—— 早速ですが、簡単に野球選手としての経歴を教えてください。
寺嶋 小学校1年生の時に母親に勧められたことが、野球を始めたきっかけでした。集中力がなかったせいか、いろいろなポジションを経験しましたが、最終的には、常に「集中」することが求められるキャッチャーに落ち着きました。東京の地元中学を経て、静岡県の興誠高校(現在の浜松学院高校)にスポーツ推薦で進学。高校時代は甲子園には縁がありませんでしたが、創価大学では1年生の秋から正捕手としてリーグで活躍しました。大学での実績が認められて、2014年秋のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに4巡目指名となり、プロ入りを果たしました。ただ、入団後はあまり結果を残せず、3年目のシーズン終了後に戦力外通告を受け、現役引退となりました。
—— 引退のきっかけは戦力外通告を受けたからということですね。プロ野球で結果を出せなかった要因は何だったのでしょうか。
寺嶋 私自身の問題ですね。野球を始めたそもそもの動機は母親の勧めでした。いつしか母親の「プロ選手になってほしい」という夢が、自分の夢となっていました。プロになることがゴールになっていたのです。プロに入ってどうするのか、どうしたいかよりも、「プロになるのだ」ということしか考えられなかったのです。
—— 大学生や社会人1年目によくある「バーンアウト」現象なのでしょうか。子供時代からの夢が叶って、燃え尽きてしまった……。
寺嶋 そうです。プロ1年目は浮かれた気持ちのままシーズンが終わりました。2年目の後半で、ようやくプロの現実を直視しました。3年目になって、それまで以上に真剣に野球と向き合いました。長年プロ選手として活躍している方々と比較すればまだまだかもしれなかったですが、3年目の1年間はやり切ったと言えるほど、野球に向き合ったと思います。その後引退しましたが、やり切ったので引退すること自体に悔いはありませんでした。