—— まずフィギュアスケートを始めたきっかけから教えてください。
加藤 私は名古屋出身でスケートが盛んな町で生まれました。近所にスケートリンクがあり、毎年冬休みにそこで開かれるスケート教室に、小学校3年生で初めて参加しました。最初は12級からスタートするのですが、私はトントン拍子に1級まで取得してしまい、その教室で指導をしていた先生に勧められて、小学校4年生から本格的にフィギュアスケートを習い始めました。
—— 名古屋は有名なフィギュアスケート選手を多く輩出している地域ですし、もともとセンスがあったのでしょうね。
加藤 小学生のころは、スケート以外にも、水泳、新体操などいろいろなスポーツをしていました。フィギュアスケートの表現力を磨くためにジャズダンスも習っていました。小学生のときから踊ることや表現することが好きだったようです(笑)。母親がミュージカル好きで、劇団四季などの舞台を見に行くことが多かったのも影響しているかもしれません。
—— いろいろな競技の中で、フィギュアスケートを選んだ動機は何だったのでしょうか。
加藤 小学校6年生のときに、家族と話し合い、続ける競技を一つに絞りました。踊ることが好きだったので、フィギュアスケートか新体操かで悩んだ結果、地元名古屋で盛んなフィギュアスケートを選びました。中学生からは小塚嗣彦・幸子夫妻がコーチを務めるオリオンフィギュアスケーティングクラブに所属しました。
—— 小学生のころから表彰台に立たれていたのですか。
加藤 いえ、入賞がやっとで、表彰台に立つ選手ではありませんでした。私は遅咲きタイプであると自負しています。中学生までは芽が出ませんでしたが、高校1年生でダブルアクセルが飛べるようになり、成績も伸びるようになりました。今の選手たちはジャンプをドンドン飛びますが、当時はダブルアクセルを飛べるか否かが大きなキーで、差がつくポイントでした。
—— 遅咲きとは意外ですね。当時はダブルアクセルがポイントだったのですね。
加藤 インターハイの出場資格は日本スケート連盟フィギュアスケーティングバッジテストの各級によって定められており、私は6級の部門で1位になることができました。その上の7級の部門に出場するためにはダブルアクセルが必須だったので、やっと飛べるようになったときはうれしかったですね。
—— 高校生のとき、1999年第11回小塚トロフィー(小塚杯)で優勝されています。第1回優勝者は伊藤みどりさん、前回の第10回優勝者は鈴木明子さんです。この大会での優勝は自信になったのではないでしょうか。
加藤 この大会は、私の恩師の小塚嗣彦先生のお父さまである小塚光彦氏を記念したもので、ジャンプではなく、表現力のみで審査することが特徴です。私の課題であったジャンプが求められなかったのが幸いしました(笑)。
—— 本来のスケーティングと表現力のみで争う大会で、加藤さんの基本的な技術と素地が高く評価されたのですね。同世代はフィギュアスケートブームを巻き起こした選手たちがひしめいていたと思います。
加藤 そうですね。村主章枝さんは2歳上、荒川静香さんは1歳上で、鈴木明子さんは2歳後輩に当たります。同期は恩田美栄さんです。またオリオンフィギュアスケーティングクラブの後輩に安藤美姫さんもいます。フィギュア選手は他競技と比較して上下関係が厳しくなく、ライバル関係でもリンクを離れると仲良くしていました。