コラム

カーボンニュートラル時代の原子力エネルギー・サステナビリティ・食農

処理水放出から1年。得られた知見と課題。

安心感の維持・向上への布石とは

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2024.8.22

社会インフラ事業本部吉永恭平

カーボンニュートラル時代の原子力
2023年8月に始まった、福島第一原子力発電所にたまる処理水の海洋放出。ALPS処理水の海洋放出は、濃度測定や希釈などの放出準備に数カ月を要する大規模なプロセスである。その管理体制も重厚であり、放出前の施設や放出後の海洋でのモニタリングでは第三者機関も幅広く関与する。海外諸国からの注目度も高い国家的なプロジェクトである一方で、処理水放出はまだまだ始まったばかり。この先数十年続く廃炉完遂までの取り組みの中で、この1年がどう位置付けられるのかについて解説する。

海洋放出のプロセスとは?

「ALPS処理水」の海洋放出は、この1年間で計7回に分けて実施されてきた(図表1)。
図表1 2023~2024年度の海洋放出
2023~2024年度の海洋放出
出所:廃炉・汚染水処理水対策チーム会合資料、東京電力資料を基に三菱総合研究所作成
「ALPS処理水」とは「福島第一原子力発電所の建屋内に存在する放射性物質に汚染された水を、多核種除去設備(通称「ALPS※1」)などを用い、トリチウム以外の放射性物質を規制基準以下まで浄化処理した水」※2※3と定義されている。福島第一原子力発電所の敷地内には1,000基を超えるタンクが並ぶが、タンク内の水は浄化処理の段階によって浄化度合いが異なる。処理時期の運用方針の違いなどにより浄化処理を完了していない処理途上水が存在するため、2024年現在でタンクにあるALPS処理水は全体の約3割である。

放出前の濃度測定は、約3万㎥(長さ50m、幅25m、深さ2mのオリンピック用競泳プール12個分)のタンク群で、水質が均等になるようかき混ぜながら約2カ月をかけて濃度測定が行われる。測定後のALPS処理水は、希釈設備で海水と混ぜ合わせ100倍以上に薄められる。海洋への放出では、海底の岩盤内を掘削した全長約1kmのトンネルを利用し、沖合の水深約12mの位置で放出される。

放出前のALPS処理水中の放射性物質は、東京電力をはじめ、第三者機関として国際原子力機関(IAEA)や日本原子力研究開発機構(JAEA)、原子力規制庁、株式会社化研などが分析に関わる。海域でのモニタリングでは、関係省庁や地方公共団体(一般社団法人福島県環境測定・放射能計測協会)、それに原子力事業者などが連携して、海水に加えて、水産物・海洋生物、海底土の採取・分析を放出開始前から行っている。ALPS処理水の海洋放出は、大規模な放出前後の手順と第三者機関の手厚い関与により、重厚な管理の中で実施されている。

安全性への評価や安心感は?

海洋放出の開始にあたり、最大の懸念となったのは風評被害だ。放出前から現在に至るまで国内外からさまざまな反応があった(図表2)。福島第一原子力発電所の事故に伴う輸入規制は、海洋放出直前までに49の国・地域において撤廃されている。特に海洋放出直前には、欧州連合(EU)や欧州自由貿易連合(EFTA(アイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン))で輸入規制が撤廃され、輸入規制を継続するのは6の国・地域(ロシア、中国、香港、マカオ、韓国、台湾)のみとなった。放出後、中国などによる追加的な輸入規制の実施や、幾つかの国ではモニタリングを強化する動きはあった。その一方で、IAEAによる安全性承認や規制基準が下回っていることを踏まえて対応に満足するという発表も多数であった。その後、新規に輸入停止措置を講じる国はなく、逆に安全性向上への取り組みを評価する動きも見られる。
図表2 ALPS処理水放出に対する諸外国の反応
ALPS処理水放出に対する諸外国の反応
出所:日本貿易振興機構ビジネス短信を基に三菱総合研究所作成
こうした海外の反応に対し、日本国内、政府の動きを見てみたい。

