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今年のノーベル生理学・医学賞は感染症治療薬の研究者3名に(その2)

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2015.12.17

政策・経済研究センター清水紹寛

海外戦略

中国での自然科学分野における初めての受賞者

さて、屠呦呦(トゥ・ヨウヨウ)氏である。ノーベル賞発表当時、彼女に関する情報はほとんど見当たらなかった。少なくとも日本語の情報はネット上にも受賞者名と授賞理由程度しかなかった。それが今、さまざまな情報が流れている。

いわく、「自然科学分野では中国で初めての、そしてアジア女性で初めてのノーベル賞受賞者」、「耐性のできたキニーネ、クロロキンなどに代わる、副作用の少ない抗マラリア薬の開発者」、「??という名前と研究対象である青蒿(セイコウ)との運命的な関係」、「博士号を持たず、海外への留学経験もなく、中国科学院の院士の肩書も持っていない、三無科学者」、「毛沢東の国家機密プロジェクトの成果を独り占め」などなど、功績をたたえるものから人格的な問題をうんぬんするものまで多岐にわたっている。
一体どのような成果が認められたのか。

屠氏の功績

受賞対象となった研究は1960年代の終わり頃から1970年代にかけて行われている。このころ中国は、ベトナム戦争においてソ連と共にゲリラ戦を展開する北ベトナムを支援していた。熱帯地方で繰り広げられる戦いは、敵との戦いもさることながら、マラリアとも戦わなければならない過酷なものであった。

北ベトナムからの要請もあって、毛沢東主席はあるプロジェクトを立ち上げる。全土から優秀な科学者を集め、耐性のできた抗マラリア薬に代わる新たな薬の開発を目指したのである。プロジェクトは国家機密とされ、立ち上げられた1967年の5月23日にちなんで523プロジェクトと称された。

集められた科学者の中に当時39歳の屠氏もいて、研究チームの1つを任される。開発に向け彼女のとった方針は、中国の伝統的な薬に着目すること。マラリアに関係ありそうな2,000件を超える処方事例を元にスクリーニングを行い、ヨモギの仲間である青蒿(Artemisia annua:和名クソニンジン。その強烈な臭いからつけられたそうだが、何とかわいそうな名前なのだろう)にたどり着く。中国では少なくとも紀元前2世紀には抗マラリア薬が使われていたとの記述が古文書にあり、屠氏が参考にしたという「肘後備急方」(応急処置法の手引きの意)も約1,700年前に書かれた書物である。この中に「青蒿一握以水二升漬絞取汁盡服之」(一つかみのクソニンジンを水2升に浸し、絞り取った水を飲むこと)と記されている。青蒿をターゲットに研究を続けたが、なかなか安定した抽出物が得られなかった。この方法論においても温故知新、古文書にある水による抽出方法を参考に、高温抽出から低温抽出への転換を思いつく。マラリアに効果のあるアーテミシニンはこうして発見・開発されたのであった。

※クソニンジンの姿などについてはこちらをご参照。
http://mpgarden.pha.nihon-u.ac.jp/archives/medical/%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3(日本大学薬学部 薬用植物園)

しかし抗マラリア薬の探索は続く

当時中国は文化大革命の時代であったため、研究成果を論文として発表することもできなかった。中国国内では1980年代に使われ始めるが、WHOに認可されたのが2000年、マラリア撲滅キャンペーンで本格的に使用され始めたのが2004年になってからである。

マラリアは現在でもエイズ、結核と並ぶ三大感染症の1つで、WHOの統計によると、世界では106カ国、33億人がマラリア感染の危機に直面しており、感染者総数は推定で2億1,000万人、62万7,000人が死亡している。

WHOでは撲滅キャンペーンによって10年間で330万人の命を救ったと推定しており、死亡率ではアフリカで49%減、世界では42%減にあたるという。アーテミシニンは副作用が少なく、安価でもあり、効果も絶大だ。

しかし、アーテミシニンにも耐性を持つものが現れた。抗マラリア薬は作用機序が不明なものが多く、耐性獲得の機序もほとんどわかっていない。これまで開発された抗マラリア薬を組み合わせて使うとともに、新たな薬の開発が待たれる。

本稿のその1もあわせてお読みください