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ベトナム×ヘルスケア 第1回:DXを見据えた健康ビジネスの展望と課題

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2022.6.13

海外事業本部ブーティゴック ハー

川邊万希子

ヘルスケア&ウェルネス本部沖中えり佳

中村弘輝

POINT

  • ベトナムでは経済成長と共に疾病構造が変化し、死因に占める非感染症疾患の割合は増加傾向。ベトナム保健省は2021年に電子健康手帳アプリを開発するなど健康づくりや疾病予防に向けたDX活用を推進。
  • DX活用にあたっては、ベトナム国内の個人情報の取り扱いに関する規制などを踏まえ、適切な管理体制を構築し、政府の動きと調和を取って進めていくことが重要。
  • 適切な体制を構築すれば、民間主導のヘルスケアスマートシティの実現など、ビジネスチャンスは多い。

経済成長と高齢化が共存する国・ベトナム

ベトナムは、2010年から2019年までの1人当たり名目GDPの年平均成長率が約8.2%にのぼり※1、近年著しい経済成長を見せている。また、経済成長に伴う医療提供体制の整備や公衆衛生の向上などを背景として平均寿命が延び続けている。2018年時点におけるベトナムの平均寿命は75.3歳であり、東南アジアで2番目の長寿国となっている※2

経済発展を遂げた多くの国の例に漏れず、今後ベトナムも高齢化社会を迎えることになる。2020年時点での高齢化率は7.9%で比較的低水準にあるが、2040年時点では16.3%に達する予測となっている※1。これは日本が介護保険制度を導入した2000年の高齢化率とほぼ同水準であり、高齢化社会到来の時期といえる。
図1 ベトナムとアジア他国の高齢化率の推移
図1 ベトナムとアジア他国の高齢化率の推移
注:2025年以降は予測値、破線は日本が介護保険制度を導入した2000年の時の高齢化率を示したもの。

出所:世界銀行「World Development Indicators」https://databank.worldbank.org/source/world-development-indicators(閲覧日:2022年4月17日)を基に三菱総合研究所作成。
疾患構造も大きく変化している。1980年代までは死因の6割近くを感染症が占めていたが、1990年代から感染症による死亡率は急激に低下し、生活習慣病をはじめとした非感染性疾患による死亡率が急上昇している※3。2019年時点では死因の実に8割以上が非感染症によるものである 。主要な死因としての非感染性疾患の内訳は、心血管疾患(39.5%)、がん(15.9%)、呼吸器疾患(6.2%)、神経症(4.9%)、糖尿病(4.7%)および消化器疾患(4.6%)である※4

こうした状況を踏まえ、ベトナム政府は対策に乗り出している。2015年には「非感染症の予防と管理に関する国家戦略 2015-2025」(首相決定 No.376/QĐ-TTg)が公布され、コミュニティにおける予防活動強化に焦点を当てつつ、政府による健康増進のリーダーシップと各部門の連携強化を目指す対策が盛り込まれた。

また、2018年には全国キャンペーンである「ベトナムの健康」(首相決定No.1092/QĐ-TTg)を発表し、健康状態の改善、平均寿命の延伸、QOLの向上に向けた取り組みを開始している。この取り組みでは「運動」「タバコやアルコールによる健康被害の予防」「非感染性疾患に対する早期発見・管理」など10の優先事項が示されている。2030年までの目標としては「18歳から69歳までのうち、運動に取り組む人の割合を20%増加させる」「男性の喫煙率および飲酒率をそれぞれ32.5%、35%減少させる」「全てのCommune Health Centerで高齢者に対して主要な非感染性疾患の予防・管理・治療を行う」といった具体的な項目が定められている。

ベトナム保健省主導によるDX活用の動きが加速

加えて、近年、ベトナム政府によるDXに向けた動きが加速している。このうち、2020年に公布された「2025年までの国家DXと2030年までの方向性」(首相決定 No.749/QĐ-TTg)では、医療分野はDX推進の中で優先順位が高い分野の一つとされた。

以下、官主導によるDX推進事例として、現在ベトナム保健省が運用を開始している、電子健康記録(EHR)システムおよび電子健康手帳アプリを紹介する。

電子健康記録(EHR)システム

電子健康記録(EHR)システムは、2019年にベトナム保健省IT局が開発し、医療サービス局が主管部署として運用を開始した。本システムでは中央から省・市レベルまでの医療データを一元管理するとともに、各医療機関が保有する個人の健康データをシステムに共有することで、国民全員のさまざまな健康データをシステムで管理している。2025年までに人口の95%の電子健康記録をシステムで保有し、全国の医療機関と共有することを目標としている。
図2 電子健康記録(EHR)システム
図2 電子健康記録(EHR)システム
出所:ベトナム保健省「プライマリヘルスケアにかかる個人健康管理記録の見本(保健省決定:No.831/QĐ-BYT)」(2017年3月11日付)、ベトナム保健省IT局「EHR講義資料」https://ehealth.gov.vn/Index.aspx?action=GioiThieu&MenuChildID=392&Id=4393(閲覧日:2022年2月19日)を基に三菱総合研究所作成。

