マンスリーレビュー

2022年7月号特集3ヘルスケアテクノロジー

「分散型臨床試験」によるイノベーションの加速

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2022.7.1

ヘルスケア&ウェルネス本部川上 明彦

ヘルスケア

POINT

  • 新たな治験手法「分散型臨床試験(DCT)」が登場。
  • 日本発の革新的な医薬品創出のチャンスを生み出す。
  • DCT普及により、異業種でのイノベーションも加速される。

DCTが変える医薬品開発

医薬品などの有効性と安全性を確認する治験において新しい手法への期待が高まっている。デジタル技術を活用し、医療機関に来院することなく患者の自宅など遠隔地で治験を実施する「分散型臨床試験(DCT)」※1である。米国や欧州などの先進的な国では、治験以外の臨床研究において普及が始まっている。新型コロナウイルス感染症拡大防止への期待から、2022年以降に治験での普及が世界規模で大きく進むことが予想される。

日本発イノベーションの起点に

DCTの普及は、日本発のイノベーション創出のチャンスである。従来日本企業の海外展開のハードルとなっていた海外の医療機関・患者などへのアクセスが容易になる可能性があるからだ。DCTでは、さまざまなデジタル技術を用いたデバイスからのデータを蓄積し、一元的に管理するシステムであるITプラットフォームの活用が想定されている(図)。これにより、治験の一連のプロセスならびにデータが統合され、スムーズな治験実施が可能になる。

プロセスやデータの一元管理だけでなく、医師や看護師、患者などをあらかじめITプラットフォームに登録し、日常的にデータを収集したり活用したりすることで、多くの医療機関に頼らずとも治験が可能となる。ITプラットフォームが普及・発展することで、治験実施場所が分散するだけでなく、医療機関の数が減り、中長期的には治験に登録する医療機関の数を極限まで減らす「サイトレス」な治験にも発展しうる。

その結果、日本から海外の医療機関・患者などへのアクセスが容易になる。日本と海外での同時開発のハードルが下がれば、日本発のイノベーションのチャンスが広がるだろう。
[図] ITプラットフォームを活用したDCTの概念図
[図] ITプラットフォームを活用したDCTの概念図
出所:三菱総合研究所

異業種・異業態でのイノベーションも加速

予防医療、介護、保険、食品など創薬以外の業種や業態におけるイノベーション創出のチャンスでもある。従来の治験では関係する業種・業態は限られていたが、DCTではデジタル・デバイスを用いることから、患者から収集されるビッグデータによる解析が可能となる。この情報を横断的に利用できれば、メリットは大きい。ITプラットフォーム上でデータを取得して、治験のみならず、さまざまな関係者が利活用できれば、創薬を始めとして、予防医療、介護など、さらに多くの企業でもイノベーションが加速する可能性がある。ツールやITプラットフォームの開発・提供に携わるIT事業者の参入も期待できる。

DCT普及には環境整備が必要

現在の治験は、複数の国で同時に行われる国際共同治験が主流である。国際共同治験の参加国では、当該国の患者に対する新薬の有効性および安全性が確認されるため、新薬の薬事承認が早まり、いち早く患者のもとに新薬が届けられる。

国際共同治験においてもDCTの手法が活用されると予想される。ただし、日本が世界的なDCTの潮流に乗り遅れ、国際共同治験に参加できなくなると、ドラッグ・ラグ※2が再拡大し、医療の質が相対的に下がるおそれがある。

留意すべきは、DCT普及には規制面・技術面・運用面で多くの課題がある点だ。技術面・運用面の課題としては、医療機関におけるIT環境整備やITプラットフォーム整備がある。整備に必要となる初期投資の問題は、中長期的には医療提供体制の効率化や治験費用の削減により解決されるだろう。

規制面の課題として、「現行の各法令・ガイドライン下においてDCTを実施可能なのか」「どのように実施すべきなのか」などを、企業が判断する材料が不足していることがある。そのため、厚生労働省では、DCT普及に向け、ガイダンス整備を進めている。なお、完全にサイトレスな治験については、現行の法規制下では実施が困難なため、さらなる検討が必要となる。

DCT実施には、患者への配慮も必要だ。例えば、実施医療機関から遠方に居住している患者が副作用などで緊急措置が必要となった場合の対応策について、事前に検討しておかなければならない。

さらに、DCTでは医療機関以外にも訪問看護事業者や治験薬配送業者など、さまざまなプレーヤーが参画するため、個人情報を含む患者情報の管理について十分な対策を講じる必要がある。政府は骨太方針2022※3において、創薬力の強化に言及した。世界最先端の医療技術を患者が享受できる環境の維持に加え、日本発イノベーションの創出・加速の観点から、DCTの普及、さらには完全にサイトレスな治験の実現が望まれる。

※1:Decentralized Clinical Trials:分散型臨床試験。オンライン治験、リモート治験とも呼ばれる。

※2:海外で承認・使用されている医薬品が日本で承認されて使用できるまでの時間差のこと。海外と格差があったが、医薬品医療機器総合機構(PMDA)の調査によると2006年度に2.4年だったのが、2022年度には0.7年まで短縮。

※3:「経済財政運営と改革の基本方針2022 新しい資本主義へ~課題解決を成長のエンジンに変え、持続可能な経済を実現~」(2022年6月に閣議決定)。