元柔道選手 菊池教泰氏 セカンドキャリアインタビュー(3)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2020.9.28

「しなければならない(have to)」が及ぼす影響

—— ゴールを失ったために、実業団選手として結果が出せなかったということですが、日々の生活ではどんなことを感じていたのですか?

菊池 日々感じていたのは、常に「~しなければならない」という思考でした。練習をしなければならない、トレーニングしなければならない。「自身のゴールがない」ということは、全てにおいて「指示待ち=しなければならない」になるということになってしまいます。自分から取り組もうとするエネルギーがなく、誰かにやらされているという状態なわけです。これは、認知科学に基づくコーチングの肝に当たり、「have to」「want to」という言い方をしています。「have to」は「しなければならない」という受動的な考え方であり、「want to」は「したい(選ぶ、好むなども含む)」という主体的な考え方です。日本の社会の中では、しなければならないと強制をするからこそ、力を発揮できるという考え方もあり、それほど悪い意味には取られてないように感じます。しかし、ここで考えたいのは「しなければならないこと」は「しなくてもよいのであれば、実行することなのか?」という問いです。おそらく「しなければならない」の後には「さもないと~だ」という意識が続き、「そうなりたくない」からやっているというスタンスの方も多いのではないかと思います。

—— 例えば「会社に行かなければ、生活ができない」「掃除をしなければ、部屋が汚い」「洗濯をしなければ、着ていく服がない」というようなことでしょうか?

菊池 そのとおりです。それは何か外部の要因によって「やらされている」という状態であり、「動機づけ」が「内側」からではなく、「外側」からきていることを意味しています。人は「他人から強制されたもの」に対して無意識に反発します。例えば、両手でも片手でもよいので、誰かに手のひらをこちらに向けてもらいます。この相手の手のひらに、自分の手のひらを当てて押そうとすると、相手は無意識に反発し、元に戻そうとする力が働きます。「作用反作用」「プッシュ・プッシュバック」と呼ばれるものです。日々の生活の中で、「ああ、これもしなければならない、あれもしなければならない」と思ってやっているものは、「誰か他人から強制されて行っている」ということを意味しているのです。このことは「創造的回避(クリエイティブ・アボイダンス)」を生み出します。

—— 創造的回避とはなんですか?

菊池 「創造的回避」とは、「無意識が、やらなくてもよい理由を創造的につくる」というものです。例えば試験前に「勉強しなければならない」という思いで勉強しようとした時に、なぜか机を掃除し始めてしまう行動などがこれに当たります。やらなくてもよい理由を無意識がつくり出してしまうのです。別の言い方をすると「しなければならない」とは自分で責任を取ろうとしていない、すなわち「自己責任」を欠いている状態です。
日本で「自己責任」というと、どこか冷たい印象を持たれることが多いです。「自業自得」のような意味合いでとらえられている場合も多いように感じます。ですが、ここでいう「自己責任」とは、「自分で責任を負うからこそ、エネルギーを生む」ということなのです。他人にやらされている状態では、自分のエネルギーを発揮するのは難しいといえます。ですから、すべての「しなければならない」ことを心から追い出し、「したい」「選ぶ」「好む」に変える必要があります。このことは自分の可能性を最大化する上でカギとなります。

—— パフォーマンスを発揮できていた学生時代は「want to」でしたが、実業団選手時代では「have to」というプッシュが強かった。無意識のプッシュバックが出た結果、けがにもつながり、パフォーマンスも下がったということでしょうか。

菊池 こういう経験は多くの人たちにもあると思います。「しなければならない」という思考は、やらなくてもいい理由を無意識的に創り出してしまうのです。それが「しなければならない」です。人から「やれ!」と言われることも、「やらなくちゃ、やらなくちゃ」と自分で自分に課すことも、どちらも「have to」です。「have to」のマインドで物事にあたろうとすると、とても苦しい思いをすることになります。私は、身を持って体感したわけです。

—— 「have to」を無くすには、モチベーションを高める必要があるのでしょうか?

菊池 実は、「モチベーション」という言葉は、認知科学に基づくコーチングでは使用しません。例えば、何かに夢中になった時を思い出してみてください。ゲーム、読書、楽器などなど、人それぞれ経験があるかと思います。その際に「モチベーションが必要だったか?」ということです。モチベーションとは、やりたくないことを無理やりやるための言葉としてとらえています。よって、モチベーションが上がらないと感じているなら、一度それは自分の心に問いかけてみるべきです。「何のために今ここにいるのか? それは誰が選んだのか?」と。私の場合、実業団時代にずっと「have to」思考だったため、「エフィカシー(自己効力感)」が極限まで低くなってしまったと思っています。

—— エフィカシーとはどういうものですか?

菊池 エフィカシーは、元々薬の効果(薬効)を示す意味からきていますが、「今これから自分が行おうとしていることに対し、自分がどれだけ効力となりうるのか」というものです。認知科学に基づくコーチングの定義では「自身のゴール達成能力の自己評価」と言っています。定義上、まず「ゴールがないと成り立たない言葉」であり、「ゴールと一対の概念」です。「自分のゴールを達成する能力が、自分にはあるのか?という自己評価」なのですが、ここでのポイントは「他人」という言葉がひとつも入っていないことです。

—— プライドとは違うのでしょうか?

