危機(crisis)は、ギリシャ語の「決定、選別」、ラテン語の「転換点、転機」を語源に持つと言われるが、危険と好機の両面を併せ持つという解釈は、松下幸之助や英首相チャーチルの遺した言葉にも見られる。本稿を、今回のコロナ禍を転機とした、企業の危機管理向上への指針を示す小論としたい。
2011年に起きた東日本大震災も今回のコロナ禍も100年に1回レベルの危機であることは論を待たないであろう。ここでまず指摘しておきたいのは、10-2~10-3/年というレベル感は、リスク論の世界では(分野によるものの総じて)決して小さい頻度ではない。むしろ頻度の大きい危機として、十分に対応を検討すべきレベルである。したがって、約100年前の三陸大津波やスペイン風邪の事例を引き、過去から得た教訓を活かすことを説くことが常道であろう。しかし現実には、人は過去を忘れるし、忘れなければ生きていけないのかもしれない。畑村※1は「昔津波が来た、この崖から下に家を建てるな。」と刻まれた三陸沿岸の石碑の下に家が写っている写真を示し、嘆いていた。またスペイン風邪以降に防疫の概念がヨーロッパの一般生活に浸透したとは聞かない。
いずれにしても、100年(約3~4世代)という時間は、人類の警戒心を緩めるのに十分な時間ということであろう。しかし、永続性が前提である企業の担当者にとっては、教訓は活かされなければならない。コロナ禍については、実はかなり正確に予見されていたと言ってよい。図1は新型インフルエンザ等が発生した場合の発症者数と出勤人数(業務量)の時系列イメージを示したものである。2カ月程度の緊急事態宣言や以後に感染者数増減の波が繰り返される可能性はかなり以前から認識されていた。企業危機管理において重要な点は、こうした時系列シナリオイメージを持って対応を考えておくことである。ウイルスの性質に関する知見や、発出される宣言等がどのような内容なのかといったことは臨機に対応すべき事柄であり、事前に想定することはナンセンスである。地震や津波に関してもシナリオを描くための情報は十分にあり、先ほど述べた10-2~10-3/年というレベル感と現実を考慮すれば、企業が考えるべきことは自ずと決まるであろう。
2011年に起きた東日本大震災も今回のコロナ禍も100年に1回レベルの危機であることは論を待たないであろう。ここでまず指摘しておきたいのは、10-2~10-3/年というレベル感は、リスク論の世界では(分野によるものの総じて)決して小さい頻度ではない。むしろ頻度の大きい危機として、十分に対応を検討すべきレベルである。したがって、約100年前の三陸大津波やスペイン風邪の事例を引き、過去から得た教訓を活かすことを説くことが常道であろう。しかし現実には、人は過去を忘れるし、忘れなければ生きていけないのかもしれない。畑村※1は「昔津波が来た、この崖から下に家を建てるな。」と刻まれた三陸沿岸の石碑の下に家が写っている写真を示し、嘆いていた。またスペイン風邪以降に防疫の概念がヨーロッパの一般生活に浸透したとは聞かない。
いずれにしても、100年(約3~4世代)という時間は、人類の警戒心を緩めるのに十分な時間ということであろう。しかし、永続性が前提である企業の担当者にとっては、教訓は活かされなければならない。コロナ禍については、実はかなり正確に予見されていたと言ってよい。図1は新型インフルエンザ等が発生した場合の発症者数と出勤人数(業務量)の時系列イメージを示したものである。2カ月程度の緊急事態宣言や以後に感染者数増減の波が繰り返される可能性はかなり以前から認識されていた。企業危機管理において重要な点は、こうした時系列シナリオイメージを持って対応を考えておくことである。ウイルスの性質に関する知見や、発出される宣言等がどのような内容なのかといったことは臨機に対応すべき事柄であり、事前に想定することはナンセンスである。地震や津波に関してもシナリオを描くための情報は十分にあり、先ほど述べた10-2~10-3/年というレベル感と現実を考慮すれば、企業が考えるべきことは自ずと決まるであろう。
図1 新型インフルエンザ等発生時の時系列イメージ