川嶋奈緒子氏の直属の上司にあたりテレビ朝日スポーツ局で川嶋氏と一緒に仕事をされている課長の菊岡大輔(きくおか・だいすけ)氏と、川嶋氏が所属する東京サウンド・プロダクション役員待遇制作部長の伊藤泰久(いとう・やすひさ)氏に、上司としてのお考えを伺いました。
—— 菊岡さんにお伺いします。川嶋さんの第一印象はいかがでしたか?
菊岡 競技引退後にテレビの世界に来る元アスリートというと、出演側を希望する人が多く、川嶋のように裏方というか番組を支える側を希望する人は少ないので、新鮮な驚きはありました。実は川嶋のことは選手時代から取材を通じて知っていました。他競技と比べてもシンクロの練習量は圧倒的に多く、1日10時間を超える練習はザラです。取材者である自分が練習を見ているだけでも疲労困ぱいになるぐらいの内容で、この過酷な練習についていく選手たちの根性と体力には感心させられました。2006年に川嶋が足の指を骨折した時も現場にいましたが、その時は、2年後に彼女と一緒に仕事をすることになるとは、夢にも思ってもいませんでした。
—— 川嶋さんが北京五輪後に入社するにあたり、迎える上司としてどう思われましたか?
菊岡 北京五輪終了後の2008年10月にスポーツ取材を一から学びたいということでADとして、ビジネスパーソンとしての新たなキャリアはスタートしました。しかしながら、テレビ業界のADといえば当時から褒められた労働環境ではなく、就業時間は不規則で雑務も多く休日も少ない。世界水泳やオリンピックでメダルも獲得しているトップアスリートに果たして務まるのか、仕事は続くのか、直属の上司としては不安の方が多かったです。
—— 川嶋さんの入社当時の働きぶりはいかがでしたか?
菊岡 川嶋は何でもチャレンジしてくれました。ADというのは雑務が多く、定着率も低いのですが、私の想像以上に努力してくれて、周囲のメンバーも川嶋の頑張りにびっくりしていました。テレビ業界は特殊な労働環境でもあるので、初めは戸惑いもあったかと思います。その中で、彼女の強みの一つだったのが、シンクロで培った圧倒的な体力。五輪や世界水泳など2週間を超える長期中継で、最後にモノをいうのは体力です。途中で体調を崩す若手が多い中、平然と業務をこなす姿は印象的でした。時にダウンして机に突っ伏す姿を見かけることもあり、「この作業を元トップアスリートにやらせて良いものか?」といった葛藤を抱えたときも正直ありました。
—— 育成について留意されたことはありますか?
菊岡 ADには画像を決める前に原稿を書く「構成」という仕事があります。川嶋が「国語力が弱く、文書作成が苦手」と言っていたとおり、確かに原稿は書けなかったのですが、多くの新人が経験する壁ですので指導をした記憶があります。そして、育成していく上で最も気を付けたのは、変に型にはめようとしないことでした。元アスリートということで、僕らとはまた違った感性を持ち、競技への思いや愛も深いので、そこを失わずに新しい形のディレクター像を模索していってほしいと思っていました。
—— 「新しい形のディレクター像」とは、具体的にはどのようなことを指導されたのですか?
菊岡 元アスリートならではの目線や分析力は彼女の大きな強みです。特にシンクロとフィギュアスケート、新体操などの「採点競技」では大きな力を発揮してくれています。「採点競技」の中でもシンクロは専門性が高く、取材者の僕らにとっても演技の良しあしを客観的に判断するのが難しく、彼女の見立て・分析に頼る部分は非常に大きかったです。2年に一度「世界水泳」を中継しているテレビ朝日にとって、シンクロは非常に大切なコンテンツで、事前リサーチや各国の戦力分析、メダル予想、実況・解説の資料作りなどが大きな肝になります。2009年の世界水泳の業務を通して、彼女はテレ朝スポーツに欠かせない存在になっていきました。
—— 確かに元選手だからこそ知りえる情報や分析力を持つ人材が制作側にいることは大きな強みになりますね。
菊岡 さらに取材においても同様に能力を発揮してくれています。試合前の選手たちはナーバスで取材には難しい面もあります。しかし、彼女はコーチ陣、代表選手からの信頼も厚く、他局にはない数々の独自取材に成功しています。中継に向けた事前の企画VTRや紹介VTR作りでも力を発揮しています。
—— 川嶋さんの人柄も武器となって頼もしいですね。企画面に関しても今までにない強みは発揮されましたか?
