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企業の持続的な成長をもたらすキャリア自律(前編)

38社の人事担当者インタビューに見る最新事情

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2024.6.26

人材・キャリア事業本部菊田千紘

人材
「キャリア自律」論は1990年代以降、たびたび繰り返されてきたが、まだ日本で効果的に導入されているとは言いにくい。そこで、企業経営や個人のキャリア形成にどのような効果がもたらされるのかを整理すべく、38社の企業人事担当者にインタビューを実施した。その結果、キャリア自律に対する企業のマインドの変化や、社会環境を踏まえたキャリア自律の必要性が改めて見えてきた。その成果を踏まえ、前編では、これまで提唱されてきた労働者目線でのキャリア権との違いや、キャリア自律が企業成長にどのようにつながるのかを解説する。

労働者主体のキャリア権・キャリア自律はもう古い

「日本企業では労働者のキャリアは企業が決定し、働く側に選択権はなかった。これからは労働者自身がキャリアを決定できるようにするべきだ。」

日本では、数十年前からこのような議論が繰り返しなされてきた。

こうした議論は、そもそも1999年に「キャリアは財産」の考えのもと「キャリア権」が提唱されたことが端緒となっている。キャリア権とは、労働者の権利の1つとしてキャリア形成・開発を保証するという概念である※1。また「キャリア自律」もキャリア権とほぼ同時期に研究が進んだ概念である。例えば「従来企業の視点で提供されていた人事の仕組み・教育の仕組みを、個人の視点から見た、キャリアデザイン・キャリア構築の仕組みに転換するもの」※2などと定義されている。

しかしこうした概念が提唱されてからすでに約20年たつが、いまだキャリア権に関する考え方は十分に浸透しておらず、常に「新たな考え方」として紹介され続けてきた。その背景として、当時提唱されたキャリア権やキャリア自律は、社員のキャリア形成について強大な権限を有する企業に対抗するための労働者の権利、として語られる傾向が強く、企業側の視点が欠けており、企業にとってのメリットについての議論が乏しかったことが挙げられるのではないか。キャリアとは、企業で働く労働者=社員がどのような部署に配属され、どのような仕事に従事するかによって決まる部分が非常に大きい。キャリア形成の主体として、社員の視点と企業の視点の双方を検討することは必要不可欠である。

当社は、厚生労働省委託事業として業種・企業規模・設立年数など多様な38社の企業人事担当者にインタビューし、近年の企業内の人事制度、人材採用・育成状況について調査を行った。その結果、多くの企業が「キャリア自律」を意識して人事制度の構築・運用に取り組んでいたが、指向しているのはこれまで研究されてきた労働者目線のみのものでは必ずしもなく、各社は企業成長への効果を認識した上で取り組みを実施していることがわかった。

優秀な人材の採用・定着、生産性向上に不可欠

「人材を採用できない」「採用しても辞めてしまう」など、人手不足に関する悩みを持つ企業は非常に多い。規模を問わず多くの企業が人手不足に課題感を持ち、経営上の大きな課題であると捉えている(図表1)。
図表1 正社員の人材充足状況(2024年)
正社員の人材充足状況(2024年)
出所:株式会社東京商工リサーチ「「人手不足」企業、69.3%で前年よりも悪化 建設業は8割超が「正社員不足」で対策急務」を基に三菱総合研究所作成
https://www.tsr-net.co.jp/data/detail/1198512_1527.html(閲覧日:2024年5月9日)
企業でキャリア自律に取り組むことで、以下のような人材に関する課題を解決できる可能性がある。

①優秀な人材の採用や定着への効果

近年、やりたい仕事をするための転職の増加や、新入社員が配属部署・場所への希望を強く持つなど、やりたい仕事を労働者自身が選び取ろうとするトレンドが強まっている。特に専門的かつ高度なスキルを持つ人材は業務を通じて自身のスキルをさらに磨き続けたい意向を有するため、この傾向が強い。

