元社会人野球選手 小杉卓正氏 セカンドキャリアインタビュー(3)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2020.10.30

選手で達成できなかった夢をセカンドキャリアで達成させる

—— オリンピックマーケティング室ではどういうお仕事をされていたのですか。

小杉 バンクーバー冬季大会、ロンドン夏季大会、ソチ冬季大会、リオデジャネイロ夏季大会の4大会を経験し、機器納入やプロモーション、ホスピタリティなどを担当してきました。海外出張も多く、IOC本部のあるスイスやオリンピック開催国などへも頻繁に足を運びました。オリンピックは開催年の7年前から動き始め、夏と冬の2年ごとにあるので、常に3大会を同時進行で進めているイメージです。例えば、2016年は、リオデジャネイロ大会に加え、2018年の平昌冬季大会、2020年の東京夏季大会と3つのプロジェクトを抱えていました。

—— パナソニックはオリンピックとの関わりが深い企業です。

小杉 パナソニックは、スポーツを通して世界平和を実現するというオリンピックの理念に賛同し、1987年にIOCとオリンピックの最高位スポンサーであるTOP(The Olympic Partner)を結び、さらに、パラリンピックでも日本企業最初のワールドワイドパートナーとなり支援しています。スポンサーシップカテゴリーは、映像や音響機器を中心としたAV技術の分野で、テレビやデジタルカメラなどの市販商品だけでなく、大型LEDスクリーンや放送用カメラ、音響機器、セキュリティカメラなどを提供し、開会式・閉会式で披露する華やかなプロジェクション・マッピングなどを担当しています。事業を通じて、スポーツから得られる感動を全世界の皆さんに共有する“Sharing the Passion”をスローガンとしています。

—— 小杉さんが初めて携わったオリンピックの仕事はいかがでしたか。

小杉 バンクーバーオリンピック準備でのカナダの販売会社やバンクーバー2010オリンピック・パラリンピック組織委員会(VANOC)と電話会議を行ったのですが、先輩が英語で話をするのを必死に聞きながら、使える言い回しなどを覚えていきました。配属されて1カ月過ぎたころに、バンクーバーオリンピックのテストイベントがありバンクーバーに出張しました。VANOCオフィスのあるバンクーバー市内と山岳会場のあるウィスラーマウンテンで約3週間過ごすことで、本当に少しずつ英会話ができるようになっていったことを覚えています。

—— 支える側として念願のオリンピックの舞台でしたが、苦労されたことはありませんでしたか。

小杉 本番ではピンチの連続でした。ピンチは成長のチャンスとはよく言ったもので、例えば、オリンピック期間中は厳しいセキュリティチェックがあり、何度もセキュリティゲートにいるボランティアの方に止められて仕事が滞りました。オリンピック開催前はボランティアの勉強期間と思って、丁寧に事情を説明していましたが、本番期間中は映像撮影を担当していたので、選手の出番に合わせて撮影しなければならず、必死に英語で説明していました。あまりの忙しさからそんなことに気づく間もなくバンクーバーオリンピックが終わり、日本へ帰る飛行機の中で初めてのオリンピックを振り返ったときに、「あれ、俺、もしかして英語を話せていた?」と少し自信がつきました(笑)
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写真:小杉氏提供(初めてのオリンピック業務)
—— バンクーバー大会後は、ロンドン大会、ソチ大会、リオデジャネイロ大会を現地で支えてこられました。

小杉 2008年10月から8年間、オリンピック・パラリンピックマーケティングを担当。2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった2013年後半から3年間は、東京大会プロジェクトの立ち上げ、準備に時間を費やしました。2016年リオデジャネイロ大会では、オリンピック・パラリンピックマーケティングの責任者を担当しました。リオデジャネイロ大会の閉会式での東京オリンピック・プレゼンテーションを見て、「東京大会に向けて頑張るぞ!」と思いを強くしたのですが、2016年10月からは米国のニュージャージー州に赴任となりました(笑)
写真2
写真:パナソニック提供(リオデジャネイロ大会オリンピックプレスセミナー)
—— 現在は米国で何をされているのですか?

小杉 ブランド戦略本部 北米ブランド統括センターとして、パナソニックノースアメリカに出向し、ブランド戦略を担当しています。スポーツマーケティングの知識や経験を活かして、2020年1月からはブランドアンバサダー4名(競泳界のレジェンドであるマイケル・フェルプス氏、米国競泳界のスターであるケイティ・レデッキー選手、4度のパラリンピック陸上競技の銀メダリストであるレックス・ジレット選手、空手全米No.1の國米櫻選手)と共に社会貢献発信を推進しています。

—— 日本と異なるところも多いと思います。

小杉 日本と米国の大きな違いは、文化・言語・人種です。日本と米国の連絡窓口をすることが多いので、日米のコミュニケーションギャップを埋めることが求められます。多文化・多言語・多人種の米国は言語化して分かりやすく明確に伝える「ローコンテクスト」文化で、日本人の説明では理解できないことが多々あります。私にとって良かった点は、ローコンテクスト文化の米国で、スポーツ選手としての経歴や実績が評価されたことです。

—— 2020年東京大会は1年延期となってしまいましたが、米国からも東京大会は意識されて取り組まれているのでしょうか。

小杉 もちろん、オリンピック・パラリンピックを8年間担当し、母国開催である東京大会は意識しています。ただ、米国にいる私の役割はブランド戦略で、パナソニックの理念に共感し、ブランドを発信してくれるアスリートを支援、アスリートと共にファンを勇気づけ、そして社会に貢献することです。2020年春現在、コロナ禍で厳しい環境ですが、オリンピズム・オリンピックムーブメントに共感する経営理念をもつパナソニックとして、また、私たちにもできることがあると信じて、アンバサダー・アスリートや関係者と思いを共有し活動しています。 
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写真:パナソニック提供(ケイティ・レデッキー選手と共に日米で広げるSTEAM教育)
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