菊岡 2009年の世界水泳前には、大会の盛り上げとシンクロの普及を兼ね、川嶋にしかできない業務にあたってくれました。テレビ朝日のアトリウムに設置された巨大な水槽の中で、子どもたちの前でのシンクロの演技を披露しました。連日ハードな実演会をこなしてくれました。基礎体力を取り戻すため、通常業務をこなしながらトレーニングにも励んでいたようです。
—— シンクロ盛り上げ企画ですね。川嶋さんも思い出深いエピソードとされていました。その後のお仕事の状況はいかがでしたか。
菊岡 競技引退後にテレビの世界に来る元アスリートというと、出演側を希望する人が多く、川嶋のように裏方というか番組を支える側を希望する人は少ないので、新鮮な驚きはありました。実は川嶋のことは選手時代から取材を通じて知っていました。他競技と比べてもシンクロの練習量は圧倒的に多く、1日10時間を超える練習はザラです。取材者である自分が練習を見ているだけでも疲労困ぱいになるぐらいの内容で、この過酷な練習についていく選手たちの根性と体力には感心させられました。2006年に川嶋が足の指を骨折した時も現場にいましたが、その時は、2年後に彼女と一緒に仕事をすることになるとは、夢にも思ってもいませんでした。
—— 川嶋さんが北京五輪後に入社するにあたり、迎える上司としてどう思われましたか?
菊岡 北京五輪終了後の2008年10月にスポーツ取材を一から学びたいということでADとして、ビジネスパーソンとしての新たなキャリアはスタートしました。しかしながら、テレビ業界のADといえば当時から褒められた労働環境ではなく、就業時間は不規則で雑務も多く休日も少ない。世界水泳やオリンピックでメダルも獲得しているトップアスリートに果たして務まるのか、仕事は続くのか、直属の上司としては不安の方が多かったです。
—— 川嶋さんの入社当時の働きぶりはいかがでしたか?
菊岡 川嶋は何でもチャレンジしてくれました。ADというのは雑務が多く、定着率も低いのですが、私の想像以上に努力してくれて、周囲のメンバーも川嶋の頑張りにびっくりしていました。テレビ業界は特殊な労働環境でもあるので、初めは戸惑いもあったかと思います。その中で、彼女の強みの一つだったのが、シンクロで培った圧倒的な体力。五輪や世界水泳など2週間を超える長期中継で、最後にモノをいうのは体力です。途中で体調を崩す若手が多い中、平然と業務をこなす姿は印象的でした。時にダウンして机に突っ伏す姿を見かけることもあり、「この作業を元トップアスリートにやらせて良いものか?」といった葛藤を抱えたときも正直ありました。
—— 育成について留意されたことはありますか?
菊岡 ADには画像を決める前に原稿を書く「構成」という仕事があります。川嶋が「国語力が弱く、文書作成が苦手」と言っていたとおり、確かに原稿は書けなかったのですが、多くの新人が経験する壁ですので指導をした記憶があります。そして、育成していく上で最も気を付けたのは、変に型にはめようとしないことでした。元アスリートということで、僕らとはまた違った感性を持ち、競技への思いや愛も深いので、そこを失わずに新しい形のディレクター像を模索していってほしいと思っていました。
—— 「新しい形のディレクター像」とは、具体的にはどのようなことを指導されたのですか?
菊岡 元アスリートならではの目線や分析力は彼女の大きな強みです。特にシンクロとフィギュアスケート、新体操などの「採点競技」では大きな力を発揮してくれています。「採点競技」の中でもシンクロは専門性が高く、取材者の僕らにとっても演技の良しあしを客観的に判断するのが難しく、彼女の見立て・分析に頼る部分は非常に大きかったです。2年に一度「世界水泳」を中継しているテレビ朝日にとって、シンクロは非常に大切なコンテンツで、事前リサーチや各国の戦力分析、メダル予想、実況・解説の資料作りなどが大きな肝になります。2009年の世界水泳の業務を通して、彼女はテレ朝スポーツに欠かせない存在になっていきました。
—— 確かに元選手だからこそ知りえる情報や分析力を持つ人材が制作側にいることは大きな強みになりますね。
菊岡 さらに取材においても同様に能力を発揮してくれています。試合前の選手たちはナーバスで取材には難しい面もあります。しかし、彼女はコーチ陣、代表選手からの信頼も厚く、他局にはない数々の独自取材に成功しています。中継に向けた事前の企画VTRや紹介VTR作りでも力を発揮しています。
—— 川嶋さんの人柄も武器となって頼もしいですね。企画面に関しても今までにない強みは発揮されましたか?
菊岡 2009年の世界水泳前には、大会の盛り上げとシンクロの普及を兼ね、川嶋にしかできない業務にあたってくれました。テレビ朝日のアトリウムに設置された巨大な水槽の中で、子どもたちの前でのシンクロの演技を披露しました。連日ハードな実演会をこなしてくれました。基礎体力を取り戻すため、通常業務をこなしながらトレーニングにも励んでいたようです。
—— シンクロ盛り上げ企画ですね。川嶋さんも思い出深いエピソードとされていました。その後のお仕事の状況はいかがでしたか。