元フィギュアスケート選手 加藤え美子氏 セカンドキャリアインタビュー(2)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2021.3.11

氷上から地上の表現者へ。新たなセカンドキャリアに挑む

—— 29歳のころに過食症は完治しましたが、そこからのセカンドキャリアを、どう歩まれようと思われましたか。

加藤 過食症が治っても自分に自信がもてませんでした。その後の人生を考えようとしますが、何も思いつきません。今までの自分を振り返ったときに、一貫して表現者でありたいと思っていたことに気付きました。今度は氷上ではなく、地上での表現者としてチャレンジしてみたいと。ブランクの長さや年齢的な迷いもありましたが、現実に向き合えるようになった自分を感じたのです。

—— 「地上」の表現者へのチャレンジは何から始めたのですか。

加藤 ブランクもあるため基礎から表現力を磨きたいと思い、2017年秋から総合学園ヒューマンアカデミー名古屋校パフォーミングアーツカレッジに入学しました。2019年3月に卒業したのですが、在学中に校舎内で行われたプロダクション東京ドラマハウスという芸能事務所のオーディションを受け、合格することができました。そして、2019年4月に活動の拠点を東京に移しました。

—— 約1年半のレッスンでオーディションに合格するというのはすごいことですね。過食症が治ったとはいえ、一人暮らしに対する不安はありませんでしたか。

加藤 まったくありませんでした。むしろ東京での生活に未来の可能性を抱いて上京しました。唯一気になっていたことは年齢的なことでしたが、女優や俳優などの表現者に年齢は関係ないと割り切りました。チャレンジができる未来への期待値の方が上回っていました。

—— 演技は年齢ではないですし、加藤さんの場合はフィギュアスケートで培った素地がありますので、事務所にとっても違う意味での期待感はあったと思います。入所されていかがでしたか。

加藤 事務所に所属をしたからといってすぐに仕事がもらえるわけではなく、演技レッスンを受けながら力を付けていきました。もともとダンスは好きでしたが、同じ踊りでも今まで触れたことのない「和の踊り」である日舞も始めました。殺陣(たて)にも挑戦したいと思っています。

—— 初めての仕事は何でしたか。

加藤 2019年冬に、映画のエキストラの仕事をいただきました。これが初めての現場経験でした。とても寒い日でしたが、何時間も屋外で撮影しました。大勢の中での一人ですので、全体の呼吸を合わせなければいけない大変さを知りました。進行の段取りやカメラワークなど、撮影の裏側を見ることが初めてでしたので、新鮮でした。現場を体験したことにより、もっと自分に磨きをかけて、近い将来、役名がもらえるポジションになれるように頑張ろうと思いました。

—— 加藤さんの現在の上司(指導者)はどのような方ですか。

加藤 プロダクション東京ドラマハウスの代表である井口成人さんです。第一印象は、何に対しても自分を抑えず表現する「すごく熱い人」です。これは私と真逆で、私は自分が思っていることをはっきり言えずに閉じこもるタイプですが、井口さんは思ったことをはっきり言いますし、自分がコレだと思ったことはすぐに実行されます。私がもっていないものをもっているという意味での熱い人です。演技に対しても思いが深く、厚みがあり、強い。とても尊敬していますし、私も自分の意志を熱く伝える人になりたいと思っています。

—— 良き恩師であり目標となりますね。上京してきて1年以上がたちましたが、何でも話せる友人はできましたか。

加藤 一緒にレッスンをする仲間やアルバイト先で、何でも話せる友人ができました。過食症を乗り越えるときに思っていることを打ち明ける大切さは学びましたので、意識的にためこまないで、言うときは言うように心掛けています。両親とは毎日のように連絡を取り合い、なるべく自分から発信するようにしています。
—— 2020年から現場経験が増える中で、出演する舞台が新型コロナウイルスの影響で中止延期となったそうですね。そのような状況下でも前向きに取り組まれていることがあるとのことですが。

加藤 現状を嘆いても仕方がありませんので、さらに磨きをかける時期であると前向きに受け止め、現在は「気持ちを出す」「感情を放つ」という私がとても苦手としているところの練習に取り組んでいます。まだまだ上手にできませんが、少しずつ成長していく過程を感じられることがとてもうれしく、これからの自分の可能性を実感しています。

—— 自分の内情を押し殺して取り組んでいた選手時代とは異なり、自分の可能性とポジティブに向き合っていらっしゃるのですね。過食症だったからこそ、今プラスにつながっていることはありますか。

加藤 その経験があるから、役の幅が広がったと思います。心や内面から出す演技をする際にプラスになります。乗り越えた今は、その経験は財産です。

—— 感情をうちに秘めた演技には、今までの経験がとても役立ちますね。観衆の心に響く演技は、やはりその演者の経験値が強みとなります。どのような女優を目指していますか。
写真:加藤氏提供
写真:加藤氏提供
加藤 幅広く演じられる女優、主役を引き立てる名脇役になりたいです。その役を演じるというよりも、その役の人に「なる」「なれる」役者になりたいです。そのために、意識的に多くの人たちを観察するようにしています。町を歩くとき、電車に乗っているとき、意外と周囲を見渡せば、多様なしぐさや表情を知ることができます。日常からレッスンになると思っています。

