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中小企業で賃上げは定着するか?

カギは価格転嫁と生産性向上

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2023.4.20

政策・経済センター菊池紘平

POINT

  • 今のままでは、中小企業の賃上げは一時的にとどまってしまう。
  • 賃上げ定着の条件は、「価格転嫁」と、そのための「生産性向上」。
  • 生産性向上のカギは、労働移動の促進やデジタル化投資の強化。

賃上げ定着に「価格転嫁」という壁

日本経済が「失われた30年」とも呼ばれる長期の低成長を経験した要因の一つとして、賃金上昇率の低迷がある。賃金の伸び悩みは、低インフレ、消費の停滞、企業収益の悪化、コストカットのためのさらなる賃金抑制、といった「負のスパイラル」をもたらしてきた。

しかし今、この状況に変化の兆しが見え始めている。連合(日本労働組合総連合会)が公表した2023年春闘の回答集計結果によれば、定期昇給込みの賃上げ率は、全体で前年比3.7%、中小企業で同3.4%となっている。この値は2023年1月時点のエコノミスト予測の平均値(同+2.9%)※1を大きく上回っており、過去を振り返っても約30年ぶりの歴史的な高い伸びが実現する見通しだ(図表1)。当社では、2023年度の消費者物価上昇率を前年比2%台半ばと予測しており、物価の影響を考慮した実質賃金の上昇率も、2023年後半にはプラスに向かう公算が大きい。果たして、こうした高めの賃上げ率は持続的なものとして定着していくのだろうか。
図表1 春闘賃上げ率と消費者物価上昇率
春闘賃上げ率と消費者物価上昇率
注:2023年の賃上げ率は連合による第4回回答集計結果。2023年の消費者物価指数は当社予測値。
出所:連合「2023年春季生活闘争 第4回回答集計結果について」、総務省「消費者物価指数」を基に三菱総合研究所作成
ここで特に注目されるのは、就労者全体の約7割、就労者に支払われる賃金総額の約5割を占める中小企業が高めの賃上げ率を維持できるかだ。しかし大企業に比べて、中小企業の賃上げ定着へのハードルは高い。

なぜなら、中小企業の経営体力は大企業に比べて相対的に弱く、価格転嫁が十分にできなければ賃上げが収益の圧迫要因となるためだ。赤字転落までのゆとりを示す安全余裕率(図表2)をみると、中小企業では20%を下回る低位で推移しており、変動比率(売上高に対する材料費等変動費の割合)の上昇や、固定費(人件費、設備の減価償却費など)の増加に対するバッファーが小さい。

こうしたなかで賃上げの持続性を左右するのは、賃上げによるコスト増を販売価格に転嫁できるかどうかだ。中小企業の価格転嫁力の弱さは長年の課題である。鎌田・吉村(2010年)※2をもとに試算した企業の価格転嫁力をみると(図表3)、大企業では、製造業・非製造業ともに、2010年以降ほとんどの期間で仕入価格の伸び以上に販売価格を引き上げることが可能だった。一方、中小企業では、一部の時期を除けばマイナス圏での推移が常態化している。2022年以降は、原材料コスト高の価格転嫁が広がる中で改善傾向がみられるものの、引き続き十分な値上げができていない状況だ。

2022年12月に東京商工リサーチが実施したアンケート調査※3は、原油・原材料コストを価格転嫁できている割合が高いほど、2022年度に実施した賃上げ率も高いとの結果となっている。
図表2 企業規模別の安全余裕率
企業規模別の安全余裕率
注:安全余裕率=1-損益分岐点比率。損益分岐点比率は、損益分岐点売上高と実際の売上高の比。損益分岐点売上高は、固定費を人件費、支払利息、減価償却費の合計、変動費を売上高-固定費-経常利益として算出。資本金1,000万円~1億円の企業を中小企業、1億円~10億円の企業を中堅企業、10億円以上の企業を大企業とした。
出所:財務省「法人企業統計調査」、日本銀行「短観」を基に三菱総合研究所作成
図表3 企業規模別・産業別の価格転嫁力
企業規模別・産業別の価格転嫁力
注:価格転嫁力は、日銀短観の販売価格DIと仕入価格DIの回答企業割合(「上昇」「もちあい」「下落」)を用いて、企業規模別に販売価格上昇率と仕入価格上昇率を推計したうえで、両者の差を示したもの(販売価格上昇率-仕入価格上昇率)。推計方法の詳細は鎌田・吉村(2010)参照。
出所:日本銀行「短観」「企業物価指数」、総務省「消費者物価指数」を基に三菱総合研究所作成

