マンスリーレビュー

2022年7月号特集1ヘルスケアテクノロジー

ヘルスケアのバーチャル化は何を変えるか

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2022.7.1

政策・経済センター藤井 倫雅

POINT

  • リモート化・バーチャル化が医療・介護・健康増進を変える。
  • V-tecが利便性向上、現場の効率化・高度化のドライバーに。
  • 残された課題もあるが克服可能。海外市場への進出も有望。

医療の「リモート化」が進展

高齢社会の深化に伴い医療・介護・健康増進といったヘルスケアの重要性が認識されて久しい。そうした中でコロナ禍における3密回避と利便性向上を目的に、「オンライン診療」に注目が集まったのは記憶に新しい。これにより、今まで進まなかった医療の「リモート化」※1が急速に普及するのではないかという期待が高まっている。

米国では日本に先駆けてリモート化が進展している。米国のオンライン診療サービス大手のTeladoc Healthは2002年創業の新興企業であるが、その後急拡大し、直近での会員数は約5,400万人にも及ぶ※2。2022年3月にはAmazonのスマートスピーカー「Alexa」と連携したサービスを開始した。リビングでスピーカーに「医師と話したい」と話しかけるだけで折り返し連絡が入りオンラインで受診できる。

Amazon自身も診断結果を踏まえて自宅に医薬品を届けるサービスを開始している。今や米国では、診療の最初から最後までを在宅で完結可能になりつつある。

一方の日本では、主に2つの要因から普及が進むと考えられる。1つは規制の緩和。今をさかのぼること4年、電話などを用いたオンライン診療が2018年に保険適用となった。しかし普及は限定的だったといえる。初診では利用できず、対象疾患も一部に制限されるなど、比較的厳しい制限が課されたからだ。その後コロナ禍において特例的に利用可能な範囲が拡大され、さらに2022年4月の診療報酬改定で初診での利用も可能になった。疾患による制限も大幅に緩和され、普及に向けた条件がここにきて整いつつある。

医療・介護分野の人材不足の問題がリモート化を促す可能性もある。医療現場については労働環境の改善を目的として、2024年にも医師の時間外労働に上限規制が適用される予定である。介護分野の人手不足も深刻な社会課題となっている。厚生労働省の発表によると、2025年度までに約32万人、2040年度には約69万人の介護職員が不足すると推計されている※3

労働時間短縮が求められる中で生産性の向上は経営上の重要課題であり、有効な解決策の1つがリモート化である。例えば、在宅医療や在宅介護の需要増が見込まれた場合、医師や看護師、介護職員がリモートで医療・介護サービスを提供できれば業務の効率化を図れる。医療・介護分野の研究開発でもリモート化が進展する。詳細は特集3「『分散型臨床試験』によるイノベーションの加速」に譲るが、製品開発コストを抑制し、イノベーションを促進することが期待される。

「バーチャル化」も並行して進展

当社では、リモート化と並行して、「医療・介護の仮想(バーチャル)化」も進むと考えている(図1)。変化のドライバーはバーチャルテクノロジー(V-tec)の著しい進歩だ。V-tecとは、「バーチャル空間内で現実感を抱かせたり、現実の一部をバーチャル空間内で再現したりする技術」の集合体である※4。バーチャル空間に没入する仮想現実(VR)技術や、現実世界にバーチャル空間の視覚情報や操作情報などを埋め込み(重ね合わせ)利用可能とする拡張現実(AR)や複合現実(MR)の技術、さらにはバーチャル空間上で現実空間の大部分または一部を再現するデジタルツイン※5もV-tecに含まれる。
[図1] 医療・介護のリモート化とバーチャル化が何をもたらすか
[図1] 医療・介護のリモート化とバーチャル化が何をもたらすか
出所:三菱総合研究所
V-tecによる「高い没入感や臨場感」が医療・介護サービスへのアクセスと質を高め、さらには医療機関の労働生産性を高める。例えば、現実と区別できないほど精巧なバーチャル空間では、脳は本当の経験と疑似的な体験を混同する。これを治療や診断に応用する試みが20年以上前から検討されている。

直感的な操作が可能となる点も医療・介護の現場に向いている。V-tecを使えば、目の前に再構築された3Dモデルを実際に手で操作するように自由に回転させたりすることも、バーチャル空間を自由に歩き回って、いろいろな角度から物体を見たり触ったりすることもできる。

①診断・治療:「仮想体験」に基づく新しい治療

オンライン診療の拡張に加えてV-tecが診断・助言に応用されつつある。これにより自宅で診断・治療できる範囲の拡張が期待される。詳細は特集2「リモート化・バーチャル化が診療にもたらす恩恵」を参照されたい。

②人材育成:リアルな追体験で学習効果を高める

医療・介護の従事者が最新の医療知識を学んだりスキルを習得したりする上で、VR教材は都合の良いタイミングで効率的に知識・スキルをアップデートするのに適している。例えば、過去の手術動画をもとに作成されたバーチャル空間の中に若手の看護師が没入したとする。そこでは、あたかも手術チームのメンバーの一人として追体験が可能であり、時間を巻き戻したり、繰り返したりすることもできる。手術中の各メンバーの一挙手一投足も、リピートして確認可能である※6

③人体モデリング:バーチャル空間に人体を再現

デジタルツインは医療・介護の世界でも注目されている。例えば医療分野ではコンピュータ断層撮影(CT)装置や磁気共鳴画像装置(MRI)で撮影された画像をもとにバーチャル空間上に患者の臓器や筋骨格を立体的に再現可能である。この3Dモデルを用いて、手術の事前シミュレーションを行う、あるいは予後の回復状態を予測することが可能になる※7。ただし、人体は複雑で未知の部分も多い。より複雑な生体のメカニズムをバーチャル空間内で表現可能になれば、応用範囲のさらなる広がりが期待できる。

