元プロボクシング選手 村松竜二氏 セカンドキャリアインタビュー(2)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2020.4.27

私も障がい者だからこその使命

—— 一般的にはジムを起ち上げ、世界チャンピオンを育てるという流れだと思いますが。

村松 B-boxは一般的なボクシングジムではなく、あくまでも自立支援や障がい者支援の特殊なボクシングジムです。こうしたボクシングジムとしては日本初ではないでしょうか。もちろん、一般の方やプロボクサーを目指している若手も受け入れています。一般の若手ボクサーたちにも支援のお手伝いをしてもらっています。

—— 村松さんにとって障がい者支援に傾倒した動機は何だったのでしょうか?

村松 私も障がい者だからです。左手関節機能全廃の障がい者手帳を所持しています。プロボクサーとしてキャリア7戦目を前に事故に遭い障害を患いましたが、それを言い訳にしたくなかったこともあり、左手が曲がらない障害を公にせず戦い続け、右手一本で日本1位になりました。36戦中30戦が右手一本でした。さらにキャリアの後年は眼底骨折の影響で右目も良く見えなくなりましたがリングに立ち続けました。私自身がボクシングを通して自信をつけた思いが、「やればできる」につながっています。何かのせいにして背を向けることは簡単ですが、ハンデがあってもやればできることを伝道していきたいと思ったのです。

—— やる前に決めつけず、チャレンジするきっかけの場を提供したい。引退試合をしたのも自分に背を向けることを辞める区切り。全てご自身の気づきと経験からだったのですね。

村松 そうです。自分が輝くことで心に抱いていた劣等感を隠していましたが、障がい者の方々と接し、自分自身が障がい者だとオープンにすることで、多くの人に自信を与えられるのではないかという考えに変わりました。チャンピオンを育成する指導者だけでなく、多くの人たちに希望や自信を提供する指導者もいても良いのではと。それを使命と感じました。

—— 村松さん自身にとっても障がい者であることが逆に大きな「自信」になったのですね。具体的に障がい者の方々が自信を持ってきたと感じるエピソードは有りますか?

村松 課題を一つひとつクリアしていくことで感じることができる「自信」づくりを色々用意しています。それはボクシングの枠だけではなく、例えば、なわとび検定も取り入れています。最初はできなかったことでも、練習を重ねるとできるようになる。その達成感の共有。笑顔。今までは障害があるからとやる前に諦めていたことにチャレンジしてみる姿勢。私も勇気づけられます。

—— 障がい者の方々への指導には不安はありませんでしたか?

村松 さまざまな障害をお持ちの方いますので気を許すことはできません。感覚も人それぞれで、当初はオーバーワークが過ぎてしまい申し訳なく反省したこともあります。自分ももっともっと勉強しなければと、日本障がい者スポーツ協会公認 初級障がい者スポーツ指導員、日本体育協会公認スポーツリーダー(現・日本スポーツ協会公認スポーツリーダー)、上級救命技能認定証などの資格を取りました。何かあってからではなく、何かあるものだという気持ちで、過剰なくらい、保険もかけ、勉強もしています。この姿勢はこれからも続けます。
写真
写真:村松氏提供
—— 視覚障がい者のブラインドボクシングの指導者としても活動されているということですが、ブラインドボクシングとはどういう競技なのですか?

村松 ブラインドボクシングは視覚に障がいのある方のために考案されたボクシングです。2011年に考案され、翌年にブラインドボクシング協会が発足された日本発祥の新しい競技で、全国大会も行われています。簡単に競技内容を説明すると、視覚障がい者の相手役を務める晴眼者は鈴付きのひもを首にかけ、視覚障がい者の方々はアイマスクを着用しボクシングをします。この鈴の音を頼りにパンチを打ち込み、1ラウンド2分間で、フットワークやパンチの有効性、コンビネーションなど3人のジャッジによる採点を行います。その合計点の高い選手が勝者になります。健常者もアイマスクを着用すれば競技に参加することができます。一般的なボクシングのように殴り合うわけではありませんが迫力があります。

—— 目が見えない中でどのようにボクシングをするのだろうと思いましたが、一般的なボクシングと同じような手に汗握る試合がイメージできますね。
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