を置いていることを付言しておきたい。端的にいえば、「国内のコメや麦などの土地利用型の農業生産性の改善には上限があり、欧米の農業先進国に対して国内農業の生産性は劣後せざるを得ない」ということである。次回コラムにおいては、この生産性について考えてみたい。

※1:日本経済新聞(2023年3月14日)「輸入小麦の価格抑制続く 4月改定、13.1%上げを5.8%に」。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA144P30U3A310C2000000/(閲覧日:2023年3月27日)

※2:小麦の単位面積当たりの収穫量(収量・単収)は、10a(0.1ha)当たりおおむね350kg~550kgとされる。仮に同500kgとすると100万トンの収穫に必要な農地面積は20万haと試算される。

※3:図表1および本段落での数字は、あくまでも理論上の試算値である。個別の詳細な数字は実績値と完全に整合しているわけではなく、全体像を大きく把握するためのものであると理解されたい。

※4:6,000億円÷600万トン=100円/kg。したがって、現在333円/kgの小麦粉が500円/kgになれば、理論上小麦の自給率は100%を達成することができる。ただし、当社としては現段階で「だから自給率は維持できる」とか「だから小麦粉の価格をあげよ」ということを主張したいのではない。食料自給率の維持・向上と国民負担・その拡大には相反した関係性があり、具体的な費用対効果について、国民の共通理解が重要だ——というメッセージだと理解して頂きたい。

※5:500kg/10aで仮定すると600万トン生産に必要な農地は120万ha。ただし、国民負担の増加により、現状500万トンの輸入を国内生産に切り替えることにより、100万haの農地が追加的に保全できる、というのはあくまでも理論上の話である。この実現に向けて、どこから100万haを調達するのか。どこから耕作してくれる経営体を連れてくるのか(10万経営体においてそれぞれ10haの生産増、ないしは1万経営体で100haの生産増を実現する必要がある)。そんな余裕のある農地も経営体も、現状の日本国内には存在しない。そもそもコメと異なり、小麦は全国どこでも生産できる、という作物ではない。連作障害もあるため、全国合計でも数十万トン単位での増産をはかることは、一朝一夕にできることではないだろう。(一方でコメであれば、体感的には全国で数十万、100万トン単位での増産は可能だろう。コメ余りの問題は、一方では、農業生産の冗長性として食料安全保障を担保している一面があるということも、付言しておきたい。)

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