電子健康手帳アプリ

電子健康手帳アプリは、ベトナム保健省IT局とベトナムの大手通信会社2社であるViettelおよびVNPTが開発し、2021年以降、Covid-19ワクチンの予防接種予約および接種証明の目的で利用が開始された。現在はCovid-19対応として使用されているが、今後は個人の健康情報の保存および管理と医療機関への診断予約機能の実装、電子健康記録(EHR)システムとの連携が進む予定である。
図3 電子健康手帳アプリイメージ
図3 電子健康手帳アプリイメージ
出所:ベトナム保健省・ベトナム情報通信省「電子健康手帳アプリの使用マニュアル(利用者向け版)」https://tiemchungcovid19.gov.vn/assets/portal/document/HD_c%C3%A0i_%C4%91%E1%BA%B7t_v%C3%A0_s%E1%BB%AD_d%E1%BB%A5ng_%E1%BB%A9ng_d%E1%BB%A5ng_SSK%C4%90T_d%C3%A0nh_cho_ng%C6%B0%E1%BB%9Di_d%C3%A2n.pdf(閲覧日:2022年5月23日)を基に三菱総合研究所作成。
なお、ベトナム政府は、日本のマイナンバーに該当する個人識別番号(12桁)を発行しており、2020年よりICチップ付き国民IDカードの発行を開始している。将来的に、税金関連・運転免許証・銀行・健康保険などのデータベースとの連携を進める予定で、この国民IDカードでさまざまな行政手続きが可能になることを目指している。

今後のベトナムにおける個人情報保護規制の動向を注視すべき

前述のように、ベトナム政府は、保健省などが中心となってヘルスケア分野のDX推進を進める一方で、個人情報の取り扱いに関しても政府による検討を始めている。

ベトナム情報通信省情報安全局のサイバーセキュリティセンターによると、個人情報が漏洩した事案のうち、80%は人為的ミスによるものであり、保存システム脆弱性などの外部要因によるものはごくわずかである※5

こうした中、政府は個人情報保護を強化するための法制度改正として、2019年12月にベトナム初の包括的な個人情報保護法令となる「個人情報保護に関する政令案」(以下「政令案」)の概要を公表した。この政令案は2022年中に正式版公布という目標が設定され、2020年から2021年にかけてパブリックコメントが実施された。正式版交付にあたっては、パブリックコメントの結果を基に一部改訂される可能性もあるが、現時点の政令案において、DX活用を見据えた健康ビジネスにかかる重要なポイントを以下に示す。

注目ポイント①:個人情報の定義・範囲

政令案に記載された個人情報の定義は下図に示す通り、個人情報を「基本個人情報」と「センシティブ個人情報」に分類している。
図4 個人情報保護に関する政令案による個人情報の定義
図4 個人情報保護に関する政令案による個人情報の定義
出所:ベトナム公安省「ベトナム個人情報保護に関する政令案」(公開版)http://bocongan.gov.vn/vanban/Pages/van-ban-moi.aspx?ItemID=519(閲覧日:2022年4月19日)を基に三菱総合研究所作成。
この定義によると、ヘルスケアに関わる情報は「センシティブ個人情報」のb)~f)に該当する。取り扱う情報が「センシティブ個人情報」の場合、情報を取り扱う者は個人情報保護影響評価(Personal Data Impact Assessment)を実施して、ベトナム公安省が所管する個人情報保護委員会※6に評価結果を提出する必要がある(具体的なガイドラインは未発行)。

そのため、ヘルスケアに関わる個人情報を取り扱う全ての事業において、こうした個人情報管理の体制を整える必要がある。

注目ポイント②:越境データ移転に係る規制

また、ベトナム以外でのDX推進を見据える企業においては、ヘルスケアに関わる情報をベトナム以外に移転する必要も生じるだろう。

この点について日本の個人情報保護法などと比較すると、ベトナムの政令案は第三者提供に関する規制は緩い一方、越境データ移転に関する規制は非常に厳格であると言える。これは一般的には「ベトナムではまだ個人情報の規制は緩い」という概念を覆すものであり、DX活用の健康ビジネスを検討している企業にとっては留意が必要である。
図5 個人情報保護に関する規制:ベトナムと日本の比較
図5 個人情報保護に関する規制:ベトナムと日本の比較
注:記号の解説;〇=明確な定め有 △=何らかの定め有 ×=特段の規定無

