元プロ野球選手 寺嶋寛大氏 セカンドキャリアインタビュー(3)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2020.6.26

「意志」があって『志事』が生まれる

—— キャッチャー時代の思い出は何ですか?

寺嶋 実は、キャッチャーはずっとやりたくなかったのです。痛いし、怖いし、嫌々でした。小学校低学年の時に、常に集中できるポジションということでキャッチャーになりましたが、高学年に上がった際、上級生にキャッチャーがいたので別のポジションの空きができた際は正直嬉しかったですね。ただ自分が上級生になると、再びキャッチャーをすることになりました。実は、中学ではキャッチャーをやっていたことを秘密にしていたのですが、新人戦でキャッチャーが全員怪我をしてしまい、自分がキャッチャーをやることになったのです。高校では、野球推薦でしたので、自ずとキャッチャーになりました。
大学で、小川泰弘さん(現ヤクルトスワローズ:2年先輩)と初めて出会って、キャッチャーが面白いことに気がつきました。一番の面白さは、自分の思った通りに投球全体を制御できること。そして作戦どおりにバッターを打ち取ることの嬉しさ。一球の重さとか、キャッチャーの醍醐味ですね。そういったことを体験しました。小川さんが良く言っていたのは、「意志がない球は打たれる」ということでした。「意志のないサインは打たれるのだな」と認識しました。

—— 「意志」があって『志事』が生まれる。大学時代の小川氏との出会いはターニングポイントですね。苦しくてもキャッチャーを継続してきたからこそのご縁です。

寺嶋 大学時代は、投手に恵まれました。4年間でバッテリーを組んだ4名がプロ入りしています。小川泰弘さん、石川柊太さん(ソフトバンク:1年先輩)、田中正義さん(ソフトバンク:1年後輩)、池田隆英さん(楽天:1年後輩)です。お陰で、僕自身もプロに入れました。彼らのような150キロの球を投げられる投手の配球を、僕が思い通りに操れたのは、組んでいた投手がすごかったからであり、僕は楽をして評価されプロ選手になれてしまったのです。しかし、その当時は、自分の実力と勘違いしていました。それに気づいたのが、プロ2年目の後半だったということです。


—— 野球での経験がいまの社会人生活で活かせることもあり、未来への可能性に期待が持てるのではないでしょうか。

寺嶋 「命令野球」、自分の意志からのスタートではないこと、何かがないと考えられないという「指示待ち」姿勢、きっかけがないと進めない性質など、野球で経験したからこそ、身に染みてわかったことはたくさんありました。よく考えてみれば、社会人も同じです。自分がこういうスタイルだからダメではなく、こういうスタイルであるならどうするべきかを考えて、進化を目指したいです。まだまだ経験が足りていないのです。でも、そんな自分のために、保険に加入してくれる人もいます。お客さまを裏切ることはできません。指示がなくても、考え行動ができる人になれるように頑張ります。

—— 社会人になった今、保険の仕事以外で何か活動や取り組まれていることはありますか?

寺嶋 海の家の手伝いをした話をしましたが、そのご縁から、海の家がある千葉県白子町の地域創生を考えるメンバーとして活動しています。白子町は、九十九里浜に面した立地で、テニスコートがたくさんあり、多くの小中高生のテニス大会が開かれている町でもあります。テニス以外でも注目されて観光客を誘致したいという地域社会課題があり、町おこし企画などを考えています。ボランティア活動ではありますが、新しいアイデアを考え、地域活性のために何か貢献したいという「志」で参加しています。

—— それは、指示されたから始めた活動ではありませんね。

寺嶋 最近になってようやく、「志」を持って従事することの意味がわかってきました。これまで、やるべきことが明確でないと路頭に迷ってしまう指示待ち気質でしたが、明確になると没頭してしまう気質があることも、わかってきました。野球をやっていたからこそ身に付けていた強みですが、自分がその強みを理解していれば、他の活動でも宿すことができる。保険代理店業としても、また地域創生活動も、未来へワクワクがつくれている気がしています。千葉ロッテマリーンズには十分貢献できませんでしたが、違う形で千葉に貢献したいと思います。
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写真:Yusuke Abe
寺嶋寛大(てらしま・かんだい)プロフィール

1992年10月12日生。東京都豊島区出身。小学校1年生より大塚スネイクスで野球を始め、6年生の時に全国大会出場。中学生では中野シニアに所属。高校は静岡県の興誠高校(現在の浜松学院高校)に進学し2年生からレギュラー。高校通算26本塁打。甲子園経験はなし。創価大学でも1年生よりレギュラー。3年生の時に東京新大学野球リーグ・秋季リーグで首位打者(打率.432)とベストナイン(捕手)、4年生時には主将を務め、春季リーグで最高殊勲選手、最多打点(14打点)、ベストナイン、秋季リーグではベストナインをそれぞれ受賞した。1年生時の秋季から4年生時の秋季までチームは7季連続でリーグ首位。2014年第63回全日本大学野球選手権大会ではベスト4(全試合4番捕手で先発出場)。2014年10月23日プロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに4巡目で指名され入団。背番号35。新人の中で1番に個人グッズが販売された。新入団選手の個人グッズがシーズン開幕前に発売されたのは球団初。2015年から2017年の実働3シーズン。2018年クラブチームのREVENGE99でプレー。2018年末より野球を完全に引退し、株式会社M&Iコンサルティングファーム(保険代理店・個人事業主)ライフパートナーとして社会人生活を始めた。また千葉県白子町の地域創生活動に従事。
取材・文 : 小村大樹(おむら・だいじゅ)
草創期のメンタルトレーナーを経て、総合学園ヒューマンアカデミー、一般社団法人日本トップリーグ連携機構などに従事。
現在は、NPO法人スポーツ業界おしごとラボ理事長・小村スポーツ職業紹介所所長。
株式会社三菱総合研究所 アスリートキャリア支援事業プロジェクトに協力。

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