元柔道選手 菊池教泰氏 セカンドキャリアインタビュー(4)

引退アスリートのキャリア成功の鍵

2020.9.28

「YES, I'm Good!」な生き方

—— 選手時代に引退後を見据えて取り組んでいたことはありましたか?

菊池 JRAを退職した後のことは、正直あまり考えていませんでしたが、取りあえず母校の中央大学に戻り、柔道部コーチを2年間やりました。コーチだけでは生活費が足りないため、土木関係や塾講師のアルバイトなどもしました。
ただ、JRAで最初に配属された人事部での仕事内容にとても興味があり、いつかその仕事に就きたいと思っていました。人事を極めていくには、まずは給与計算が最低限必要と考えました。そこで通信教育で、給与計算に必要な社会保険や税金の知識を学びました。

—— 引退後は柔道と決別した道に進むのかと思ったら、母校の中央大学で柔道を教えられていたのですね。

菊池 そうです。ただ、教えるとはいっても、実際に自分も学生たちと稽古をし、選手に近い形でした。まだ選手としての柔道に未練があったのだと思います。
しかし、学生たちを引率し、全日本合宿へ行った時のことですが、とても体の調子がよく、全日本の強化選手をポンポン投げていました。そこで、全日本の先生から「菊池、一本勝負をやってくれ」と声がかかりました。相手は私より一つ年下の五輪・世界チャンピオン、鈴木桂治さん(現:国士舘大学 男子柔道部監督)です。一度引退したとはいえ、どこかでまだやれるのではないかという思いもあったので、本気で勝負を挑みました。その結果は、30秒で鈴木桂治さんの得意技である「足技」で1本負けでした。ここまでだな、と柔道と決別する覚悟ができ、コーチも辞めました。

—— 菊池さんにとって、鈴木桂治さんとの勝負が引退試合だったのかもしれませんね。柔道のコーチも辞して、その後はどうなりましたか?

菊池 最初は、給与計算のアウトソーシング会社に正社員として入社しました。柔道をやっていたことは伏せていました。仕事は、さまざまな会社の給与計算業務や書類作成代行などでした。給与計算は、通信教育で勉強し知識があったので、採用されたのだと思います。その後、上場企業を含め数社、労務の仕事をしました。

—— JRAでの社会経験があり、労務の仕事内容もある程度理解はしていたとは思いますが、新たな一歩を踏むにあたり不安はありませんでしたか?

菊池 労務の仕事が好きだったので、不安はありませんでした。それまでは、柔道が好きで柔道中心の人生でしたが、この時は柔道とは切り離した新しい人生にワクワクしていました。

—— 元柔道選手を隠して転職活動をしたのは、「アスリート」という見られ方をされたくなかったからですか?

菊池 「アスリート」という形でいくと、企業側がもつイメージによって労務の分野では採用されないと思ったからです。一般的に、労務は、元アスリートが行うイメージではない仕事だろうと感じていたので、あえて言いませんでした。ただ、二社目に転職活動をする際は、労務経験が既にありましたので、むしろ元柔道選手が労務の仕事ができるというのは、売りになると思ったので、武器として伝えました。

—— 労務の仕事の魅力は何ですか?

菊池 二つあります。一つ目は、対従業員の仕事であり、自社の従業員がお客さまになるところ。そして、二つ目は、きっちりとした答えがあり、整合性があること。特に給与計算にいえることですが、エクセルなどを駆使して、ピタリと数字が合った時の快感が、魅力なのです。

—— 労務関連の仕事に携わる人生を歩まれるのかと思いましたが、そこでまた大きな転機があったのですね。

菊池 労務の仕事は好きでしたが、学生時代の輝きに負けてしまっているのではないかと、自問自答をしました。それに加え、実は自分の中で解決できていない問題が、一つ残っていました。それは、「JRA時代に、なぜメンタルを崩してしまったのか」ということ。学生時代はメンタルについて独学したことで、試合で力を発揮できるようになり、団体日本一、国際大会優勝もできました。それなのに、JRAではなぜ不調になってしまったのだろう、と。ちょうど、この時期に、米国コーチング界の祖と言われているルー・タイス氏の教えに出会いました。勉強していくうちに今までの疑問が氷解し、「人と組織の可能性を最大化させるような教育の道に進みたい」と強く感じたのです。

—— この出会いが起業につながり、デクブリールを設立されたのですね。

菊池 会社が軌道に乗るまでに時間もかかりましたが、少しずつ実績を重ねていき、現在は「企業を"One Team化"する組織変革の専門家」として活動できています。また、CSR活動として、「スポーツ」や「学校教育」に対しても講演や研修を行っているのは、最初に申し上げたとおりです。「デクブリール」とは、フランス語で「見いだす」「発見する」という意味です。私の使命である「人と組織の可能性を最大化すること」にもつながりますが、関わる人たちの「可能性を見いだし、発見していく」という思いからつけた社名です。こういったことから、人事は人事でも、労務から教育にシフトしたわけです。

—— 柔道とは違う道として、労務の仕事に従事しましたが、そこからさらに教育の道へとシフトされたのですね。

菊池 跡をたどれば、不思議な道のりとも見えますね。ただし、ここで大事なことは「労務の仕事を経験したことが出発点となっている」ということです。最初から教育の道に進めばよかったじゃないか、そこにたどり着くまでの時間を無駄遣いしてしまったね、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。「人間の認知は常に変化する」のであり、さまざまな知識を得て多くのことを体験したからこそ、自分は教育の道に進みたいのだと初めて気づいたわけです。これは最初の労務があったからなのです。

—— CSR活動の一環だと思いますが、日本サッカー協会の「JFAこころのプロジェクト」の「夢先生」も務め、全国の小中学校で夢を持つ大切さを説く活動も行っています。実際の教育現場に伺う場面も多いかと思いますが、青少年に対してはどのようなことを伝えているのですか?

