元バドミントン選手・モデル 花田真寿美氏 セカンドキャリアインタビュー(2)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2021.6.14

人に見られることの恐怖から見られるモデルへの転身

 —— 高校を卒業して、大学でもバドミントンを続けられたのですか?

花田 高校生の時はレギュラーをつかむことすらかないませんでしたが、愛知県の中京女子大学に進学してバドミントン部に所属すると、すぐにレギュラーになり、1年生でインカレ愛知学生新人バドミントン選手権大会の女子ダブルス準優勝を果たしました。喜ぶところなのですが、高校のころのような努力をしていないのに「結果」を残せたことで、頑張るのが格好悪い、そして怖いと思うようになってしまいました。レギュラーになろうと頑張っている部員たちの姿を見るのもつらくなりました。

—— 頑張っている時に報われず、あまり頑張っていない時に重宝される。そんな立ち位置にいる時に、頑張っている人を見るとやるせない気持ちになってしまったということですね。

花田 ラケットを握ることができなくなり、体育館に入ろうとすると涙が止まらなくなってしまう状況でした。大好きだったのが大嫌いになることが耐えられず、ついにバドミントンに向かう気持ちが切れてしまったのです。バーンアウト(燃え尽き症候群)の状態になり、大学2年生で退部しました。

—— バドミントンから離れて、気持ちに変化はありましたか?

花田 今まで抑え込んでいた「美」に対する気持ちが、退部したことで解放されました。見た目で自分を評価されることに対してのコンプレックスは、角刈りだけでなく、身長が175センチと高かったことにも起因していました。人からどう見られているのかが怖く、うつむきながら目立たないように猫背で歩いていました。自分の顔も嫌いだったので、いつも暗いところにいたのですが、ようやく「美」に敏感な本来の自分が戻ってきました。

—— 今までコンプレックスであったことが、逆に強みに変わってくるのですね。

花田 大学3年生になり就職活動を始めた時に、「働きながらキレイになる」職業に就きたいと思いました。憧れのキレイな先輩がブライダル業界に就職していたことから、私もブライダル業界を目指そうかと思いましたが、大勢の人たちに見せる場ならもっと輝けるのではないかと考え直しました。「見られたい」という気持ちが芽生え、そういう仕事は何かと考えた時に、モデルかもしれないと気付きました。

—— セカンドキャリアにモデルを選ばれたのですね。モデルになった経緯を教えてください。

花田 モデルという職業に興味を持ち始めたころ、紅白歌合戦にも出場したことがある有名な歌手の方に偶然お会いする機会があり、モデルにスカウトされました。モデルに興味があることを打ち明けると、モデル事務所を紹介していただけることになったのですが、まだ自信もなく、即答できませんでした。

—— モデルになる決断をする後押しがあったのでしょうか?

花田 そのころ、ミス・ユニバース2007の世界大会で、ダンサーでモデルでもある森理世さんが優勝したことを知りました。普通のモデルとは違い、アスリートのような筋肉のあるプロポーションで、しかも自分の意見をはっきり言うオピニオンリーダー的な美しさ、「トータルビューティー」に衝撃を受けました。ミス・ユニバースの東京大会があることを知り、新幹線に飛び乗って見学に行きました。そこで出場者の格好良さに引かれ、自分も出場したくなったのです。それまで保留にしていたモデル事務所入りの話を、自分で連絡してお願いしました。

—— モデル事務所に入り、スムーズにモデルになれたのですか?

花田 大学3年生の途中から、名古屋のモデル事務所の所属になりましたが、最初はちょっとしたキャンペーンガールの仕事をもらう程度でした。大学卒業後はアルバイトをしながら、モデルとしての仕事ができるように、ウオーキングやポージングなどの基本を学んで、努力を積み重ねました。

—— いつごろから、モデルとしての本格的な活動を始めたのですか?

花田 2011年に愛知県の観光PRのモデルに採用され、初めて固定契約をいただきました。そこから雑誌、テレビ、ラジオなどのマスメディアでの活動が増えていきました。その後上京し、2013年にフリーランスとして自主的な活動を始めました。モデル志望の人たちが集うアパレルの仕事などをしながら、オーディションにチャレンジし、ミスコンへの出場や広告のモデルなどをしました。また、スポーツトレーナーにも興味を抱き、パーソナルトレーナーのアシスタントをしながら勉強させてもらいました。

—— モデルとしての成功事例は何ですか?

花田 2013ミス・ユニバース・ジャパン愛知大会最終選考会のファイナリストに選出されたのに続き、2015年に日本のトップモデルを選出するWorld Supermodel Japanの関西エリア代表に選ばれ、日本大会の出場権を獲得したことが大きいですね。今までの努力が報われた瞬間でした。

—— 翌年の2016年から、現在活動されているアスリートビューティーアドバイザーへ活動の軸が変わります。この新たなキャリアを選ばれた経緯を教えてください。

花田 私の中で「30歳までには起業する」という目標がありました。2016年、29歳の年に、今までの経験や自分の強みが生かせることを考えた結果が、アスリートビューティーアドバイザーでした。本気でアスリートをしていた人がモデルになったケースがあまりないことが、強みだと感じました。そこでアスリートとビューティーを掛け合わせてみようと思ったのです。「アスリートビューティー」をインターネットで検索をしたところ、そのワードは当時出てこなかったので、チャンスだと思いました。
写真:花田氏提供
写真:花田氏提供
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