マンスリーレビュー

2023年10月号特集2テクノロジー

生体情報のデジタル化とコミュニケーション

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2023.10.1

先進技術センター新田 英之

テクノロジー

POINT

  • 生体情報をウエアラブルデバイスで計測する技術が進展。
  • 生理情報、行動情報から心理情報を推定することも可能に。
  • 非言語コミュニケーションへの活用が進めば社会も変わる。

生体情報をデータ化する技術が進展

人の生命活動の過程で得られる生体情報は、生理情報、行動情報、心理情報の3つにカテゴライズできる。このうち、心理情報の科学的な推定は難しいとされてきたが、センサーなどを使って情報を計測・データ化する「センシング技術」と、それらを分析する技術が進展してきたことで、実現の兆しが見え始めている。

物理的なセンシングが可能な心拍・呼吸などの基本的な生理情報は、一般的に人の健康状態を測る指標として用いられてきた。ウエアラブルデバイスや遠隔センシング技術の急速な発達により、これらの生理情報を仕事や日常生活の合間に、安価で迅速に連続して計測・データ化することが可能になっている。

ウエアラブルデバイスの代表例とされているApple Watchは、搭載された多数のセンサーが心拍、心電、血中酸素濃度などの生理情報を計測して健康に関わる多様なデータ取得が可能である。

生理情報をめぐっては、化学的センシングが必要なため従来は医療機関など以外では計測・データ化が難しかったホルモン値などについても、ウエアラブルデバイスや使い捨て可能なパッチ型デバイスを用いて、汗などの検体から化学成分を分析する研究開発が盛んである※1

表情やジェスチャーを含む身体動作や、声色、位置情報などの行動情報は、古典的な加速度計や動画などからも計測・データ化が可能である。これらの行動情報を分析する技術の進展により、強い感情がもとになって身体の生理的興奮として表れる情動の可視化までが実現している※2

生理情報と行動情報から心理情報の推定も可能

一方で、心理情報を直接計測・データ化することは、現在では困難である。近年ではデータ化された行動情報や生理情報、時には複数の情報を用いストレスの抽出や心理情報の推定を行うなど、高次情報を扱う分析技術の開発が盛んに進められている(図)。
[図] 生体情報のカテゴリーと相関図
[図] 生体情報のカテゴリーと相関図
出所:三菱総合研究所
例えば、伊藤園は2023年4月、自動販売機などで顧客の表情を読み取ってそのときの気分に合った商品を勧める実証実験を開始した。イスラエルのスタートアップSOLO WellbeingとNECとの共同事業で、SOLO社が開発した、顔の表情筋の動きから心理情報を推定する技術を活用している※3

こうしたデジタル技術が進展すれば、人の心理状態をある程度根拠づけて見える化できる。さらに、相手の人間がどう感じているかをAIがある程度把握した上でコミュニケーションする時代が到来すると予測される。

非言語コミュニケーションへの応用に期待

初期の生体情報活用例としては、建設現場などでの作業員の心拍や体温の計測を通じた体調管理モニタリングによる労災予防が挙げられる。

近年では、車内での運転手の心身状態をモニタリングすることで事故を予防するなど、モビリティ分野で人とAIや機械とのコミュニケーションに関わる研究開発が盛んである。

将来は学習・教育システムも、講義やペーパーテスト、グループワークなどを中心とする従来型から様変わりするだろう。心拍や脳波などの生理情報と視線や身体動作などの行動情報をもとに、学習時の集中やリラックスの度合いをモニタリングできるようになる。

さらに、興味・関心や得意・不得意分野を把握できる技術が実用化されれば、生体情報からその都度、リアルタイムで個別に最適な学習・指導法を導き出すことも可能となろう。

心理情報を推定して活用する技術がいっそう進展すれば、これまで行動情報だけを分析・利用していたマーケティングの在り方も激変する。リコメンド機能の抜本的な変化が見込めるからだ。

現在の「人と人」の遠隔コミュニケーションは、モニター越しの平面画像と声色によるものが主流である。多様で繊細な心理情報を遠隔でやりとりするのは技術的に難しいことが、対面に近い感覚を実現する上での高いハードルの1つとなっている。心理情報を非言語コミュニケーションに活用できれば、この点は克服されるだろう。


これらの技術を活かしたコミュニケーションが普及・進展すれば、新しい仕事のやり方や生活様式が登場すると期待される。例えば、リモートワークが広い業種に普及し、通勤時間が減って人々の自由時間が増える。

また、幸せを感じるために重要な要素の1つといわれる心のつながりを、身近な人とだけでなく、遠方にいる人々とも実感できるようになるだろう。心理情報を科学的に推定できるようになれば、われわれの働き方や暮らしは、大きく変わる。

※1:Wei Gaoら(2016年1月27日)"Fully integrated wearable sensor arrays for multiplexed in situ perspiration analysis", ネイチャー誌(オンライン版)509-514ページ。

※2:平澤直之ら(2020年)「ブレイクダンスにおける深層学習を用いたダンサーの情動状態の可視化と文化支援」第34回人工知能学会全国大会論文集。

※3:伊藤園が実証実験の開始を発表(2023年4月17日)。

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