「医療」×「V-tec」の市場は急拡大する

とりわけ、医療のバーチャル化のグローバル市場における注目度が増している。例えば、医療VRサービスを手がける米国スタートアップのAppliedVRは2021年11月に約41億円の資金調達に成功している。

当社は、バーチャル医療の国内市場は2030年に約1,600億円に達すると試算した。内訳で最も大きいのは診療・助言分野であり、約840億円である。オンライン診療における保険適用範囲が拡大することにより、自宅や職場にいながら診療を受けたいという需要が掘り起こされるだろう。そのほかにも疼痛管理※8に関連して、バーチャル医療を鎮痛剤と併用して服薬量を抑えるなど新しい処置方法が生まれ市場拡大に寄与する可能性が高い。

1,600億円の市場を大きいと見るかどうかは人それぞれだろう。この市場は細かな製品セグメントが集合した「ニッチ市場」であり、個々の国内市場規模は限定的である。ただし、高齢者が多く利用するリハビリテーションへの応用など、日本に先行の利がある領域もある。海外市場への進出も含めると期待は大きいだろう。

求められる4つの課題への対応

今後は残された課題を着実に解決するフェーズに入る。以降では3つの根本的な課題に加えて、事業化、ビジネス化の際に懸念される周辺産業に関連する課題について解説する(図2)。
[図2] 医療・介護のリモート化・バーチャル化において解決すべき4つの課題
[図2] 医療・介護のリモート化・バーチャル化において解決すべき4つの課題
出所:三菱総合研究所
1番目は安全面の検証である。ヘッドマウントディスプレー(HMD)を装着して見えるバーチャルの世界は普段とは異なり、違和感が生じる。これが起立困難になるほどの、「VR酔い」の原因であるといわれている。特に、高齢者や患者など傷病リスクの高い人への配慮は必須だ。在宅医療に応用する場合も、医療従事者がいない環境での使用を前提とした安全性の検証が求められる。

2番目は身体コミュニケーションの精度向上である。アバター(バーチャル空間における自己の分身)を通じた会話は匿名性を高めるには良いが、表情や身体動作が現実世界よりも粗い場合、間違った受け止め方をされるおそれがある。特に、医療のように繊細なコミュニケーションが求められる場合には留意が必要である。触覚などを含めた表現力の拡張も、改善策の1つといえよう。

3番目はプライバシーの確保である。バーチャル空間での言動は全てデジタルデータとして記録される。心身の健康という機微な情報を取り扱う上で、「本当に信頼できるのか」という懸念が生じる。徹底したセキュリティ対策が求められる。

これら3つの課題は克服可能である。解決に向けた技術開発の余地が十分に残されている。一方、医療のバーチャル化で必要となるHMDなどのハードウエアの普及は、現状では十分と言い難い。当社は今後急速な利用拡大は必然と予測しているが、現段階では医療機関に相応の初期投資が生じることは否めない。初期投資、そして業務の手法を変える際のスイッチングコストに対し、生産性向上による効果などを提示できれば、投資の回収期間が可視化される。医療機関の経営者を説得できるデータの収集もまた、バーチャル化を推進する上での重要施策といえる。

不適切な医療サービスへのアクセスの抑制を

医療のバーチャル化が進展した将来、懸念されるのが医療費の増大だ。いつでも簡単に医療サービスへアクセス可能になると、軽微な症状でも「取りあえず医師に相談してみよう」という利用が増えるおそれがある。解決のヒントはオンライン上に「ゲートキーパー(仕分け)機能」を設け、同時提供により不適切な医療へのアクセスを抑制することにある。英国の「AIドクター」の事例では実際に医療費の抑制効果につながったという※9

このようにリモート化、バーチャル化は、技術的に改善の余地はあるものの、医療・介護そして健康増進や予防医療をはじめとするヘルスケアの領域で社会課題を解決する可能性を秘めている。不適切な利用の抑制についても運用上の工夫により十分に対処可能と当社では見ている。コロナ禍に端を発したリモート化、バーチャル化に対するわれわれの意識の変化が、医療・介護サービスの効率化や需給ギャップを解消したり、リハビリや健康増進に寄与したりするなど積年の課題解決につながることを期待したい。

※1:「リモート化」とは、医師と患者が別々の場所にいながら診療行為を行うことを指し、情報通信機器で遠隔コミュニケーション を行う「オンライン」もその一部に含む。

※2:Teladoc Health2022年第1四半期決算報告より。

※3:厚生労働省(2021年7月)「第8期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について」。 

※4:詳細は当社(2021年10月)「バーチャル・テクノロジーによる2030年代のCX」を参照。

※5:デジタルツインとは、現実世界のデータをもとに、バーチャル空間上で現実に近い状況を再現すること。

※6:VR教材開発を手がけるジョリーグッドでは、医療・介護の従事者に学びの場を提供するVRベースのプラットフォームの構築を進めている。

※7:東京大学発ベンチャーのUT-Heart研究所では長年この領域で開発を進めており、心血管分野での新しい医療機器の開発支援も行っている。

※8:服薬などにより「痛み」を和らげる管理方法。

※9:英国のスタートアップ企業であるBabylon Healthが開発。MITテクノロジーレビュー(日本版)Vol.1/Autumn 2020(2020年9月)「動き出した医療のDX AIドクターが主治医になる日」。