各省庁はさまざまなイベントで三陸・常磐産品の魅力や安全性について発信しているのをはじめ、在京外交団等向け説明会などを開いてきた。また中国・韓国や南米への政府向け説明や、台湾など各国からの「観察団」の視察対応などを継続的に行っている。

加えてネットも戦略的に展開している。海洋放出のモニタリング結果のバナー広告掲載や、解説動画の発信も継続しており、英語のほか中国語、韓国語版のポータルサイトも公開している。放出する水の安全性を「目に見える形」で示すことを目的に、「海水」と「海水で希釈したALPS処理水」の両環境におけるヒラメの飼育、比較試験も行っている。こうした取り組みには、各省庁や東京電力のほか、福島相双復興推進機構、中小企業基盤整備機構、日本貿易振興機構(JETRO)なども連携している。

地道な取り組みの結果、海洋放出後に行われた日本原子力文化財団の世論調査では、処理水の海洋放出や水産物の購入に対して、「問題ないと思う」「特に気にしていない」という意見が多く見られた※4。常磐ものの代表格ヒラメの平均単価も過年度と比較して下落することはなかった※5。前述した諸外国の動向やこれらの国内の反応を総括して、2024年6月に発表された令和5年度版原子力白書は、「政府・東京電力を始めとする関係者の科学的評価に基づいた情報発信などの対応は、国民の不安を一定程度払拭することに寄与したものと評価」し、ALPS処理水の安全性について「国民の間に一定程度浸透しているもの」と記載された。

処理水放出はまだ序盤に過ぎない

ALPS処理水の海洋放出は廃炉完遂において重要な意味を持つ。それは、現在処理水などを保管する1,000以上のタンク群を減らすことが、貯蔵管理・老朽化対策コストや災害発生時の漏えいリスクの低減に直結するからである。また、福島第一原子力発電所の敷地内の用地を確保し、廃炉に際して必要な設備増設等の作業の円滑な進行にもつながる。

ただし、ALPS処理水放出はまだ始まったばかりである。福島第一原子力発電所内には、タンク内(2023年度時点で697兆ベクレル)および事故を起こした発電所建屋内(総量は現時点で不明確)にトリチウムが存在する。建屋内のトリチウムは汚染水として日々くみ上げられてタンクへ移動するが、廃炉完遂までにタンクに移動するその総量はまだ不明である。東京電力では、現時点で建屋内にトリチウムが最大量残存していたとしても、管理目標の年間22兆ベクレル以下かつ規制基準※6以内で、すべてのALPS処理水の海洋放出を完了可能であることをシミュレーションにより確認している(図表3、4)。
図表3 放出シミュレーション(トリチウム総量が多いケース)
放出シミュレーション(トリチウム総量が多いケース)
出所:東京電力「多核種除去設備等処理水(ALPS処理水)の海洋放出に係る放射線環境影響評価報告書」を基に三菱総合研究所にて試算
図表4 放出シミュレーション(トリチウム総量が少ないケース)
放出シミュレーション(トリチウム総量が少ないケース)
出所:東京電力「多核種除去設備等処理水(ALPS処理水)の海洋放出に係る放射線環境影響評価報告書」を基に三菱総合研究所にて試算
一方で、トリチウムの放出は国内外の各原発でも比較的長い実績がある。対照的に、前例のない事故炉の廃炉完遂では、陸上の1,000を超えるタンク群を可能な限り早急に撤去する重要度が相対的に高くなることも考えられる。シミュレーションでは、建屋内に存在するトリチウム総量を変えた2ケース双方ともに、放出期間を2023年度~2051年度と長期間設定することで、年間の放出量は22兆ベクレルよりもさらに低位である。他方で、管理目標の年間22兆ベクレルは、国内の通常炉で設定されている放出管理目標値(年間7.4兆~290兆ベクレル※7)に対しても余裕のある値だ。地上保管によるリスクを可能な限り低減するためには、ALPS処理水の海洋放出量を拡大する検討も重要となるだろう。