最重要課題は「生産性向上」

賃上げ継続に向けた価格転嫁力改善への最重要課題が、「生産性向上」だ。東京商工リサーチの中小企業向けアンケート調査によると(図表4左)、賃上げに必要なこととして「製品・サービス単価の値上げ」に次いで、「従業員教育および設備投資による生産性の上昇」が挙げられているが、業務の合理化・効率化を通じて経営体力の増強を図ることは、他社との価格交渉の円滑化、すなわち価格転嫁にもつながる。

しかし現実には、中小企業の従業員1人当たり実質付加価値は製造業・非製造業ともに大企業を大きく下回って推移しているうえ、2000年代前半以降はほとんど成長がみられていない(図表4右)。
図表4 賃上げと生産性
賃上げと生産性
注:左図は東京商工リサーチによるアンケート調査結果を一部抜粋したもの(複数回答)。右図は付加価値(人件費+支払利息等+動産・不動産賃借料+租税公課+営業純益)を企業物価指数・企業向けサービス価格指数を用いて実質化したもの。
出所:東京商工リサーチ「2023年度『賃上げに関するアンケート』調査(第2回)」、財務省「法人企業統計」、日本銀行「企業物価指数」、「企業向けサービス価格指数」を基に三菱総合研究所作成
ここで、価格転嫁力と生産性の成長率を軸にとったマトリクス(図表5)※4をみると、いずれもマイナスの業種(図中左下(赤)の象限)が付加価値ウエートで全体の7割弱を占めている。業種ごとに取り扱う財・サービスの希少性や取引慣行などに違いがあることを踏まえると、賃上げ継続に最も適している双方プラス(図中右上(青)の象限)に全ての業種が一足飛びで移行することは困難だが、まずは生産性向上を図ることで、価格転嫁しやすい体制を整備することが肝要だ。
図表5 業種別の生産性と価格転嫁力(中小企業)
業種別の生産性と価格転嫁力(中小企業)
注:バブルサイズは各業種の中小企業の実質付加価値額。従業員1人当たり実質付加価値と価格転嫁力は、コロナ危機の影響を除外したトレンドを確認する観点から、2015年から2019年の平均値としている。
出所:財務省「法人企業統計」、日本銀行「短観」、「企業物価指数」、総務省「消費者物価指数」を基に三菱総合研究所作成

生産性向上のカギを握るのは労働移動の促進とデジタル化

それでは、どうすれば中小企業の生産性を高められるのか。生産性に関する近年の主要な先行研究が示す方向性は、①中小企業の新陳代謝の活発化、②設備・人的資本投資の強化、に大別される(図表6)。
図表6 企業の生産性をめぐる代表的な先行研究事例
企業の生産性をめぐる代表的な先行研究事例
注:参考文献は末尾に記載。
出所:末尾参考文献を基に三菱総合研究所作成
①をめぐっては、最も生産性の低い企業が、政府の中小企業向け経営支援策(信用保証制度など)に依存することで存続し、経済全体の生産性を押し下げているとの指摘がある。

この点について、2023年夏から2024年にかけては、コロナ危機対応として導入された実質無利子・無担保融資(いわゆるゼロゼロ融資)の返済開始時期が集中する見通しであり※10、企業の倒産件数が増加するとの指摘もある※11。これを前向きな機会と捉えたい。生産性の高い企業への経営資源の集中を促すために、政策上の重点を、中小企業の事業存続支援から、円滑な労働移動を促す方向に移していくべきだ。そのためにも、リスキリングによる労働者の能力向上支援や、企業における職務給の導入の促進といった取り組みは欠かせない。山本・黒田(2016年)※12は、新卒一括採用型のいわゆる「日本的雇用慣行」に近い企業では、中途採用のウエートを高める形で雇用の流動化を進めると生産性が高まる傾向があると指摘しており、これは多くの中小企業にも当てはまると考えられる。

