元ボクサー・元総合格闘家 中村圭志氏 セカンドキャリアインタビュー(2)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2021.7.29

2度めの勘違いが始まる。35歳で総合格闘家

 —— ボクシング選手時代に、引退後を見据えて取り組んできたことはありましたか?

中村 引退後のことを考えていたわけではありませんが、飲食系の仕事が好きだったので、居酒屋で調理のアルバイトをしていました。昔から料理をつくるのが得意で、レパートリーは幅広く、ボクシングをやりながらすしも握っていました。

—— 飲食系のアルバイト経験が、セカンドキャリアへつながるのですね。

中村 飲食系のアルバイト歴は長くて、学生時代から大手チェーン店の居酒屋や和食関連の店で働き、飲食業の核となるホール係、会計、調理などを一通り経験してきました。飲食業に関するビジネスセンスなどのスキルを自然と学ぶことができました。さらに、目上に対する礼儀や一般常識などは、現役中にボクシング界で徹底的に磨かれました。

—— 具体的には、どのようにセカンドキャリアがスタートしたのですか?

中村 ボクシングを引退し料理人になろうと決意した際に、海外で自分のお店を出したいという気持ちが湧いてきました、まだ日本食が定着しておらず、治安の良いイギリスのロンドンに行きました。2004年に1年間の学生ビザで入国し、語学を学びながら、ロンドンで成功を収めていたすしレストラン「NOBU」のキッチンで働かせてもらいました。修業をしながら、独立して店を出す計画を模索しましたがうまく進まず、お金もなく、ビザを延長せずに日本に戻ることにしました。

—— ロンドンからの帰国後はどうでしたか?

中村 2005年に帰国して、友人の焼き鳥屋で働き始めました。仕事は順調でしたが、時折体を動かしたくなることもありました。そんな時に、坂口征二氏が設立した「坂口道場」の狛江道場(現在は横浜道場)が家の近所にオープンしたので、ここぞとばかりに入会しました。ある日、ロッカールームで、若手選手がアマチュアの総合格闘技の試合に出るという話をしていて、「自分もまたリングに上がりたい」という気持ちが湧き出てきました。「自分も出場できるのかな」と聞くと、数週間後にエントリーとなりました。汗を流しに来ていただけで、ボクシングの素地(そじ)しかなく、またブランクもあり、総合格闘技の練習を一切したこともなかったのですが、2007年34歳にして全日本アマチュア総合格闘技選手権大会サムライゲートに出場できたのです。そして、勝利してしまった。そこから、また「勘違い」が始まるわけです。

—— 「自分はできる」という気持ちでしょうか。そして、今度は総合格闘家を目指します。

中村 このアマの大会を見ていた総合格闘技団体パンクラスが、自分のプロボクサーの経歴に着目して、オファーが来たのです。2008年はセミプロとして、プロを目指す登竜門のケージゲートルールワンマッチに出場しました。対戦相手がプロデビュー目前の選手だったのですが、難なく勝ってしまったことで、2009年第15回ネオブラッド・トーナメントのフライ級選手、プロ総合格闘家として、パンクラスのリングでのプロデビューが決まりました。

—— 2009年36歳でプロデビューし、本格的な活躍が始まるわけですね。

中村 残念ながら、思うようには活躍できませんでした。総合格闘家にとって重要な寝技を全く知らないことが、プロデビュー戦で露呈してしまったのです。寝かされて、防御もできずにレフェリーストップです。次の試合は、ランク上位の選手と闘いました。ゴングが鳴って相手にパンチをくらわし、吹っ飛ばし、ボクシングであればKO勝ちですが、総合格闘技のリングです。吹っ飛んだ相手は自分の足を取りにきます。いったん寝かされると何もできません。結果は判定負け。異種格闘技戦の猪木VSアリのような状態です。変なプライドと意地からパンチで相手を倒したいという思いだけに固執してしまいました。リングの中はまるで、弱さから何度も打ちのめされた、自分の人生の縮図のようでした。その後も2戦しましたが、相手からすれば、リングに寝かせればよいだけの話ですから、カモだったに違いありません。結局1勝もできずに、2010年11月に総合格闘家を引退しました。

—— 引退後のキャリアはどのように考えられていたのですか?

中村 引退する前の年、2009年の3試合を敗戦で終えてから、もともとの夢であった個人料理屋の経営者になりたいと思い、創業に向けての準備を始めました。たまたま知り合いが店を畳むということで、居抜きのまま譲渡してもらえることになり、2010年1月に沖縄料理屋「中む」を創業しました。

—— 中村さんは奈良県出身で沖縄にいた経歴も見当たりませんが、なぜ沖縄料理屋だったのですか?

中村 一緒に立ち上げた仲間が沖縄出身者であり、僕自身も沖縄料理が好きだという単純な理由です。コンセプトや明確なビジョンはありませんでした。流れるままの人生ですね。ですが、店はおかげさまで2020年に10周年を迎えることができました。
写真:中村氏提供 2009年36歳のとき
写真:中村氏提供 2009年36歳のとき
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