元ボクサー・元総合格闘家 中村圭志氏 セカンドキャリアインタビュー(4)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2021.7.29

「1」を極めるよりも、お客さまと融合して「10」にでも「100」にでもする力

—— 新型コロナの終息の見通しが立たない不安なところでもありますが、中村さんの強みは、お客さまを満足させられるオリジナルを創れることですね。

中村 「妄想」する力だけは強いですね(笑)。僕は「0」から「1」をつくることはできないのですが、「1」を「10」にも「100」にもできた自信があります。「1」を極めるよりも、「1」をどうすれば価値観が違う多くの人たちのベターに近づけられるのか、その工夫を大切にしています。ボクシングや格闘技では「1」ができても、その先を極めることができませんでした。極めた人がチャンピオンになる人であり、料理の世界も王道を極めた人が優れた料理人なのかもしれません。僕は「1」に対する劣等感が強いので、どうすればいいのかをずっと考えてきました。

—— その「1」の工夫が、長くお付き合いできるファンの獲得につながっています。

中村 そうかもしれません。厳しい状況を乗り越える原動力は、やはりお客さまからいただく力です。お客さまのおかげで、こちら側から「1」を提供するだけでなく、自分がコレだと思えるものとお客さまがコレだと思うことを融合させることで、「2」、「3」、「4」と積み重ね、新しいものが生まれるのだと痛感しています。

—— 「妄想」を現実化する上で、何か大切にしていることはありますか?

中村 進化ですね。沖縄料理をテーマに自分の「妄想」やイメージを創り、お客さまの反応を聞いて、さらに進化を加えることを心掛けています。お客さまとの掛け合いの繰り返しの中で、常に進化し続けている自負はあります。振り返ってみると、ボクサーや総合格闘家時代は、今の自分で満足し、そこに進化があったかというと疑問です。引退してから後悔している自分がいることも知っています。そして、料理人として、3度めの失敗はしないと誓いました。

—— アスリート時代の反省が、料理人としての道に生きていますね。

中村 現役選手の時は、最初が良すぎて、そこで満足して失速するパターンでした。なので、昔の自分の舌ではなく、今の自分の舌を基準にしています。10年同じメニューを提供していますが、10年前と今では同じメニューでも進化していると思います。安定した味を提供し続けるというのも強みになりますが、飽きてしまわないかという危惧もあるので、自分自身は満足せずに、お客さまを常に満足させる「進化」を意識して取り組んでいます。

—— その気付きと努力が実を結んだ10年間ですね。

中村 そうですね。進化に取り組むことで大きく変化したのは、人に満足を与えることができている実感です。アスリート時代は、自分が勝利しないとファンを満足させることができなかったので、自分のことしか考えていませんでしたが、料理の世界はお客さまあっての評価です。以前は「勘違い」が良くない方向に進みましたが、今はお客さまというジャッジメントがいますので、地に足を着けて料理に情熱を注いでいます(笑)。

—— 改めて自ご自身人生を振り返ってみて、ターニングポイントはどこだと思いますか?

中村 「あの時に逆の選択をしていたら、その後の人生が変わった」と思えるポイントはたくさんあります。ただ、一番の人生のターニングポイントは、妻(歌手の中村亜実氏)と結婚したことです。ロンドンから帰国して出会ったのですが、沖縄料理店を始めたのは、妻が連れてきた沖縄出身のメンバーがきっかけです。彼女は沖縄料理が大好きで、今も僕が創作した料理の一番のアドバイザーです。

—— さまざまな経験を積み重ねている中村さんから見て、アスリートの強みはなんでしょうか?

中村 アスリートの強みは「やる」と決めたらスイッチが入ることです。どんな状況でも「やるしかない」という気持ちで挑めること。相手が強くて、負けるかもしれないと思っても、リングに上がったら「なんとかなる」「なんとかする」という楽観的な姿勢をつくれるのです。また、アスリートは、やることが明確であれば、追い込めるし、乗り越えられる力が半端なく強いですね。それも、強みだと思います。

—— 弱みについてはどうですか?

中村 例えば、試合で負けたり、うまくいかないときは、自分を責めてしまい過ぎるところがあります。それを自分は「勘違い力」と呼んでいます。その「勘違い力」がプラスに作用すると絶大な力を発揮できますが、マイナスに働くと自らをダメな人間にさせてしまうこともあります。周りに迷惑をかけたくないという気持ちが大きくなるからです。周りから自分がどう見られているかを気にし過ぎるのも、アスリート特有かもしれません。

—— セカンドキャリアの道を飲食業に求める元アスリートは多くいます。最後に現役選手たちにアドバイスをお願いします。

中村 今、現役の選手たちが必ず持ち合わせている「自信を持つ」こと、「自分を認める」ことを、引退した後も継続してください。自分もリングに上がれば勝つことしか考えていませんでした。料理をつくる時は、一番おいしい料理を提供していると思っています。引退後も「ゾーンに入れること」を見つけるといいかもしれません。引退後に環境が変わっても、新しい環境で自分のベースをしっかりつくることができれば、自信を持って挑めます。

—— セカンドキャリアを成功させるには、自分を信じ続けることが大切なのですね。

中村 自分が信じたことができる力は、元アスリートの強みです。だからこそ、立つ場所が変わっても、自分を見失うことがないように心掛け、自信を持ち続けてください。自分をしっかり持っていると、人が自分の力になってくれます。応援や声援が力になったように、リングを降りてやることが変わっても同じです。「なんくるないさ」の精神でどんな状況でも乗り越えていきましょう。
写真:小村氏提供
写真:小村氏提供
中村圭志(なかむら・たかし)プロフィール

1973年12月25日生。奈良県出身。同志社大学を卒業し、23歳の時に役者を目指すために上京。劇団員として活動する傍ら、身体を鍛えるためにボクシングジムに入会。ジム生同士のアマチュア大会で勝利を収めたことを機にプロライセンスを取得し、1997年10月に24歳でフライ級にてプロデビュー。デビュー戦を1ラウンドKO勝利。エリート待遇の寮に入寮。しかし以後、減量苦で苦しむボクシング人生となる。2003年に引退。ボクシングの戦績は12戦7勝5敗(角海老)。引退後は、1年間ロンドンで修業、帰国後は友人の店を手伝いながら、2005年に坂口道場(狛江道場)に入会。2008年35歳で総合格闘家としてリングにあがり、2009年4月5日第15回ネオブラッド・トーナメントのフライ級選手としてパンクラスのリングでプロデビュー。2010年11月3日の試合を最後に引退。総合格闘家としての戦績は4戦4敗。2010年1月9日に狛江にて沖縄料理屋「中む」を創業。2015年6月に現在の千歳船橋に移転し「沖縄×炭焼きバル 中む食堂」として現在に至る。
【沖縄×炭焼きバル 中む食堂】https://www.nakamu.info/
取材・文 : 小村大樹(おむら・だいじゅ)
草創期のメンタルトレーナーを経て、総合学園ヒューマンアカデミー、一般社団法人日本トップリーグ連携機構などに従事。
現在は、NPO法人スポーツ業界おしごとラボ理事長・小村スポーツ職業紹介所所長。
株式会社三菱総合研究所 アスリートキャリア支援事業プロジェクトに協力。

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