コラム

3Xによる行動変容の未来2030テクノロジー

体の情報から感情を推定するデジタル技術が進展

心の情報の活用が期待できる事業領域

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2024.1.24

先進技術センター新田英之

3Xによる行動変容の未来2030
心拍や呼吸、汗や唾液成分などの生理情報を用いて心の状態(心理情報)を把握する技術が進展著しい。これにより、声や顔の表情などの行動情報からは取得できなかった心理情報を、時間の経過に合わせて把握する「経時計測」が可能となった。心理情報の利活用により、モビリティや教育・学習を含むさまざまな事業領域への適用と社会課題解決への貢献が期待できる。

生理情報から心理情報を推定する技術が進展

人体に関する情報はおおむね生理情報、行動情報と心理情報の3つに区分できる。生理情報や行動情報を計測・分析する技術は進展しているものの、心理情報は直接的な計測が極めて困難である。そのため、音声や顔の表情、身体動作などの行動情報を分析して心理情報を推定する技術が多く開発されてきた※1。音声に反映されるさまざまな感情を推定して数値化する技術は、国内でもコールセンターや人事採用、監査など、多くの用途に使われている※2

近年、心拍や呼吸、汗成分、唾液成分など多様な生理情報を、ウエアラブルデバイスや非接触技術、遠隔技術を用いて、日常生活において手軽に経時計測できる技術が主にヘルスケア分野で進展してきた。心拍や呼吸など物理シグナルについては、非侵襲、非接触、遠隔型でも再現性や精度の高い計測機器の製品化が進んでいる。

これらの生理情報を用いた分析技術の進展により、ストレスやリラックスの度合いなどの心理情報を把握することが可能になりつつある。一例として、人の脈拍を遠隔計測して「集中度」や「リラックス度」を推定し、風量や風向・温度を調節するエアコンも市販されている※3。一方で、これまで医療機関以外では手軽な計測が困難だった唾液成分やホルモン値など化学シグナルを、ウエアラブルデバイスなどを用いて経時計測するための研究開発も盛んに行われており、新たな生理データの取集と利活用が期待される。

生理情報・行動情報の双方を用いる利点

音声や顔の表情などの行動情報を用いた心理情報の推定については、マイクやビデオカメラなど、他の用途で広く使われている計測機器も分析に十分な精度の情報が得られるという利点がある。

一方で、多様な生理情報を低負荷、または無意識のうちに経時計測できる技術が進展している。これらの計測技術で取得したデータを基にすれば、行動情報からは得ることが難しかった心理情報をも把握することが可能となる。

計測技術の日常への浸透と利用可能な生体情報の広がりにより、近い将来、幅広い領域で人の内面に関わるさまざまな情報を用いた事業の展開が期待できる。

期待できる5つの事業領域

市場の可能性と解決可能な社会課題の深刻さ、技術の実用化にかかるタイムスパンの観点から、人の心理情報を把握する技術の有効利用が期待できる事業領域の候補として、われわれは「モビリティ・自動車」「小売り・マーケティング」「ヘルスケア」「教育・学習」「労働衛生」を挙げる(表)。
表 心理情報を用いた事業展開の進展により、関連する社会課題の解決も期待される
心理情報を用いた事業展開の進展により、関連する社会課題の解決も期待される
出所:三菱総合研究所
実装を進めるための技術的課題としては、機器・システムを利用する際にユーザーが感じる煩雑さと、機器・システムの精度などに対する信頼性が挙げられる。他には、心理情報に関わるデータのプライバシー問題なども挙げられる。

技術的課題である煩雑さを解消する方法の一つに、遠隔計測の利用などで装置の人への装着を避けることがある。研究開発の事例として、ビデオカメラによる映像を用いて、顔色のわずかな変化から脈拍を、その挙動から血圧を、胸部のわずかな動きから呼吸数を、それぞれ同時に計測するとともに、赤外線センサーで体表面の温度を並行して計測する技術の開発が挙げられる※4

精度が十分に高くなくても経時計測の利点の方が大きく効いてくるソリューションに応用することも、一つの解決法として挙げられる。ベルト型センサーでバイクを運転する人の心電データを取得し、リアルタイムで緊張状態や眠気、さらには快適感やイライラ感などをモニタリングする「感情センシングアプリ」が開発されている。短時間における心理情報の細かな変化を精密に追う必要がないため、必ずしも高精度な計測ができなくても十分に有用なユースケースとなりえるかもしれない※5

現在の「人と人の遠隔コミュニケーション」は、言語情報と、非言語情報である声色・顔の表情といった限られた情報を、モニタースクリーンに表示される平面画像や音声伝達によってやり取りするものが主流である。本コラムで紹介した技術により、多様で繊細な心理情報のデジタル化が進めば、より対面に近い感覚での遠隔コミュニケーションの実現に大きく近づくであろう。このようなコミュニケーション技術が普及すれば、わたしたちの仕事や生活様式に変化をもたらすことが期待される。幸せを感じるために重要な要素の一つといわれる人と人との心のつながりを、オンラインでも実感できるようになるであろう。

さらに、行動情報・生理情報そのものだけでなく、心理情報もデジタル化した暁には、人と人だけでなく、人とモノ(機械/AI)のインターフェース(コミュニケーション)への扉が開かれるため、より多くの産業領域での適用や社会課題解決への貢献が期待できる(図)。
図 心理情報は人と人のコミュニケーションだけでなく、人とモノ(機械/AI)のインターフェースへの利活用が期待される
心理情報は人と人のコミュニケーションだけでなく、人とモノ(機械/AI)のインターフェースへの利活用が期待される
出所:三菱総合研究所

※1:生体情報のデジタル化とコミュニケーション(MRIマンスリーレビュー 2023年10月号 特集2)

※2:音声による「感情解析ソリューション」で未来を創造するテクノロジー会社、ESジャパンのサイト。
https://www.es-jpn.jp/(閲覧日:2024年1月9日)

※3:三菱電機株式会社ニュースリリース(2022年11月1日)「2023年度 三菱ルームエアコン霧ケ峰『Zシリーズ』発売」
https://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2022/pdf/1101.pdf(閲覧日:2024年1月9日)

※4:シャープ株式会社「非接触バイタルセンシング ソリューション」
https://corporate.jp.sharp/eshowroom/item/b11.html(閲覧日:2024年1月9日)

※5:ヤマハ発動機株式会社ニュースリリース(2023年5月11日)「ライダーの感情を可視化する『感情センシングアプリ』を開発」
https://global.yamaha-motor.com/jp/news/2023/0511/mcapp.html(閲覧日:2024年1月9日)