菊池 一言で言うなら、「人の可能性は測れない」ということを伝えるようにしています。また、私は教員でもないのに、中学校体育の柔道授業を8年間で350時間以上行うという特殊な経験もしています。これは2012年度より実施された「中学校武道必修化」に伴い、長年柔道に携わってきた人が中学校に行って、体育の先生たちと連携して授業を行うようになったことによるものです(文部科学省の武道等指導推進事業)。ただ、必修化とはいっても、期間としては長い学校でも4週間、12時間程度の授業です。正直、これくらいの期間というのは、町道場で柔道を始めたとしたら、投げられたときにけがをしないための技術である「受け身」しか教えないような短い期間です。この中で、いかに安全に楽しく、柔道に興味を持ってもらうか、外部講師として思案のしどころでした。

—— 教育現場で8年にも渡り、実際に授業をされてきたわけですか。

菊池 私は、初年度の生徒たちには「柔道を教えること」をゴールとしていました。柔道を教えに行っているのですから、当然といえば当然なのですが、生徒たちにいかにわかりやすく教えるかという「教え方の技術」という外面のことのみに注意がいっていたわけです。それができない場合は、私の教え方の問題だと思っていました。確かにこの要因も大きいのですが、認知科学に基づくコーチングで学んだことを振り返った時、最も重要なのは「生徒たちの内面部分」だったのです。要は「私にはこんなことはできない」「怖い」「やりたくない」と思っている生徒に、いくら懇切丁寧に教えても習得は難しかったのですね。
そして、柔道に対して「怖い」「やりたくない」という印象を持っている生徒ほど、けがをしやすいということもわかりました。そこで、事前の説明で「おもしろく、楽しい」というイメージと、「安全でけがなんかしない」というイメージを持ってもらうことを心がけるようになりました。けがの潜在的要因である「やりたくない」「怖い」というマイナス要因を取り除くようにもしました。これは、前述したエフィカシーに深く関係します。「自分なら余裕でできる!」というエフィカシーが高い状態になれば、生徒たちはできるのが当たり前という状態になり、実際にできるようになるのです。私のゴールは、「柔道を教えること」から「生徒たちのエフィカシーを上げること」に変化しました。つまり、生徒たちのエフィカシーを高めるツールとして、柔道に関わるようになったのです。ですから、認知科学に基づくコーチングを学んだ後では、私の心の中では、もう「柔道」を教えていないのです。

—— 柔道の先生が、柔道を教えていないというのは、とても興味深いですね。

菊池 「どういうことだ? お前は柔道を教えるために、中学校に行っているのではないか」と思われるかもしれませんが、私の心の中では違うのです。重量級である私を、生徒たちが立ち技で投げたり、寝技で引っくり返したりすることで、「君はすごい!」と褒めます。お世辞などではなく、本当に思っているからこそ出てくる言葉です。もちろんわざと投げられたり、引っくり返されたりもしませんし、逆に踏ん張ったりもしません。しかし、生徒たちがきちんとしたことを学べば、私を投げたり、寝技で引っくり返したりすることも、短時間でできるようになります。そこで、「こんなすごいことを余裕でできる君たちなのだから、ほかのスポーツや、勉強や音楽、美術なども、当然余裕でできるすごい人間なんだよね!」という言葉をかけるのです。
写真1
写真:菊池氏提供(中学校武道必修化による柔道体育授業 外部講師の様子)
—— 菊池さんにとって、学校教育に関わる中で大切にされていることはありますか?

菊池 これは、私の持論ですが、「自分自身はすばらしい」と思ってもらうことです。まさしくエフィカシーなのですが、「自分自身は何でも達成できるすごい人間だ!」と思っているからこそ、さまざまなことに挑戦できるのです。自分には関係ない、雲の上の話と決めつけてしまうことで、せっかくの可能性をつぶしてしまうのは、本当にもったいないことです。義務教育の期間こそ、エフィカシーを上げ続けて、いろいろなことを吸収し、社会に出てからさまざまなことにチャレンジしてもらいたいと思います。こういったことを生徒たちに体感してほしいので、CSR活動として学校教育に携わっています。

—— 柔道選手から労務、そして教育者と、異なる分野ではありましたが、現状に満足せずに向上心を持たれ取り組まれている姿勢は、今後もイノベーションを起こしていきそうですね。秘訣(ひけつ)はあるのでしょうか?

菊池 ルー・タイス氏は、「YES, I‘m Good!」を常に言える自分であれ、と言っています。「そうだ、私は今最高だ!」です。これを、常に言える自分であるかどうかが問われているのです。この言葉は、現状に満足していて今幸せだと思う、ということではありません。自身のはるかなゴールに向かって突き進んでおり、まだまだ道のりは遠い。しかし、それこそが「今を生きている」という実感を伴い、充実して幸せだということなのです。ここは、とても重要なポイントです。
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