マンスリーレビュー

2022年10月号特集1経済・社会・技術海外戦略・事業

経済安全保障という新たな視座

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2022.10.1

専務執行役員長澤 光太郎

常務研究理事古屋 孝明

POINT

  • 米中対立に加え第三極の動向も懸念される複雑な変化の時代に。
  • 安全保障と経済とをめぐって総合的な調整・判断が求められる。
  • 日本の政府と企業は予見力を高めて個別に現実的な打ち手を。

安全保障観は見直し迫られる

ロシアのウクライナ侵攻や、米中対立の深刻化による東アジア地域の緊張で、半導体やエネルギーなどの「重要物質」を日本が安定調達する体制が揺らいでいる。

安全保障は近年、内容が大きく変化している。さまざまな革新技術が活用され平時と有事の境が不明確になり、経済的な依存関係が「武器」として利用されるだけでなく、戦いの舞台も陸・海・空から、サイバー空間・宇宙・電磁波領域などにまたがるハイブリッドなものになってきている。

世界は、米国と中国などによる限定的なデカップリング(非連動化)の流れが強まり、グローバル経済の在り方も変質する可能性が大きくなっている。今後の人口増加や経済成長が予想される国々では、米中両陣営とは中立的な立場をとる、第三極の動きも出ている。

米国の影響力が低下する中で、世界情勢の激動により、日本は経済社会活動の基盤となる平和と安全を自ら構築していく努力を求められ、従来の安全保障観を変える必要に迫られている。

3つの国益を実現する経済安全保障

こうした中で2022年5月に「経済安全保障推進法」が成立した。日本政府は、経済安全保障について「国家と国民の安全を経済面から確保すること」と説明し、新たな取り組みを進めている。

当社の見解によると、経済安全保障は安全保障と経済とが重なる領域であり、世界情勢に応じて内容が大きく変化する(図1)。
[図1] 経済安全保障の考え方
[図1] 経済安全保障の考え方
出所:三菱総合研究所
安全保障と経済は、補完する場合と相反する場合がある。例えば、ある国家同士が経済的に相互依存すれば、両国間の安全保障は高まるのが通例である。しかし、経済依存関係が自国の権益を拡大する武器として使われれば、リスク増にもなる。

また、安全保障を実現するポイントは「抑止力」と「相互信頼力」の2つだ。日本にとって抑止力は米国との防衛協力、相互信頼力は緊張緩和と多国間協力でもたらされる。

一方で経済における抑止力は自律性と不可欠性を向上させることで強まり、相互信頼力は安全保障と別次元の分野において、世界各国とのビジネス連携を強化・拡大していくことで得られる。

経済安全保障においては、これら補完と相反の関係性を認識した上で世界情勢の変化に対応し、総合的に調整・判断するリアリズムが求められる。日本はこうした能力を高める必要がある。

日本政府は、自由や民主主義など普遍的な価値観に基づく国際協調により、経済安全保障政策を進めていくと考えられる。その際は国際通商ルールを重視して、①国家・国民の安全、②経済的繁栄、③普遍的価値やルールに基づく国際秩序、という国家安全保障上の3つの国益を等しく守ることが原則となろう。

脅威に備えれば備えるほど競争と分断を促しかねない、という安全保障のジレンマに陥らず、世界情勢の変化に応じて、国益を着実に実現する現実的な対応が求められる。

日本企業に求められる新たな役割

日本企業は従来、社会経済のグローバル化を前提に比較的自由な活動を行ってきた。今後経済安全保障の重要性が増していく中で、企業活動にも新たな役割が生じていくことになる。具体的には、日本の経済・産業・社会を強化することで、次世代の国民生活を安全で豊かなものにする役割が、より強く求められるだろう。

基幹インフラ事業では、安定供給という従来の役割は変わらないものの、原点に立ち戻り、行きすぎた効率性や個別の最適化による脆弱(ぜいじゃく)性がないか再確認することが必要となる。サプライチェーンでは平時の生産性向上に加えて、有事における代替性確保が求められる。重要技術に関しては、絶えざる新技術の創造や管理が課題となる。

日本企業は、こうした新たな役割を改めて具体化した上で、経済安全保障を「自社の事業基盤を、政府と協調して守り育てることによって、自社の事業の存続と強靱(きょうじん)化と成長に資すること」と定義し経営課題の一つに位置付けることが重要となる。

米中で進む経済安全保障法制の整備

米国と中国は、近年対抗するように経済安全保障法制を急速に整備している。

米国政府は中国依存を高めることをリスクと捉えつつも、中国を主要市場とする米国企業が多大な不利益をこうむらないような政策を進めている。すなわち、①科学技術革新力の強化と機微技術・情報の管理、②重要物資のサプライチェーン再構築、③投資の厳格化、④人権問題などへの対応を通じて、中国とのヒト、カネ、モノ、情報、データの非連動化を進めている。