菊池 プライドと混同されますが、似ているようで全然違うものです。プライドは他人との比較。エフィカシーは自分の能力に対する自分の評価。例えば、ゴルフのタイガー・ウッズ選手の逸話が有名です。相手がパットを外せば自分が優勝する場面。実際、相手がパットを外してタイガー・ウッズが優勝したのですが、その時タイガー・ウッズは「やった!」ではなく、「ふざけるな」という表情だったそう。タイガー・ウッズとしては、自分は世界最高峰のプレーヤーだ、という自己評価がある。そのため当然相手がパットを入れて、次で勝負だという気持ちがあった。ところが相手のパットミスによる優勝では、自分の世界最高峰だという自己評価が下げられてしまう。この部分が「怒り」として現れました。これがエフィカシーの高さです。それは他人と比較していることではないかと言われますが、他人と比較しているのであれば、相手がパットをはずして自分が優勝した時点で「やった!」になるのです。自分のあるべき姿と比較をしているのであり、ベクトルが他人ではなく、自分に向いているのです。

—— アスリートは引退した後に社会人になると多くの人からプライドを捨てろと言われることが悩みになっています。プライドと表現してしまいがちですが、これは、アスリートには元々「エフィカシー」が高い人が多く、現役時代の自分との比較でやるせない気持ちが出るからなのかもしれません。エフィカシーについて、もう少し詳しく教えていただけますか。

菊池 エフィカシーは何で決まってくるのか。それは「セルフイメージ」によって決まります。人は「自分はこういう人間なのだ」という「自身に対する無意識のイメージ」を持っています。この厄介な点は、自分に良いことがおきても、悪いことがおきても、元の自分に戻そうとする力が働いてしまうことです。これはホメオスタシス(恒常性維持機能)と呼ばれます。生物として長生きするためには変化を好まず、ある一定の状態を保ち続けようとするメカニズムが、人には埋め込まれています。ダッシュして走った後は、心臓がバクバクしますが、時間がたてば元の心拍数に戻りますよね。これは身体の物理的な話ですが、「心の中でも、同じようにホメオスタシスが働く」というのが認知科学に基づくコーチングの知見です。例えば、宝くじで大当たりした人が、自己破産してしまうのもホメオスタシスのメカニズムです。セルフイメージはまだ1億円持つのにふさわしい人ではないのに、お金だけ持ってしまうと、元のお金がなかったころに戻ろうとして、自己破産までいってしまうわけです。他の例としては、常に財布の中に5万円を入れている人が、財布の中を見た時に1,000円しか入っていない。「これはまずい」と焦り、現金自動預払機(ATM)に行く。5万円が自身の基準になっており、それがないと安心できないということなのです。

—— 無意識に自分の基準を持っているということですね。だからどんなに良い結果を出そうと思っていても、無意識の基準を変えないと元に戻ってしまう。

菊池 そのとおりです。よい例が、柔道関係の知人の話です。彼は社会人になって柔道をやめていましたが、あるとき社会人の大会に出て、オリンピックを本気で目指している優勝候補の選手と1回戦で当たったのです。お祭り感覚で出場したのですが、試合では、知人が先にポイントを取りました。その時、彼は「私は勝ってもいいのだろうか」と思ったとのことです。案の定、最後に逆転1本負け。試合後に彼が私に言った言葉は「惜しかったけど、でもホッとしているんだよね」でした。それがホメオスタシスの働きであり、結局セルフイメージどおりになったということなのです。セルフイメージを変えないと、元の自分に戻ってしまう。では、そのセルフイメージを決めているのは何かというと、「セルフトーク(自己対話)」です。これは「内声言語」とも呼ばれています。人は無意識的に心の中でいろいろ自分自身に語りかけており、その回数は1日数千から1万回以上と言われています。今これを読んでいる方々の中でも、さまざまなセルフトークが生まれていることでしょう。この積み重ねによってセルフイメージが決まってきます。

—— セルフイメージを変えるためには、意識してセルフトークを変えていくことが大事であるということですね。例えば、心の底から「私だったらできるに決まっている」というような自身への言葉がけを行うなど。この無意識に投げかけるセルフトークは、どのような影響で確立されるのでしょうか。

菊池 たいていは、親・教員・スポーツ指導者など「自身にとって影響力のある大人からの言葉がけ」が積み重なった結果、自身のセルフトークが確立されます。あなたはこういう人間なのだ、という「レッテル貼り(ラベリング)」からくる言葉がけを日々されて、またそのように扱われ、自身もその評価を受け入れてしまう。親・教員・スポーツ指導者からの言葉の繰り返しで、「私はこういう人間だ」というセルフトークが作られ、セルフイメージが確立し、結果エフィカシーが形成されます。私もかつて経験があったことですが、「お前はダメな人間だ」という言葉を日々受け、そのように扱われ続けると、頑張れなくなります。「ダメなのが自分らしい」というセルフイメージがつくられた結果、「頑張るのが自分らしくないから」です。

—— 今の菊池さんが、実業団選手時代の自分にアドバイスをするとしたら、何と言いますか?

菊池 まずは前述した「強い感情が乗ったはるかなゴールを設定する」こと。そして、「周囲が自分に対して下す評価は関係ない、自己評価は自分でつくっていく」ことを教えたいですね。何かうまくいったら、「これは私らしい」と受け入れる。うまくいかなければ「これは私らしくない。次はうまくいく」というセルフトークを繰り返していく。この2点をアドバイスしたいです。人の可能性は、科学技術が発達した現代でも測ることはできません。おそらく実業団選手時代の私が、「企業を"One Team化"する組織変革の専門家」としてさまざまな企業に携わっている今の姿を見たら、驚くと思います。私の使命、ゴールでもある「人と組織の可能性を最大化すること」に向かう過程で、私自身の存在が常にエビデンスであり続けたいと思います。
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写真:小村氏撮影(学生に向けたグループセッションの様子=すごトーク:NPO法人スポーツ業界おしごとラボ主催=)
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