元プロバスケットボール選手 天野喜崇氏 セカンドキャリアインタビュー

「どうしたら」が「考える」につながる。
考えたことをストイックに向き合った先にターニングポイントがやってくる。

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2020.5.19
現役時代はbjリーグ(現・Bリーグ)の大阪エヴェッサのプロバスケットボール選手として、引退後は整形外科病院リハビリテーション科の理学療法士として活躍している天野氏。元選手という経験を活かして、リハビリ中の選手たちに寄り添うケアは絶大な信頼を得ています。また、足と膝の研究家として学会での発表、さらにBリーグ 群馬クレインサンダーズ メディカルスタッフ(トレーナー)としても活躍。そんな順風満帆に見える天野氏のセカンドキャリア、ターニングポイントについて、インタビュー形式でお届けいたします。

躊躇があったため、引退を決意

—— プロバスケットボール選手としての経歴を簡単に教えてください。
天野 2007年に東京都立八王子北高等学校を卒業した後、陸上自衛隊に入隊しました。高校卒業後、プロバスケ選手を目指すために総合学園ヒューマンアカデミー横浜校バスケットボールカレッジに進学をする予定でしたが、学費を稼ぐ必要があったため、まず自衛隊に入隊したのです。2009年に自衛隊を除隊し、バスケットボールカレッジに入学。在学中にトライアウトに合格、2010年 bjリーグ大阪エヴェッサに練習生として入団。その後、昇格しトッププロ契約を果たしました。2012年契約満了後は、地元八王子に戻り、八王子プロバスケットボール設立準備室(現Bリーグ 東京八王子ビートレインズ)を発足させ、新たなチーム立ち上げの活動をしながら他チームのオファーを待ちましたが、2013年に引退を決意しました。
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写真:天野氏提供
—— 引退を決意されたきっかけは何でしたか?

天野 「躊躇(ちゅうちょ)」ですね。実は某チームからオファーがあったのです。選手としてまだできるという不完全燃焼な気持ちでしたが、エヴェッサを退団し他チームのトライアウトを受けるもうまくいかず、地元でチームを発足させるため小中高のバスケットボール部を訪問し、クリニックをしながら今後を模索していました。そして、引退を決意し理学療法士を目指すために多摩リハビリテーション学院の入学試験を受けて合否を待っていた時に、某チームから声がかかったのです。

—— 「躊躇」は選手か理学療法士かを天秤に掛けた気持ちから出たものだったのですか?

天野 そうです。選手を引退してこの学校で勉強をしようと決めた時のオファーでしたから悩みました。

—— 結果、選手を引退し理学療法士の道を選ぶわけですが、何か決め手があったのですか? 

天野 選手としてプレーすることに迷いが生じた自分に気づいたことです。それまでの自分であれば即決で、選手として契約をしたのでしょうが、「躊躇」してしまっているこの時点で選手として失格であろうと。この気持ちに気づいたことできっぱり引退を受け入れ、理学療法士へと切り替えることができました。

—— 一般的には、プロ選手から新しい道への切り替えがなかなかうまくいかないことがセカンドキャリアの問題となっていますが、天野さんが理学療法士になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

天野 エヴェッサの最終年には足をけがして2か月間プレーができなかった期間がありました。そこで初めて理学療法士の存在を知りました。とても興味をもち、トレーニングが好きだったので、筋肉とか骨格とか自分の体のことを調べ試していました。引退後はもっと勉強して理学療法士を目指したいという気持ちがありました。

—— 引退後は選手を支える側へと転身を目指したわけですね。資格を取得し、現在の特定医療法人慶友会 慶友整形外科病院リハビリテーション科に入るまでの経緯を教えてください。

天野 理学療法士の資格を取得するためには4年を要するのが一般的ですが、年齢的なことを考え、3年間で取得でき、さらに実家から通えるという条件で、多摩リハビリテーション学院を選びました。資格を取得し卒業した2016年は28歳になる年でした。まず都内でスポーツ選手のリハビリをしている病院を探しましたが求人がなく、学校の先生から群馬県のこの慶友整形外科病院を紹介してもらい、一般採用試験に挑みました。

—— 推薦ではなく一般試験から自力で採用されたのですね。理学療法士として現場に立つにあたり不安や悩みはありましたか?

天野 多摩リハビリテーション学院時代に実習が多く現場経験をしてきたので、患者対応ややるべき仕事に対しての悩みはありませんでした。ただスポーツリハビリを行うにあたり、バスケ以外の競技を全く知らなかったため、その点の不安は大いにありました。患者にとっては人生で大きな出来事である「手術」をする病院での勤務であったので、メンタル面のサポートなど不安な患者に寄り添うケアをしなければならないという意識は最初からありました。

—— プロ選手としてのメンタル的な経験が養われているので、元選手だったという力が、こういうところで発揮できたんですね。

天野 私は身長が175センチしかなくてもプロバスケ選手になれたという気持ちがあるのに加え、けがや挫折も多く経験したので相手の痛みもわかります。外科的なものは治りますが、理学療法士はメンタル面でのケアも必須で、新人であっても人とのコミュニケーションという面では貢献できます。プロ選手時代に、新天地での新たなチームメイト、ファンや地域との関りなどで培われた能力かもしれません。
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