マンスリーレビュー

2023年8月号特集2人材経済・社会・技術

労働市場への人的資本情報開示の進め方

2023.8.1

キャリア・イノベーション本部大橋 麻奈

人材

POINT

  • 資本市場への開示は加速、次は労働市場への開示。
  • 取り組みの一貫性や改善の方向性を示すことが肝要。
  • ステークホルダーの「内外」を意識して開示と対話を。

人的資本経営と開示の動向

人への投資を通じて企業価値を高める「人的資本経営」に取り組む企業が増えている。政府も各種の施策を通じて後押ししており、2022年5月に「人材版伊藤レポート2.0」を公表したのに続き、同年8月には推進母体として「人的資本経営コンソーシアム」を発足させた。

資本市場への情報開示については内閣官房が同年8月に指針を公表、金融庁による内閣府令の改正を経て2023年3月期から求められることになった。これを受けて同年6月、企業が人的資本の状況に関する開示を有価証券報告書上で始めた。

人的資本経営は投資家から評価を得て、企業価値を向上させる取り組みであるため、資本市場への開示に目が向きがちである。しかし、「従業員への投資、企業の人材戦略の実現」である以上、本来は労働市場への開示が、資本市場への開示と同様に進められるべきである。

人手不足が叫ばれて久しい日本では、企業が優秀な人材の確保に向けて成長戦略とその実現策を発信することが不可欠だ。その点においても、労働市場への開示は重要な意義を持つ。

労働市場への開示での留意点

では、労働市場に対して何を開示すればよいのだろうか。人的資本情報の開示は①どのような戦略で持続的な成長を目指しているか、②戦略実現にどのような人材が必要か、③人材を維持・確保するためにどのような対応をするか、をストーリー仕立てで説明するのが基本である。資本市場に向けて説明の内容を整理した企業も多いだろう。

労働市場に対しても、開示すべき人的資本情報の本質は変わらない。ただし、開示対象が異なる点に注意が必要だ。従業員、求職者、人材サービス事業者ら、企業と「就労」「労働」を通じて関係するステークホルダーが相手となることを前提に開示内容の取捨選択や見せ方の工夫が必要になる。労働市場関係者の共感を得るために、開示する情報の精査を行わなければならない。

例えば、企業理念に基づいてどのような人材を求めているか、そうした人材が経営戦略の実現に向けて活躍できるよう、どのような育成・配置を行っているか、を示すことが重要になる。

労働市場への開示について留意すべき点は、さらに2つある。

第1に、「施策紹介」が目的ではない。労働市場を意識した場合、つい奇抜な施策や成功例をアピールしたくなってしまうかもしれないが、重要なのはストーリーを見せていく点である。自社の戦略に合った取り組みを行っていることを、一貫性を持って説明することが重要だ。

第2に、不利に見える情報こそ積極的に説明すべきである。労働関連の開示指標の中にはダイバーシティや男女間の賃金格差など、過去の人材戦略の結果、企業によっては進捗がはかばかしくない項目があるかもしれない。

しかし重要なのは現時点の情報ではなく、改善のために何をするかである。数字自体のインパクトは大きいが、数字の裏にある原因や事情を詳細に分析した上で、今後の改革方針や施策予定などをしっかりと説明する必要がある。こうした姿勢が、将来性に対するプラスの評価につながる。

宛先に応じて適切な開示を

その上で、開示の宛先となる労働市場には「外」と「内」があることを強く意識して、開示と対話の方法を考えなければならない(図)。

求職者や他社の従業員らが含まれる外部労働市場への開示は、将来の仲間を探す上で重要であることを念頭に置き、自社が今後どのような人材戦略を取るのか、入社した場合どのような活躍ができ、企業成長にどのように貢献できるのかといった視点で、企業の魅力を説明するのがよいだろう。

対して、内部労働市場に向けた開示の対象は自社の従業員である。仲間であり、成長戦略を実現するための重要な戦力である。従業員にとっては、自社の方向性と、会社がどのような処遇・育成・評価方針を採っているのかを知る、非常に重要な情報となる。組織への所属意識や貢献意欲・働きがいに直結する内容であるため、しっかりと対話を行い、納得して共感してもらう必要がある。

情報を閲覧可能な状態にして終わりではない。経営者が直接従業員に説明したり、社内で対話の機会を持ったりするなど、積極的で具体的なコミュニケーションが求められる。
[図] 「内外」労働市場への開示の在り方
[図] 「内外」労働市場への開示の在り方
出所:三菱総合研究所
企業は資本市場と労働市場、双方への開示を通じて投資家と労働者のどちらからも選ばれるようになれば、成長を続けることができるはずである。

著者紹介

  • 大橋 麻奈

    大橋 麻奈

    キャリア・イノベーション本部

    2014年の入社以来、労働・雇用に関する政策立案・実行支援に従事。近年は人的資本経営に関する調査研究にも携わり、2022年からは人的資本経営コンソーシアムの事務局運営を担当しています。