元ブラインドサッカー日本代表選手 落合啓士氏 セカンドキャリアインタビュー

僕を介して「偏見」を撲滅させるキッカケにする。

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2021.5.7
「目が見えないことを楽しんでいる」というブラインドサッカー日本代表チームの元キャプテンである落合啓士(おちあい・ひろし)氏の座右の銘は、「努力は裏切らない」。次第に目が見えなくなる病気に苦しみ、障がい者になりたくないという葛藤を抱いた壮絶な人生を乗り越え、ポジティブマインドを手に入れた伝説的なリーダーは、2020年3月に現役を引退した後も、「ポジティブおっちー」としてさまざまなことにチャレンジしている。その最も大きな挑戦が、障がい者のことを知ってもらう機会を増して、社会と障がい者自身、その双方の「偏見」を撲滅する橋渡しのキーパーソンになることだ。

知る機会がないから偏見が生まれる。ならば理解し合う活動をする

── 2003年から2017年まで、ブラインドサッカー日本代表として活躍し、2020年3月に17年間の現役生活を引退されました。まず引退の理由から教えてください。

落合 東京パラリンピック前の最後の国際大会となる、2020年3月に開催予定だった「Santen IBSA ブラインドサッカーワールドグランプリ2020 in 品川」で、日本代表メンバーに選出されなかったことを区切りとしました(注:当大会はコロナの影響で開催中止となった)。

── 長きにわたりブラインドサッカー選手としてけん引されてきました。

落合 2003年にブラインドサッカーと出会い、2012年から日本代表キャプテンとなり、東京で開催された世界選手権2014、アジア選手権2015に出場。2016リオデジャネイロパラリンピックの予選に挑みました。結果は、日本はグループリーグ3勝1敗1分で中国、イランに次ぐ3位となり、決勝トーナメントに進出しましたが、順位決定戦で韓国に敗れ、4位で大会を終え、悲願のパラリンピック初出場には至りませんでした。個人的には、2020年東京大会に向けて頑張っていましたが、2017年を最後に日本代表の選出もかなわなくなりました。

── 2020年の東京でのパラリンピック初出場という目標があったので、2017年以降の代表落ちは悔しかったのではないでしょうか。

落合 ポジティブな僕でも、さすがにメンタルがやられてしまいました。そこで、メンタルを強くするために、2018年からメンタルトレーニングの技法を学ぶ学校に通いました。客観的に自分がどうあるべきかを考えたかったからです。勉強していくうちにメンタルトレーニングにますます興味を抱き 、資格も取得しました。

── 引退後の2020年7月にブラインドサッカーチームの監督に就任されましたが、視覚障がいの監督は日本で初めてでした。

落合 セカンドキャリアの1つとして、ブラインドサッカーチーム「松本山雅B.F.C.」の監督になりました。長野県坂城町の「長野RAINBOW」を前身として、NPO法人松本山雅スポーツクラブが発足させた新しいチームです。目標は3年後に日本一になることです。街から愛されるクラブにしていきたいですね。
写真:落合氏提供 練習風景と子幼少時
写真:落合氏提供
── 引退されて1年間、世の中はコロナ禍で活動が制限されていましたが、さまざまな活動をされています 。

落合 引退してまず始めたのは、YouTuberとしての活動やInstagramです。YouTuberとしては、例えば、カメラを胸元にぶら下げて、電車を降りてから駅の改札まで向かう映像を通して、目が見えない人が点字ブロック上でどのような道筋をたどり、音を聞きながら歩いているのかを疑似体験できる動画をあげています。Instagramは写真が主のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)ですので、障がい者は敬遠しがちですが、音声ガイド機能を活用して旅行の写真などを載せています。

── 多様なチャレンジをしていこうと思う動機は何でしょうか。

落合 視覚「障がい者」を理解してもらうことが第一です。「障がい者」だから、見えないから、という入り方をしないためには、「障がい者」側の意識変化も含めて、お互いが理解し合うことが重要です。知る機会がないから「偏見」が生まれると思うので、双方の知る機会を増やすために、「目の見えないマルチタレント」としてテレビに出演することを目指しています。僕を介して「偏見」を撲滅させるきっかけになる活動をしていきたいと思います。

── その活動がセカンドキャリアのビジョンの実現にもつながるのですね。

落合 そうですね。視覚「障がい者」の未来を明るくするきっかけを作りたい、そして障がいがある子どもたちに「夢を持つ子ども」になってもらいたいということが、僕のビジョンです。それを実現する一つの手段として、SNSに注目しています。障がいがある子どもたちは、何かしたくても、練習場所まで行くことすら大変です。SNSを活用すれば、遠方の人たちとも会えますし、目の見える人と関わる機会を持つこともできます。こちらから発信するだけでなく、気付いたことを伝えてもらったり、お互いに笑い合ったりすることが、適度な距離感を持って行えます。それを活用して、いつの日か交流イベントを催したいと思っています。

── 具体的には2020年12月に「視覚障がい者就労に革命を起こすオンラインサロン」(OVIR= Ochiai Visualy Impaired Revolution)を開設したそうですが、どのような活動ですか。

落合 視覚「障がい者」も幼いころに鉄道の運転士や声優、お花屋さんになりたいなどの夢を持ちます。しかし、成長するにつれて「目が見えなくてもできる仕事」へと範囲が狭められ、マッサージ・事務職・公務員などの道に進む人が多いです。実際、僕もマッサージの道へ進みました。しかし、ブラインドサッカーを通して、「できるかできないか」ではなく「やるかやらないか」が大切であることを学びました。「できない」と思うことも、そのほとんどが努力と工夫、協力で実現できると思っています。見えないことに胸を張って、毎日いきいきと楽しく、好きな仕事をする視覚障がい者を増やしたいのです。

僕がこのオンラインサロンでしたいことは大きく2つです。
  1. サロンメンバーで視覚障がい者の通信制学校を作る。
  2. 視覚障がい者就労につなげる会社を作る。
この2つを実現できれば、視覚障がい者の職域の幅も広がり、雇用率も上がります。このオンラインサロンには多くの方々に参加していただき、お知恵を拝借したいと思っています。

── 引退後の活動姿勢にはアスリートの経験が生きていますか。

落合 はい。僕はサッカー選手をしながらマッサージ師もしてきました。サッカーを通して得るチームメイトとの連携やコミュニケーションなどはマッサージの現場でも生きますし、マッサージの仕事現場でもサッカーにつながる発見がありました。その根底にあるのは常に「何かにつながるのではないか」と考える姿勢です。サッカーを引退した今は、自分のスタンスを広げていろいろな環境を創れるようになり、これまで以上にワクワクしています。引退後ロケットスタートができ、さまざまな活動に取り組めているのは、まさにアスリート時代の経験と姿勢が原動力になっていると思います 。
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