—— フィギュアスケート選手だったからこそ現在に生きていることを教えてください。

加藤 「基本的に地道に行う」という努力の仕方でしょうか。スポーツ選手は、試合や大会の日に最高のパフォーマンスを発揮できるように目標設定をする人が多いのですが、私は実は目標を作ることが苦手で、目標を定めて逆算式に取り組むことができません。教えてもらったこと、与えられたことに実直に向き合い、地道に取り組むタイプでした。それが結果的に成果に結びついていたように感じます。目標に対して計画的にというよりは、やるべきことを黙々とやる。できないことを深く考えるよりも、単純に楽観的にコツコツやり続ける(笑)。

—— 何かのために取り組むではなく、目の前のやるべきことを実直に向き合い取り組む。これは加藤さんにとっての強みですね。

加藤 そうかもしれません。小塚先生に「基礎を徹底的に取り組む重要性」を学んでからは、地味な基礎の反復を地道に行うことを大切にしてきました。今も演技のレッスンでは、地道に黙々と取り組めています。そういう面では、アスリートでの経験が今でも生きていますね。逆にアスリートだったからこその弱みは、感情を伴う激しい表現が苦手なことです。アスリートとしては、怒るや悲しむという負の感情を出さない方が良いと思い込み、隠してきました。今は感情を表現しなければいけない場面を乗り越えるために、過去の経験もオープンに話しています。「良いも悪いも自分」だと認めてあげることですね。

—— 自分の弱みと強みをよく理解して取り組まれていることが分かります。加藤さんはご自身の性格をどう思われますか。

加藤 「ま、いいか」「なんとかなる」ができないタイプで、責任感が強すぎて、できないと攻撃の矛先が自分に向かってしまいます。今は客観視できるようになり、自分で自分を追い込まないようになりました。自分の弱いところやうまくできないところを自分が認めて、それを人に言えるようになったことで、その弱さを乗り越えることができ、前向きなアクションができるようになりました。

—— 加藤さんにとって、人生のターニングポイントはいつでしたか。

加藤 二つあります。一つ目は、やはり良い意味でも悪い意味でも高校1年生ですね。インターハイのバッジテスト7級を取得するためにはダブルアクセルが飛べなければならず、長いことそこで足踏みしていました。そのダブルアクセルが飛べるようになったと同時に、過食症も始まりました。当時は罪悪感もなく、それで後々苦しむことも気付いていませんでした。
二つ目は、ヒューマンアカデミーに入学できたことです。過食症を克服しても、しばらくは動きたくても動けない状況が続いていましたが、そこに飛び込めたことで、自分の体が大丈夫だと確認でき、夢に向かっても良いのだと認識できました。そして、オーディション合格、今へとつながっています。

—— 現在は、ヒューマンアカデミー東京校で運営サポートも務めていらっしゃるとお聞きしています。最後に、現役選手に先輩としてセカンドキャリアのアドバイスをお願いします。

加藤 やりたいことは諦めずに、何でも挑戦してください。選手のときは苦しいこともあると思いますが、それは必ずセカンドキャリアに役立ちます。だから現役中の今は自信をもって前に進んでほしいと思います。ただし、私の現役中は、人の目を介して自分をジャッジしていました。自分の目でジャッジをしていませんでした。フィギュアスケートも役者という表現者も、人に見られ、人にジャッジをされますが、まずは自分が自分を認めてあげることを忘れてはいけないと痛感しています。人の目のジャッジは結果論です。何事にも、自分をまず認める。その後に、人の評価を真摯(しんし)に受け止める。それが進化につながると感じています。

加藤え美子(かとう・えみこ)プロフィール

1982年11月27日生。愛知県名古屋市出身。「え美子」の「え」がひらがなである理由は、姓名判断で「え」がベストであったため。小学校3年生でスケート教室に通い、4年生からフィギュアスケートを始める。中学1年生よりオリオンフィギュアスケーティングクラブに所属し、小塚嗣彦・幸子夫妻コーチに師事。名古屋女子大学高等学校に入学。1999年第11回小塚トロフィー(小塚杯)優勝。高校生から全日本ジュニア大会に出場をするようになり、高校2年生の17歳からシニアの大会に進出。高校3年生のときはインターハイ個人5位、インターハイ総合優勝。1999年の第68回全日本フィギュアスケート選手権から第73回まで連続出場権を獲得(72回大会はけがのため棄権)。大学は同志社大学に進学し、濱田美栄コーチに師事。2004年よりオリオンフィギュアスケーティングクラブに籍を戻し、6度目の全日本選手権で予選通過(21位)。2005年三笠宮賜杯中部日本フィギュア競技会で優勝し、有終の美で現役を退く。2016年秋より総合学園ヒューマンアカデミー名古屋校パフォーミングアーツカレッジ入学。在学時にプロダクション東京ドラマハウスのオーディションに合格。2018年より上京し、女優を目指して始動。現在は女優業の傍ら、事務の派遣や母校の総合学園ヒューマンアカデミー東京校の運営サポートにも従事している。
■女優歴(2019~)
ドラマ
  • AbemaTV「17.3 about a sex」スピーチコンテストの審査員役
TV再現
  • NHK逆転人生 「中小企業を支える借金地獄サバイバー」
  • TBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」
映画
  • 「サイレント・トーキョー」監督:波多野貴文
スチール
  • イオングループ
【所属事務所:有限会社プロダクション東京ドラマハウス】
 http://www.drama-house.co.jp/
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