したがって、従事する業務の内容を自分で決められること、つまり自律的なキャリア形成が可能な環境を整えることは、専門的なスキルを持つ優秀な人材の採用や定着につながりやすい。

②社員の生産性向上

インタビューで「キャリア自律を意識し人事制度構築・運用に取り組んでいる」と回答した企業のうち、その目的として「社員に目的意識を持って働いてもらい、生産性向上に期待」を挙げる企業が数多くあった。

実際に、キャリア形成に対する自律的な姿勢や価値観を持つことは、労働者個人や組織単位での主観的な生産性向上に間接的に寄与するとの研究結果もある※3。キャリア自律を促すことは、企業全体としての生産性向上につながると言えるだろう。

労働者自身による戦略的キャリア選択が当たり前に

人手不足やキャリアの長期化から、今後ますます企業を超えた人材移動(転職や副業・兼業などの増加)や、企業内での人材移動(企業や社員自身の変化を踏まえた専門性の転換・部署の異動)は一般的になるだろう。企業での人的資本経営について解説する「人材版伊藤レポート2.0」では、「動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用の重要性」として、企業の経営戦略を踏まえて人材を採用・配置・育成することが推奨されている※4。今後は、経営戦略と連動させた人材戦略に力を入れる企業がますます増えていくはずだ。こうした変化を踏まえ、労働者側も、単に企業に与えられた業務・職務に従事し続けるのではなく、自身のキャリアビジョンを常に考え、自らの責任で戦略的に仕事を選択していく(=キャリア自律)人が増えていくと考えられる。

大学生を対象にした調査でも、「自分のやりたい仕事ができる」ことは内定承諾理由の第1位である。また「育成に力を入れている」「入社後のキャリアを具体的にイメージできる」の割合は大きくなっており、「やりたい仕事を自分で選びたい」「成長したい」といったキャリア自律につながる考えを学生が強く持っていて、就職先決定に影響を及ぼしていることがわかる(図表2)。
図表2 内定受諾の最終的な理由
内定受諾の最終的な理由
出所:株式会社リクルートマネジメントソリューションズ「2024年新卒採用 大学生就職活動調査~蛙化現象はなぜ起きる?これからの採用コミュニケーションとは~」、p.30、2023 を基に三菱総合研究所作成
https://www.recruit-ms.co.jp/upd/newsrelease/2311171722_2825.pdf(閲覧日:2024年4月19日)

キャリア自律で転職は本当に増えるのか?

一方、「キャリア自律を取り入れると社員が辞めてしまい、むしろ人手不足が加速するのではないか」との懸念を持つ企業もあるだろう。企業がキャリア自律を推奨し、費用を負担して社員が望むスキルを学ぶ機会などを提供した結果、キャリアアップのために身につけたスキルを活かして他社に転職してしまうことを恐れる企業は多いのではないか。

後編「企業がキャリア自律時代を生き抜くポイント」ではこうした懸念に応えつつ、企業がキャリア自律時代を生き抜くためのポイントを、企業における具体的な取り組みの実例も交えて紹介する。

※1:諏訪康夫「雇用政策とキャリア権-キャリア法学への模索」、pp.144-162、2017、弘文堂

※2:花田光世「個の自律と人材開発戦略の変化--ESとEAPを統合する支援・啓発パラダイム」(日本労働研究雑誌557号)、p.54、2006、労働政策研究・研修機構

※3:公益財団法人 日本生産性本部 生産性総合研究センター、「日本企業の人材育成投資の実態と今後の方向性~人材育成に関する日米企業ヒアリング調査およびアンケート調査報告~」(Ⅲ. 日本企業の人材マネジメントの実態~アンケート調査より~」、pp.27-48、2020
https://www.jpc-net.jp/research/assets/pdf/Productivity_report_vol.17.pdf(閲覧日:2024年4月19日)

※4:経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~」p.16、2022
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf(閲覧日:2024年4月19日)

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