出所:【ベトナム】ベトナム個人情報保護に関する政令案、【日本】改正個人情報保護法、JISQ15001(2017)他を基に三菱総合研究所作成(具体的な規定の内容は各法令をご確認ください)。
具体的には、海外に個人情報を移転するには以下の4つの条件を満たすことが必要と規定されている。
  1. 移転に関するデータ保有主体からの同意の取得
  2. オリジナルデータのベトナム国内での保管(データローカリゼーション要件)
  3. 移転先の国または地域、もしくは国または地域内の特定の場所が政令案で指定されているレベル以上の個人データの保護に関する規則を発行していることに対する証明書の取得
  4. 「個人情報保護委員会」の書面による承認
また、海外に個人データを移転するデータ処理者(data processor)は、過去3年間の、以下を含む個人情報保護庁が指定する内容に沿ってデータ移転履歴の保存システムを構築することを求められている(日本では同等の要件は存在していない)。
  • 個人データを外部に提供した時期
  • 受領当事者の氏名、住所、連絡先情報等の受領当事者の身元
  • 外部に移転される個人データの種類、数量、センシティブの度合い
これらに加え、個人情報を取り扱うデータ処理者は、ベトナム国外への個人情報の移転状況について、個人情報保護委員会による評価を年一回、定期的に受ける義務がある。

政令案はGDPR(General Data Protection Regulation)※7を基に策定されていたものの、実際の運用はGDPRよりも厳しく、DX時代に適切ではないと言える。個人情報保護委員会の承認取得や、定期的評価実施などの行政手続きは企業にかなり負担をかけるため、既存の企業も、参入予定の企業も、どう対応するか検討する必要がある。

特に、「オリジナルデータはベトナムで保存」という要件については、説明が不足しており、「オリジナルデータ」の定義や、具体的な保管手段など不明瞭な点が多い。

例えば、DXを展開したい企業にとって、ベトナムのサーバーに接続しているクラウドストレージシステムの構築だけでは十分であるか、もしくはベトナム国内に物理的なストレージインフラを所有する法人を設立することが絶対に必要であるかは法律上明確にはなっていない。

さらに、一元化されたデータストレージはサイバー攻撃に脆弱である可能性があるため、セキュリティの観点から見ても望ましくない。現在、多くの企業は、サイバー攻撃対策として、さまざまな国のサーバーにデータストレージを分散させる傾向がある。政令案がそのまま承認された場合、多くの企業は既存のITインフラを見直す必要がある。

DX活用を見据えた健康ビジネス展開に向けて適切な管理体制構築を

成長著しいベトナムにおいて日系企業のDXを活用した健康ビジネスのチャンスは多いと考えられるが、前述のようにDX活用をする上では、ベトナム国内の個人情報の取り扱いに関する規制の内容と動向などを踏まえ、適切な管理体制を構築し、政府の最新の動きと調和を取って進めていくことが重要である。

三菱総合研究所は2020年12月にベトナムにハノイ駐在員事務所を開設し、ヘルスケア分野においてベトナム保健省などと継続的な対話を行っている。これらのネットワークを通じた、日系企業の事業環境整備の支援や政策提言等により、ベトナムにおける社会課題を解決することを目指している。DX活用を見据えた健康ビジネスにご関心のある方々・機関との連携を今後も進めていきたい。

※1:在ベトナム日本大使館経済班「2020年ベトナム経済統計」
https://www.vn.emb-japan.go.jp/files/100196704.pdf(閲覧日:2022年5月24日)

※2:世界銀行「World Development Indicators」
https://databank.worldbank.org/source/world-development-indicators(閲覧日:2022年4月17日)

※3:ベトナム保健省「Vietnam Health Statistics Yearbook 2018」
https://moh.gov.vn/documents/176127/0/NGTK+2018+final_2018.pdf(閲覧日:2022年4月17日)

※4:WHO 「Global Health Estimates: Leading causes of death」
https://www.who.int/data/gho/data/themes/mortality-and-global-health-estimates/ghe-leading-causes-of-death(閲覧日:2022年4月18日)

※5:ベトナム情報通信省 情報安全局 サイバーセキュリティセンター「オンライン教育のソフトウェア及びツールの安全な使い方マニュアル」(2021年)
https://khonggianmang.vn/uploads/TAI_LIEU_HUONG_DAN_V1_d36536104b.PDF(閲覧日:2022年4月18日)

※6:個人情報保護委員会は、DX事業推進におけるさまざまなガバナンス問題を監督した上で、個人データ取り扱いに関与する全ての事業者に対して厳格な管理を行うことが期待されている。

※7:EU一般データ保護規則

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