また、建屋内からくみ上げる汚染水量を減らすことでタンクの撤去も早めたい。現在、汚染水くみ上げは、建屋内水位を地下水位よりも低く保ち、建屋内滞留水が外部に流出するのを防ぐために必要な措置である。建屋内に流入する地下水の量を減らすための止水と呼ばれる対策を進めることで、くみ上げによる新規貯蔵量を減らすことが可能となる。

30年のリスク管理と国民一体での理解を

このように、開始から1年が経過したALPS処理水の海洋放出は、厳格な管理と国内外機関からの手厚い支援によって進められている。ただし、現在見込まれる約30年間という放出期間に鑑みるとこの1年は序盤にすぎない。一方で、30年もの期間をトラブルゼロで過ごすことは、どんな機器であっても難しい。2024年2月には汚染水浄化装置からの水漏れが発生し、水がしみ込んだ可能性のある土壌の回収が行われている。東京電力をはじめ関係する各機関は、こうしたトラブルを未然に防ぐための対策と、トラブル発生時における迅速かつ適切な対処を徹底するとともに、海洋放出プロセスの定期的な見直しと改善を行いながら、風評被害の排除とリスク管理を海洋放出完了まで続ける必要がある。

日本国民としては、ALPS処理水の問題を私たちが暮らす日本の問題として捉え、正しく理解することが重要だろう。これにより海洋放出を含む廃炉作業の完遂、そして地域の復興を日本一丸となって目指したい。

※1:ALPSとはAdvanced Liquid Processing Systemの略で、さまざまな放射性物質を取り除いて浄化する「多核種除去設備」のこと

※2:経済産業省「ALPS処理水に関する質問と回答 Q1:「ALPS処理水」とは?」
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/alpsqa.html(閲覧日:2024年7月8日)

※3:ALPS処理水に対して、多核種除去設備等で浄化処理した水のうち、安全に関する規制基準を満たしていない水(トリチウムを除く告示濃度比総和1以上)は「処理途上水」と定義され、2つを併せて示す場合は「ALPS処理水等」と定義され、呼び分けられている。風評被害防止を目的とした定義づけであり、過去にはトリチウム水とも呼ばれていた。性質については、三菱総合研究所の別コラムで解説している。
「トリチウム水」って何?(カーボンニュートラル時代の原子力 2018.6.20)

※4:一般財団法人日本原子力文化財団「2023年度 原子力に関する世論調査」

※5:いわき市漁業協同組合 公式サイト「市況情報」
http://fsiwakigyokyo.jf-net.ne.jp/shikyoujouhou(閲覧日:2024年7月11日)

※6:環境放出(海洋放出)に係る国の規制基準では、トリチウムは1リットルあたり6万ベクレルと設定されている。現運用では、希釈後のトリチウム濃度は1リットルあたり1,500ベクレル以下で設定されており、規制基準の1/40、飲料水限度目安(WHOガイドライン)の約1/6の水準である。また、放出管理値は、1日あたりの最大放出量は500㎥、年間の放出量は22兆ベクレル未満となるように設定されているが、中国にある寧徳原発の2018年の放出実績(約98兆ベクレル)の1/5程度の水準である。

※7:日本国内の通常炉での実績では、年間90兆ベクレルを超えるトリチウム放出例があり、実績値と比較しても年間22兆ベクレルは特別な数値ではない。
参考:JNES 独立行政法人原子力安全基盤機構「原子力施設運転管理年報(2012年度版)」

図表3、4の試算条件

図表3、4の試算条件。共通事項とトリチウム総量の前提
出所:東京電力「多核種除去設備等処理水(ALPS 処理水)の海洋放出に係る放射線環境影響評価報告」を基に三菱総合研究所作成

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