マンスリーレビュー

2023年8月号特集1人材デジタルトランスフォーメーション

人的資本経営に求められる人材移動の在り方

2023.8.1

English version: 21 September 2023

政策・経済センター山藤 昌志

POINT

  • DXやGXへの対応はタスクやスキル単位でのミスマッチを拡大。
  • 「共通言語」によるスキルベースのジョブ型導入が鍵となる。
  • 理念共有とスキル可視化を労働市場への情報開示・共有の両輪に。

政府の労働市場改革に欠けている視点

岸田政権の「三位一体の労働市場改革」が動き出した。「リスキリングによる能力向上支援」「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」「成長分野への労働移動の円滑化」を柱とする改革の狙いは、硬直的だった日本の労働市場を流動化し、成長分野に向けた企業内外の人材移動の活発化を通じて賃上げと経済成長を促すことにある。

当社は「FLAPサイクル」形成による人材活性化を提言している※1。「Find:知る」「Learn:学ぶ」「Act:行動する」「Perform:活躍する」の頭文字にちなんだ造語である。Learn、Act、Performの3点については、政府がこのほど打ち出した改革の指針に具体的な施策が盛り込まれ、方向性は一致している。

ただ、FLAPの起点であるFindに関しては、2つの視点を指針に加える必要がある。まずは、生成AIの登場でさらに加速する産業構造変化が、企業が求める人材の要件をいかに変えるのかという点である。第2は、求める人材像の変化を踏まえて、企業がどのような情報を開示・共有すべきかという点だ。

生成AIが加速させる人材要件の変化

産業構造変化は、人材の要件をどのように変えるのか。当社は、デジタル分野を中心とする技術シナリオに基づく2035年までの中長期の労働需給試算を5年ぶりに見直した。具体的には、デジタル技術を用いた事業変革(DX)、脱炭素化への移行(GX)、経済安全保障の鍵となる半導体産業の再生、そしてChatGPTに代表される生成AIによる雇用への影響を織り込んだ。

ただ、シナリオには不確実性が伴う。試算結果はあくまでも、当社が想定する将来像の1つにすぎないと捉えていただきたい。

図1は、2035年にかけての労働需給を、主要な要因別に集計したものだ。ここで特筆すべきポイントは3つある。
[図1] 2020〜2035年の労働需給バランス(当社試算、各項目は10万人単位で四捨五入)
[図1] 2020〜2035年の労働需給バランス(当社試算、各項目は10万人単位で四捨五入)
出所:三菱総合研究所
第1に、産業構造変化が実現すれば、失われる雇用に匹敵する量の新たな労働需要が発生する。図1に示したとおり、DX、GX、半導体産業再生が実現すれば、それぞれ470万人、270万人、20万人の労働需要が新規に発生する。人口減少が労働供給を抑制することもあって、2035年時点の労働需給ギャップは190万人規模の不足となる。

第2に、人手不足自体よりも雇用のミスマッチが深刻な問題になる。新規に発生する労働需要はIT系を中心とする専門技術職が多い一方、効率化の対象となるのは主に事務職や営業職である。この結果、190万人の人手不足をはるかに上回る480万人規模の産業間・職業間ミスマッチが発生するとの試算が得られた。

つまり、デジタル技術を活用してカーボンニュートラルを実現するには、今後十数年で計670万人分の人材不足を埋める必要がある。これだけのミスマッチを解消するには、大規模なリスキリングを進めると同時に、企業内外で人材流動化を推し進めることが避けられない。

第3に、ミスマッチは人や職業の単位ではなく、業務(タスク)や技能(スキル)の単位で発生する。今回の試算によると、生成AIの普及を含むDXに伴い、就業者数(2035年見込み)の約15%に相当する970万人規模の需要が減少する。

ここで重要なのは、DX進展によって970万人分の雇用がまるまる振り替えられるのではなく、より広範な職種で「タスクの一部を代替する」点だ。さらに、ChatGPTなど生成AIの登場によって、従来は機械による代替が難しいと考えられていた非定型タスク※2が対象となる点も見逃せない。

労働供給の制約が大きくなる日本では、生成AIなどによるタスク代替を脅威と捉えるのではなく、生産性向上に向けた大きなチャンスとみるべきだ。すべての職業で、機械に代替されるタスクは何かを見極めつつ、「AIの力を最大限に活用するための人間側のスキルは何か」を特定して磨きをかけていく必要がある。

例えば、ChatGPTへ適切に質問し、得られた情報に基づき的確な意思決定を行い、決断を実行に移すため周りの人々の共感を得るスキルである。企業や政府はこうしたスキルを明確に可視化し、習得に向けた学びを促さなければならない。

人材要件の変化に関する3つのポイントが示唆するものは何か。それは、DX、GX、経済安全保障への対応がもたらす産業構造変化が、企業内にとどまらない人材流動化を促し、さらには広範な職業におけるスキル・ニーズの変質を伴うことである。三位一体の労働市場改革は、こうした人材要件の変化に対する認識を踏まえた上で取り組むことが肝要だ。

スキルベースでのジョブ型人事導入を

政府の指針は、労働市場や資本市場への情報開示の必要性を繰り返し強調している。例えば、能力向上支援については、世界共通の技術標準規格に準拠したデジタル証明書の「オープンバッジ」による資格情報の認証・表示を求めている。