そしてより重要なのが、②設備・人的資本への投資の強化だ。特に、中小企業では無形資産投資の拡充やデジタル人材の育成・確保などのデジタル化に向けた取り組みが急務だ。

経済産業省は、デジタル化について①アナログ業務のデジタル化、ペーパーレス化などを行う「デジタイゼーション」、②業務プロセスの見直しを行う「デジタライゼーション」、③デジタル技術で新しいビジネスモデルを実現する「デジタル・トランスフォーメーション」の3段階に分類している(図表7左)。東京商工リサーチが2022年に公表したアンケート調査では、中小企業の4割超が第一段階の「デジタイゼーション」、または、「取り組んでいない」にとどまっている状況だ(図表7右)。中小企業でデジタル化が進んでいない背景には、経営者がその効果を実感できていないことや、社員のITスキル・リテラシーの不足など、さまざまな理由が挙げられる。しかし、生産性を継続的に高めていくうえで、デジタル化は避けて通れない。

今後は、中小企業の経営者自身が生産性向上を意識し、データ活用に向けた体制の整備や、デジタルツールを活用した業務プロセスの見直しなどに積極的に取り組む必要があるだろう。この際、中・長期的な視点から、デジタル化に要する費用・便益を検討することも重要なポイントになる。

持続的な賃上げを起点として、消費意欲の改善、安定的な物価上昇、企業収益の改善、そして生産性向上のための取り組みの加速といった「正のスパイラル」へと移行できるよう、約30年ぶりの高い賃上げ率が視野に入った今こそ、企業の前向きな経営努力が求められる時だ。
図表7 デジタル化の3段階とその進展度
デジタル化の3段階とその進展度
出所:経済産業省、東京商工リサーチ「中小企業のデジタル化と情報資産の活用に関するアンケート」を基に三菱総合研究所作成

※1:日本経済研究センター「ESPフォーキャスト調査(2023年1月調査)」における予測値の平均値。

※2:鎌田・吉村(2010)「企業の価格見通しの硬直性:短観DIを用いた分析」 日本銀行ワーキングペーパーシリーズ

※3:東京商工リサーチ(2023)「価格転嫁と賃上げに相関関係、転嫁進む企業ほど賃上げ率アップ 「全額転嫁」企業の賃上げ率平均3.9%」

※4:生産性や価格転嫁力については、企業ごとのばらつきが大きいとみられるため、本来は個別企業の動向を参照することが望ましいが、中小企業に係るデータ制約を考慮し、本稿では業種別のデータを用いた。

※5:池内・金・権・深尾(2018)「中小企業における生産性動学:中小企業信用リスク情報データベース(CRD)による実証分析」 経済産業研究所

※6:OECD(2017)「日本の中小企業(SME)の業績改善」 Japan Policy Brief

※7:植杉(2022)「中小企業金融の経済学」 日本経済新聞出版社

※8:深尾(2020)「生産性低迷の原因と向上策」、内閣府「選択する未来2.0 第6回会議資料」

※9:森川(2018)「企業の教育訓練投資と生産性」 RIETI Discussion Paper Series

※10:ゼロゼロ融資の制度上、①国・自治体による利子補給は借入から3年間、②元本返済の猶予は借入から最大5年間ながら、利子補給の終了に併せて元本の返済を開始する企業が多い模様。このため、コロナ危機ピーク時(2020年中盤~2021年序盤)に借入を実施した企業の返済開始時期が上記期間に集中するとみられている。

※11:帝国データバンクは、2023年1月公表の「『コロナ融資後倒産』動向調査(2022年)」において、2023年以降に、返済原資の確保が困難な企業による倒産増が懸念されると指摘している。

※12:山本・黒田(2016)「雇用の流動性は企業業績を高めるのか:企業パネルデータを用いた検証」 RIETI Discussion Paper Series

著者紹介

  • 菊池 紘平

    2022年三菱総合研究所入社。以前はメガバンクで国内外のマクロ経済や金融機関の戦略などに関する調査業務に従事。現在は日本経済の調査・分析を担当。国内研究機関への出向や米国駐在の経験なども活かし、分かりやすい情報発信を行っています。