—— アスリート時代はコンプレックスの塊だったとのことですが、花田さんの選手時代からお聞かせください。
花田 私は富山県富山市出身で小学校3年生からバドミントンを始めました。地元の中学を経て、富山県立高岡西高等学校に進学しました。インターハイでの優勝経験が多くオリンピック選手も輩出している強豪校で、私の在学中もチームメイトが全国優勝、団体選抜3位など、輝かしい成績を上げていました。自宅から通える距離でしたが、朝から晩までバドミントンに専念する部活でしたので、寮に入りました。
—— 強豪校で寮生活となると、規則も厳しかったのではないでしょうか?
花田 はい。とても厳しかったですね。特に女子バドミントン部は「髪型を角刈りにしなければならない」という伝統があり、オシャレすることを封印されました。
—— もともとオシャレは好きだったのですか?
花田 中学生のころからファッション誌を読んだりして、メイクにも興味がありました。入学前から高校の試合を見学していたので、先輩たちが角刈りをしていることは知っていました。でも、その時は任意だと思っていたので、「自分はそこまでしなくても…」と考えていました。それが、入学後すぐにキャプテンに呼び出され、「覚悟を決めな」と言われました。覚悟を決めること=角刈りだったのです。女を捨てろということですね。泣きながら髪を切りました。
—— 高校球児が全員丸刈りにしたのと同じような考え方を、女子にも当てはめたのですね。
花田 気持ちを切り替えてバドミントンに賭けようと決めました。ただ、髪を切ったら、「オシャレ好きの女の子」から見た目が「角刈り女子」に変わって、男子高校生とすれ違う時に「キモ」って言われるようになりました。角刈りの上に、当時は肌荒れもひどく、ニキビ顔で、鍛えられた体はたくましかったですからね。多感な時期ですから、ショックは大きかったです。
—— 角刈りに抵抗しようとは思わなかったのですか?
花田 今なら、「髪型で覚悟を強制するものではない」「角刈りをしていないから、競技に集中していないという考え方はおかしい」と言えますが、当時は「先生や先輩が言うことは全て正しい」という感じでしたから、疑うことなく、そういうものだと思っていました。ただ、人は見た目で判断するものだと実感し、引退したら「キモ」って言った人たちを見返したいという気持ちはありました。今も高校に顔を出しに行きますが、角刈りの伝統はなくなり、選手たちはショートカットで穏やかになりました(笑)。
写真:花田氏提供 (左)高校2年生時代、(右)高校3年生引退後の祝賀会の写真
※角刈り時の写真はなく、唯一の残る写真がこの「短髪」写真のみ