指針はまた、労働時間ではなく職務(ジョブ)の実績に基づいて給与を定めるジョブ型人事(職務給)導入では給与・雇用制度に関する情報開示が、労働移動の円滑化では求人・求職情報や必要なスキルの共有が、それぞれ肝要だとしている。

流動性が低い日本の労働市場では、これらの情報が十分に蓄積されていないため、開示・共有を積極的に進めるべきだ。しかし、ここで問題なのは、企業や働き手、教育機関といった労働市場のプレーヤーが、どのような情報をいかなる体系で開示・共有するかについての、基本的な考え方が指針には示されていないことである。

前述のとおり、今後見込まれる産業構造変化は企業や産業をまたぐ人材移動を促すとともに、スキル単位でのニーズ変化を伴う。こうした状況下では、労働市場に流通する情報は単一の企業や業界、産業に閉じない「共通言語」で示させるよう求められる。すなわち、人材の経験や仕事の内容が同一の規格で語られることが重要なポイントになるのだ。また、共有される情報は、人材要件の最小単位となるスキルを軸とした体系であることが望ましい。

この意味で、政府指針がジョブ型人事の導入を強く意識していることも重要なポイントとなる。ジョブの定義明確化や職務に応じた報酬制度の採用は、日本企業が年功的な人事制度を離れ、同一労働同一賃金を実現させるためには不可欠である。

しかしジョブ型人事を踏襲してきた欧米でも、ジョブの定義が画一的な組織では、予測困難なVUCAの時代を乗り切るのは難しくなってきている。このため、採用や能力開発、プロジェクト編成、キャリア開発などをスキルベースで行うことを、一部の先進的な企業が試行し始めている※3

日本企業はジョブ型人事の導入に際し、人材の多様なスキルを可視化し、ジョブや役割をスキルベースで定義付けられるようにすべきである。

「理念の共有」と「スキル可視化」を

日本版ジョブ型人事を支える情報の開示と共有について2つの方向性を提示したい(図2)。

まずは、ジョブの概念をより広く捉え、「企業の理念と目的、それを達成するための戦略」を示して働き手と対話することだ。

次に、働き手の多様なスキルを可視化した上でジョブをスキルベースで定義し、スキルを中心とした人事施策を検討することである。
[図2] 日本版ジョブ型人事を支える情報開示・共有の方向性
[図2] 日本版ジョブ型人事を支える情報開示・共有の方向性
出所:三菱総合研究所

(1) 理念の共有

人への投資を通じて企業価値を高める「人的資本経営」の浸透に向けて、2023年3月期から大企業を中心に、資本市場に向けた自社人材の情報開示が始まった。しかし、今後は資本市場だけでなく労働市場への情報開示も重要となる。

労働市場への開示は、企業が人材を獲得・育成するための情報提供と対話の手段になるとともに労働慣行の変革にもつながる。企業の理念やそれを実現する戦略を共通言語で語り、内外の人材(従業員、求職者、他社従業員)から理解と共感を得ることが必要だ。

そうすれば事業戦略に欠かせない人材を引き付けることができる。この点は特集2「労働市場への人的資本情報開示の進め方」で詳述する。

(2) スキル可視化

欧米では一部の企業で、スキルを中心とした組織運営の試みが進んでいる。そこで目指されているのは、企業と従業員が共に事業目的を達成するために必要なジョブや役割を、スキルという共通言語で理解している組織だ。

そのような組織では、自身の役割にどのようなスキルが求められ、それを習得するには何を学べばよいのかが、常に変化する事業環境の中でリアルタイムに把握できる。そこで働き手は、デジタル技術を利用しながら、人間ならではのタスクをこなすためのスキルを磨く。

無論、組織を一足飛びにスキルベースに変えることは難しい。スキルの定義が容易な職種や、プロジェクトベースで業務が行われている事業部門から一歩ずつ導入を進める方が現実的だ。

また、スキルベースの施策は、中途採用や能力開発については比較的導入しやすいものの、給与制度に直結するような施策は難度が高い。体系的なスキル可視化を進めつつ、導入しやすい施策から取り組みを始めることが望まれる。特集3「ビッグデータを活用した人材スキルの可視化」に、こうしたスキルベース組織づくりの方策を示した。

内部(企業内)であれ外部(転職市場)であれ、労働市場を人材が最適なかたちで移動するには、参加者が理解できる共通言語で情報が流通することが必要だ。企業が理念・目的・戦略を発信し、人材が成長領域で求められるスキルを明確に把握する。そして、行政が共通言語の流通に向けた環境を醸成しつつ、労働移動に中立的な制度改正とリスキリング支援を強力に推進することで、ミスマッチなき人材移動が実現できるはずだ。


人材供給に関する制約の深刻化が避けられない状況下で、働き手一人ひとりのキャリアシフトを、社会全体で後押しすることが求められている。

※1:FRONTLINE「職のミスマッチを乗り越える処方箋は、“知る・学ぶ・行動する・活躍する”を循環させる『FLAPサイクル』にあり」

※2:決まった答えがなく、その都度異なった対応が求められる業務。具体的には企画や対外折衝、新規事業開発などを指す。

※3:経済協力開発機構(OECD)や世界経済フォーラムなどの国際機関や経済団体は、能力開発におけるスキル可視化の重要性を強調している。また、マッキンゼーやデロイトなど欧米のコンサルティング企業も「スキルベース組織への移行」を相次いで提言している。

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