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TPPと日本の農業の未来

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2016.2.5

政策・経済研究センター白戸智

エネルギー・サステナビリティ・食農

■TPPに関する影響試算

 政府は12月24日、環太平洋連携協定(TPP)の経済効果を13兆6千億円とする試算結果を明らかにした。これは2013(平成25)年3月に発表された政府統一試算の3.2兆円を大きく上回るものである。2013年の試算では関税引き下げ効果を中心に国内生産の増減を単純にモデル計算したのに対して、今回は成長戦略とも相まって関税引き下げに伴い国内企業の生産性が改善し、雇用環境改善で雇用も増加するとの条件が新たに置かれたことによると考えられる。
 その実現性についてはあらためて検証が必要であるが、農業分野についてみると前回3兆円とされた農林水産物生産額の減少が、今回は1,300~2,100億円の減少にとどまるとの結果となっている。原因については、輸入品価格が低下しても政府の支援策などにより生産量が維持されるとの前提のもと、価格低下効果のみを算定したためとしている。
 当社で政府試算と同じGTAP※1モデルで政府の対策効果などを入れずに単純に関税低下率を入れ込んで試算を行った結果では、農水産分野については1年目に0.1兆円、10年目に1.1兆円、25年目に1.8兆円の生産減となっている。また、農水関係の動向に詳しい東京大学鈴木宣弘教授は、内外の農水品競争力などを考慮に入れてTPPによる最終的な経済影響を1兆円以上と発表している。いずれも、今後の農業の競争力向上効果を考慮に入れたとする今回の試算額を大きく上回るものである。
 TPP大筋合意における最終の関税率が実現する期間は品目によって異なるが、農産品は最長16年間となっている。この間にどれだけ日本の農産業の競争力を強化できるかが最終的な影響額や、現状で生産額8.5兆円の日本の農業の持続可能性に大きな影響を与えるといえよう。
GTAPモデルによるTPP大筋合意の弊社影響試算結果
GTAPモデルによるTPP大筋合意の弊社影響試算結果

■農業保護は必要なのか

 では、日本の農業持続はなぜ必要なのか。農業に対するスタンスは、世界でも国によって異なる。中東諸国やシンガポールのように、農産物の自国生産がほとんど期待できない国もあるし、南米諸国のように自らの食料を輸入しつつ海外への大規模農業産品輸出を進める国もある。米国も農業輸出国であり、輸出のために農業保護を行っている。
 日本の場合、食料自給率の維持が重要課題とされる。確かに食料自給率は戦後低下の一途であり、2014(平成26)年のカロリーベースの食料自給率は40%を切っている。しかしながら近年の自給率低下の大きな原因は消費者のコメ離れであり、コメ自体は国家貿易制度の輸入枠以外十分に自給が保たれている。
 今後の高齢化する農業従事者のフェードアウトによる農業弱体化を心配する声もある。これについて言えば、むしろ今までの農業従事者が多すぎたのであろう。戦後のコメ政策は、小作農への農地解放を受けて、政治的安定のためにできるだけ多くの農業従事者を維持する政策であった。さらに、減反政策によりコメ価格を維持することで、その生産体制の維持を図るものであった。こうした社会政策としての「農家」保護と、「農業」保護はわけて考える必要がある。今後は変化する農村社会を前提に、将来的に持続できる新しい農業構造への転換を重視して政策を進めていく必要がある。
 実際、2000年代に入り、時の政権によりこれまでの兼業農家重視、減反政策中心の農業政策に対して転換のかじが切られた。昨今のJA解体問題はその象徴であり、農協の支援のもとでのみ生き延びられる兼業農家から、大規模化・生産性向上を目指す担い手・法人などの大規模農家重視の姿勢への転換を示すものである。
 ところが、今回のTPP大筋合意を受けて11月25日に公表されたTPP政策大綱や、それを受けて公表された2015年度補正予算のTPP対策費では、その方針に迷いがみられる。3,000億円の対策費のうち、目玉は土地改良事業の1,000億円で、これは農地の大規模化を進めるためとされるが、これまでも土地改良事業はばらまき批判があり、必ずしも大規模化に使われる保証はない。農業の生産性向上につながる耕種・果実の「産地パワーアップ事業」も個別農家ベースのばらまきとの批判もある。何より主食であるコメの余剰回避対策について飼料米対策以外の方策を打ち出せていない。

■日本の農業の未来

 今後の農業従事者の減少の中、日本の農業はいやが応でも大きな転換を迫られる。もちろん、農業は農村地域においては、雇用上もコミュニティ上も重要な役割を占めている。景観や環境上果たしている役割も大きい。あなたの知っている田園風景から、もし田んぼや畑が無くなったらと、想像してみてほしい。ただし、今までと全く同じ仕組みで支える必要はないのである。
 既に一部では、インターネットで大都市の消費者に直接支えられる生産者や、地産地消、六次産業化などの流れに乗って自活できる農家も増えている。東日本大震災のあとには植物工場や温室果実などの新しい農業に取り組む人々も増えている。今後は海外に販路を求める農家も増えてくるだろう。コメに対しては今のところこうした自由度が少ない。長く続いた減反政策の中、10アール当たり収量を増やすための研究すら長らく凍結されてきた。「工夫のできる」コメ農業を実現する必要がある。
 キヤノングローバル研究所の山下一仁主席研究員は、かねてより減反政策を廃止するかわりに欧米のような環境支払制度を大規模農家優先で導入して、大規模化を促進することを提唱している。日本経済研究センター(JCER)の猿山純夫氏の試算では、減反の廃止により米生産コストが半減し、導入される直接支払額を上回る国民利益が実現する。大規模化、法人営農導入などによってコメ生産コスト半減が本当に可能かについては、今後の検証が必要であるが、減反政策廃止後の総合的なコメ政策の方向性としては十分にありうるだろう。
 一方で、コメ農業は集団による農業である。一戸一戸の土地は決まっていても、田植えの時期や、用水やあぜの維持管理には、集落の共同作業が求められてきた。東京大学の中嶋康博教授も法人営農の落とし穴として、将来こうしたコミュニティの協力による潜在コストが法人の生産コストに上乗せされる可能性を指摘している。中島教授は、今後残る2割の農家の跡を継ぐ人が、地域の農地をまとめ、地域の協力を得ながらコストのかからない効率的な農業を行っていく、というのがもっともありうる姿ではないかと指摘している。だからといって先進的な法人営農がだめというわけではない。地域コミュニティと法人が協力する新たな営農の姿もありうるだろう。こうした農業の新しい動きを活性化する、柔軟性があり複線的な新たな農業政策立案に、すぐにでも取り掛かるべき時が来ている。
以上 

※1Global Trade Analysis Projectの略。GTAPモデルは、貿易政策を分析するために,パーデュ大学のハーテル教授らを中心にして作成されたモデル。