中国政府は経済安全リスクを防止・解決する制度的メカニズムとして、経済安全保障政策を進めている。2021年からの第14次5カ年計画では、①科学技術革新力の強化と技術の自立、②サプライチェーンを強化する内需・輸出の拡大、③食料・エネルギー・金融の安全確保、④情報・データのコントロール拡充などを進め、長期的に米国依存から脱することを目指している。

日本企業に求められる予見力向上

日本企業は、米国と中国の関連法制に再輸出などに関する域外適用規制があり、政治判断で内容が変わっていく点に注意すべきだ。最新の動向とその背景にある当局の意図を、絶えず把握しておく必要がある。

日本企業は米中両国から、従来のルールや経済合理性とは異なる要因で、短時間での対応を迫られる。安定した経営には自社だけでなく、日本政府や業界と連携して、将来リスクと対応コストを可視化して、予見力を高める必要がある。

その上で日本政府には、企業活動と齟齬(そご)を生じない対応が求められる。2022年末の国家安全保障戦略の見直しに合わせ、経済安全保障政策を段階的に具体化・拡充していくであろう(図2)。
[図2] 経済安全保障の取り組み分野と関連テーマ
[図2] 経済安全保障の取り組み分野と関連テーマ
出所:三菱総合研究所

企業の注目ポイントとアクション

企業側としては、例えば重要物資の安定調達については新規調達先の確保だけでなく、多様な部品を効率よく使いこなせるモジュール設計や内製化などの技術力強化も必要だ。

またサイバーセキュリティなど、平時と有事の境が不明確でグレーゾーンのリスクが増えていく分野では、企業の自助努力だけでは対応が難しいため、政府の役割強化が不可欠となる。

日本企業は自由で効率的な企業活動を不必要に妨げないよう、制度運用の透明性確保と予見力向上を政府に求めるべきである。一方で自社や業界が保有するビジョンや戦略を、経済安全保障のベクトルと整合させるため、政府へ情報提供や提案を行うことも求められる。

経済安全保障に関する対応については、事業継続計画(BCP)や中期経営計画における新たな検討課題として捉え直す必要がある。情報の収集・分析と予測シナリオ策定を通じ、リスクと機会の洗い出しや、経営陣からの情報要求と現場スタッフの情報分析をサイクルとして回すビジネスインテリジェンス機能の強化などを進めるべきだ。

新技術の開発や、バリューチェーンの強みを見直すことを通じて、気候変動や環境保全といった社会課題の解決にも結び付く新規事業を創出すれば、大きな事業成長のチャンスとなる。

具体的なアクションとしては重要技術情報の管理と開発力の強化、サイバーセキュリティの徹底、サプライチェーンの強靱化などが挙げられよう。このため、特集2「安全な社会と経済的繁栄のための重要技術」では、重要先端技術に関する日米の国家戦略を展望した。特集3「基幹インフラのサイバーセキュリティ保護」では、サプライチェーンの実態把握と安全性確保に向けて、官民がどう協力すべきかを考察した。

新たな時代の安全と繁栄に向けて

「安全保障は酸素のようなものである。失われるまでその大切さには気付かない」——。1995年に米国防総省のジョセフ・ナイ次官補(当時)はこう語った。この言葉の重みが増す今、経済安全保障のようなテーマを扱わざるを得ないことは本来、どの企業にとっても本意ではないはずだ。

平和な地球社会の成立条件が相互信頼にあるとすれば、民間企業の活動もその一端を担うとの認識を広く共有することこそ重要である。

日本は少子高齢化が進行し、エネルギー、資源、食料を世界に依存する国だ。技術や文化を新たに創造して、自国企業の製品やサービスを世界に不可欠な存在にするとともに、公正な取引を通じて信頼に基づく経済関係を築くべきだ。

こうしたやり方こそ、アジア太平洋地域に位置し、米中とは違う第三極ともパイプがある日本にとって中長期的に最大の経済安全保障策になると改めて認識したい。

歴史的な転換点に入ったとされる現在は、次の価値観・秩序・ルールが形成されるまでの混迷の時代である。冷静かつ先を見据えた歴史的視点と現実的なアプローチを組み合わせた経済安全保障の取り組みが求められている。

日本政府は、リスク抽出と打ち手策定までを、国の安全と繁栄を確保する戦略として描くため、省庁横断プロセスと司令塔機能を強化していく必要がある。