マンスリーレビュー

2021年10月号特集1ヘルスケアテクノロジー経済・社会・技術

2030年の予防医療のインパクト

2021.10.1

政策・経済センター藤井 倫雅

POINT

  • 新しい予防医療による、高齢者や家族のQOL向上と介護費抑制に期待。
  • 導入促進には技術の活用と社会の仕組みづくりの両方が重要。
  • 予防医療だけで医療介護費の抑制は困難。社会保障制度改革の続行を。

1. 持続可能な健康長寿社会の実現に向けて

医学の進展は目覚ましい。日本ではがんの光免疫療法で用いる医薬品が、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)の審査を経て、2020年9月に条件付きで承認された。身体への負担が少なく高い効果が期待できる治療法として、世界に先駆けた取り組みとなる。

2021年6月には、世界初のアルツハイマー型認知症の治療薬が、米国の食品医薬品局(FDA)から条件付き承認を受けた。

2050年ごろには治せない病気はほとんど無くなっているのではないかとも言われている。

病の克服は人類共通の願いであるが、手放しで喜べるわけではない。日本の公的な医療介護保険は加入者から徴収した保険料で全てを賄っているわけではなく、4割程度は税金によってカバーされている。2018年に23.0兆円だった医療介護費における公的負担は、当社の試算によると、2050年には54.6兆円程度まで増加する見込みだ。

では、国民の健康寿命を延ばしつつ、財政面でも持続可能な社会を実現するためには何をすべきか。医療介護費の自己負担分を増やすことで公的負担を減らす、あるいは保険の適用範囲を見直すことで支出を減らすなど、社会保障制度の改革を含めた打ち手が求められる。

本稿ではさらなる打ち手の1つとして、社会に「新しい」予防医療を導入することを提案したい。

2. 新しい医療の可能性をもつ予防医療

予防医療は段階によって大きく3つに分けることができる。「一次予防(病気にかからない)」「二次予防(病気を重篤化させない)」「三次予防(リハビリによる機能回復など)」である。

食事、睡眠、運動などの基本的な生活習慣を改善することや、認知機能の訓練などによって心身の健康を保つことは「一次予防」に当たる。そして「二次予防」の例としては、がんを早期に発見して治療することを目的とする「がん検診」が挙げられる。

ここでは、「一次予防」に着目したい。理由は2つある。1つは、AIやIoT、VRなどの新しい技術を活用することによって今後の発展が期待できる点である。

もう1つは、患者(利用者)に対して、医療機関だけではなく自治体や健康保険組合など多様なステークホルダーが関与する新たな医療サービスが生まれる点だ。

例えば糖尿病やがんは、重篤化すると健康体に戻ることが難しく、長期にわたって患者のQOL(生活の質)を低下させる。新しい予防医療技術を活用し、基本的な生活習慣を改善することによって罹患(りかん)する確率が下がると期待できる。

3. 技術が加速させる新しい予防医療サービス

一次予防はAI、IoT、VRのような技術を活用することによって、医療従事者などによるモニタリングや介入を効率化させることが可能となりつつある。これらの技術が普及すれば、新しい予防医療サービスを、より多くの人に提供可能になる。

一方で、生活習慣の改善を続けるには相当な努力が必要となる。例えば、健康診断でメタボリック症候群の判定を受けて、食事制限や日々の運動を始めたものの、次第につらくなって途中で断念した経験がある人も多いのではないか。

生活習慣の改善を続けるためには、いくつかの壁が存在する。新しい技術を導入することによって、この壁を乗り越えることができるのか。具体的な内容は特集2「予防医療を加速させる3つのデジタル技術」にて述べる。

4. 予防医療がもたらす社会的インパクト

当社では、ここまで述べてきた予防医療技術が普及した場合、社会にどのようなインパクトを及ぼすかを試算した(図1)。

具体的には、8つの一次予防領域(糖尿病、ニコチン依存症、認知症、うつ病、高血圧、運動不足、肥満、筋力低下による骨折)に焦点を絞った。その上で、2030年までに実用化が可能と期待される一次予防医療技術が社会に普及した場合、生活習慣病をはじめとする疾病がどの程度減るのか、その結果として医療介護費がどの程度増減するのか、要介護者数がどう変化するのかなどをシミュレーションした。

試算によると、2030年には約1.5兆円の医療介護費の削減を期待できる。内訳は、薬剤費を含めた医療費が約0.3兆円、介護費が約1.2兆円であり、医療費よりも介護費の削減に大きな効果が見込まれる。

