元プロ野球選手 寺嶋寛大氏 セカンドキャリアインタビュー

野球人から社会人への転換と苦悩。
苦しいときのアクションこそがご縁と共にターニングポイントとなる。

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2020.6.26
現役引退により、生活の大部分を占めていた野球から離れて、野球と自分を客観的に分析。キャッチャーの経験を活かした自己分析によって、自らの弱さを浮き彫りにし、課題を明確化。
答えがない問題を自らがどう考えるかという力。社会人として、もがきながらも未来を創ろうとしている寺嶋寛大さんにインタビューをした。

指示待ちからの脱却の苦悩

—— 早速ですが、簡単に野球選手としての経歴を教えてください。

寺嶋 小学校1年生の時に母親に勧められたことが、野球を始めたきっかけでした。集中力がなかったせいか、いろいろなポジションを経験しましたが、最終的には、常に「集中」することが求められるキャッチャーに落ち着きました。東京の地元中学を経て、静岡県の興誠高校(現在の浜松学院高校)にスポーツ推薦で進学。高校時代は甲子園には縁がありませんでしたが、創価大学では1年生の秋から正捕手としてリーグで活躍しました。大学での実績が認められて、2014年秋のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに4巡目指名となり、プロ入りを果たしました。ただ、入団後はあまり結果を残せず、3年目のシーズン終了後に戦力外通告を受け、現役引退となりました。

—— 引退のきっかけは戦力外通告を受けたからということですね。プロ野球で結果を出せなかった要因は何だったのでしょうか。

寺嶋 私自身の問題ですね。野球を始めたそもそもの動機は母親の勧めでした。いつしか母親の「プロ選手になってほしい」という夢が、自分の夢となっていました。プロになることがゴールになっていたのです。プロに入ってどうするのか、どうしたいかよりも、「プロになるのだ」ということしか考えられなかったのです。

—— 大学生や社会人1年目によくある「バーンアウト」現象なのでしょうか。子供時代からの夢が叶って、燃え尽きてしまった……。

寺嶋 そうです。プロ1年目は浮かれた気持ちのままシーズンが終わりました。2年目の後半で、ようやくプロの現実を直視しました。3年目になって、それまで以上に真剣に野球と向き合いました。長年プロ選手として活躍している方々と比較すればまだまだかもしれなかったですが、3年目の1年間はやり切ったと言えるほど、野球に向き合ったと思います。その後引退しましたが、やり切ったので引退すること自体に悔いはありませんでした。
—— 現役時代に引退後を見据えて考えていたことや、取り組んだりしたことはありましたか?

寺嶋 特に取り組んでいませんでしたね。そんな余裕もありませんでした。まずは試合に出ること、目の前のことを追うことだけを考えていました。
引退した今、振り返ってやっておけば良かったと思うことはありますよ。「勉強」ですね。特に「考える力」を養うことがもっと必要だったと感じます。

—— 「考える力」ですか?

寺嶋 野球を離れてからよくわかったことの一つが、野球は他の競技よりも「命令」で動くことが多いスポーツだということです。例えば、監督のサインに対して、(選手は)やれて当たり前、やれないとダメ。そういう動き方、見られ方が強いのが野球です。基本的に指示に対して忠実に実行できる人でなくてはいけないのです。ですから、野球選手は他の競技に比べて、恐らく根本が指示待ちなのだと思います。こうした野球の世界観で生きてきたため、引退後に社会に出ても、指示を出してもらえないと動きにくいことが自分でわかりました。しかし、現実の社会では丁寧で具体的な指示を出してくれる人はほとんどいないことにも気づきました。 
©Chiba Lotte Marines
©Chiba Lotte Marines
—— 確かに野球は個々の役割が明確です。

寺嶋 「右に打て」と監督から言われたら、右に打てて当たり前、左に打ったら怒られる。その中では、勝手なプレーは許されません。それが野球。右に打てと言われて打てなかった時に、初めてどうしたら右に打てるのかを考えるのです。野球というゲームの中では、与えられた専門分野をやれと言われてしっかりやれる人が重宝される。命令されたことを忠実にこなせる選手こそがまず評価される。これは他の競技にない特殊性です。

—— 寺嶋さんはプロに入団されたほどですから、命令に忠実に実行できる選手であったと思いますが。同時に、成果を上げるためにどうすればいいのかも考えてこられたからこそ、プロ選手になれたのではないでしょうか?

寺嶋 私も、野球の世界では、自然にできてしまっていたところも多くあったと思います。もちろん、うまくいかない場合は、どうすれば良いのかを考えて、その都度乗り越えてきました。ただ、それは、着地点が明確な野球という枠の中での考えです。野球から一歩離れると、何をして良いのかわからなくなってしまうのです。着地点が見えないからどこに向かえば良いのかわからなくなってしまう。だから指示が欲しくなる。具体的な指示をもらって、それをやろう。それに対してどういう戦術、戦略を練ろうと考えてしまう。

—— 引退後のセカンドキャリアを考える時は、まさにそのような状況だったということですね。

寺嶋 他のスポーツ・アスリートからは、「違う競技を経てこの競技にたどり着いた」という話も聞きますが、野球をやっているアスリートは野球一筋という人がほとんどです。また、他の競技をやっていたとしても、野球のために他の競技を取り入れるという考えに基づいており、軸が野球になっていることがほとんどです。そのため、発想力が乏しくなってしまうのです。そして、野球は先にも言った通り指示待ちで、指示されたことができるか否かという傾向が強い世界。だから、引退して社会人として好きなことをやれと言われても、何をすればいいかわからないのです。でも、それは甘えであることも知っています。だから、結果的に「勉強」しておけば良かったと思うのです。こうなった時にはこうすれば良いという「考える力」を、早い段階から身につけておけば良かった。答えがない問題に立ち向かう力ですね。その点が極端に弱かったことを痛感しています。
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