予防医療が医療費の抑制につながるかどうかについては、さまざまな議論がなされてきた。例えば、病気にかかりにくくなったとはいえ、人は年を取るといつかは体のどこかに支障をきたすのであり、予防医療は単に疾病の罹患(りかん)を先送りしているのではないか、という指摘がある。

今回のシミュレーションでは、寿命自体は大きく延びず、健康な期間が延びる結果となった。つまり、病気にかかっている期間自体も短縮され、結果として医療費も多少抑制されるかたちとなった。

一方、介護費についてはどうか。要介護に移行しがちな75~80歳の人々のQOLが向上することによって、要介護状態になる高齢者の数が減ることで介護費の抑制効果が認められる。

重要なのは、高齢者のQOL改善によって、介護が必要な高齢者を約72万人減らす効果も期待できる点である。これで自立して生活できる高齢者が増え、家族の介護負担も減る。
[図1] 予防医療が社会に及ぼすインパクト
[図1] 予防医療が社会に及ぼすインパクト
出所:三菱総合研究所

5. 普及には社会のバックアップが必須

実際にこのような効果を得るには、AIやIoT、VRなどの新技術を導入するだけでは不十分である。現状は、高血圧や肥満などのリスク因子をもつなど生活習慣病にかかりやすい層を抽出して集中的に予防介入する「ハイリスクアプローチ」が予防の主体である。しかしながら、このアプローチには限界がある。

その例として、特定健康診断(特定健診)を取り上げる。特定健診は2008年4月から40~74歳の保険加入者を対象として、メタボリック症候群の該当者および予備軍を特定し、その後の指導につなげるものだ。まさしくここで取り扱う予防医療の1つである。

この特定健診の受診率を見ると、大企業の従業員や公務員が加入する組合健保・共済組合ではおおむね80%だが、中小企業を加入主体とする全国健康保険協会(協会けんぽ)と、個人事業主や高齢者が加入する市区町村の国民健康保険組合においては40~50%程度まで低下する。さらに、その後の特定保健指導の終了割合も20%程度にとどまっている。

健診への参加者を増やすには個人のやる気や努力に頼るだけではなく、集団全体の行動を変えることが重要であり、組織が予防医療をバックアップする仕組みが求められる。

企業や自治体は、従業員や、高齢者をはじめとする地域住民の取り組みを支援すべきである。将来的には、こういった取り組みにAIやIoT、VRなどの技術を取り込んでいくことが重要だ。特集3「予防医療に求められる社会的バックアップ」では、こういった先駆的な取り組みを紹介する。

6. 引き続き社会保障制度改革を

次に社会保障財政の持続可能性について述べる。コロナ危機前から厳しかった日本の財政は、悪化の度合いを加速させている。

当社試算のとおり予防医療が普及すれば約1.5兆円の医療介護費の抑制効果が期待できるが、実はこの額は2030年に予想される医療介護費総額の3%程度にすぎない。

ここで想定した予防医療技術は国民のQOL向上と医療介護費の抑制に資するものである。しかし、社会保障制度の持続可能性という観点からは、引き続き改革に取り組む必要がある。

2021年6月、後期高齢者の窓口負担を2割へ引き上げる法改正が成立したが、団塊の世代が後期高齢者入りしていくことを考えると、社会保障制度改革に引き続き取り組む必要があるだろう。

当社が考える制度改革は大きく次の3つの柱へと集約される。柱の1つひとつは、予防医療の取り組みとも相互に関係している(図2)。

第1の柱は、介護保険や後期高齢者の医療費の自己負担率引き上げのような、受益と負担の適正化である。予防医療の定着による介護負担減少や自立高齢者の増加は、自己負担率引き上げの受け入れ余地の拡大につながる。

第2の柱は、費用対効果の評価・分析、市販薬への代替可能性の検証を通じた保険適用範囲の見直しである。既存の医療サービス・薬品の給付範囲の見直しは、予防医療への保険適用の財源捻出につながる。

第3の柱は、地域医療体制の推進、技術・データ利活用による医療介護体制の効率化である。予防医療へのAIやIoT技術の導入、社会的なバックアップは、地域内の医療と介護の連携や健康・医療情報の流通を促し、医療介護体制の効率化と相通じるものになる。
[図2] 予防医療実装と社会保障制度改革
[図2] 予防医療実装と社会保障制度改革
出所:三菱総合研究所
最後に強調しておきたいのは、予防医療の主目的は、自分らしく生きる自己実現の達成にこそあるということだ。それには、年を取っても相応に健康を保つことが不可欠である。

国民のウェルビーイング向上のためにも、社会保障制度の改革に粘り強く取り組むべきだろう。

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