マンスリーレビュー

2018年6月号特集ヘルスケア

再生医療の産業創生

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2018.6.1
ヘルスケア

POINT

  • 難病から生活習慣病まで多くの病気が根治する再生医療への期待は大きい。
  • 日本は研究で先行するが、実用化と産業化に課題を抱えている。
  • 世界規模のエコシステムに着眼し、日本にふさわしい戦略を選択すべし。

1.高まる再生医療への期待

現在の医療は病状を薬によって抑える対症療法が中心である。根治療法の一つとして、他者から健康な臓器提供を受ける臓器移植が実現されているが、ドナー不足や免疫拒絶などの問題から、治療を必要とする全ての患者に届けられていないのが実情である。こうした中、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授のiPS細胞をきっかけに注目を浴びているのが「再生医療」である。従来の医療とはまったく異なるアプローチによる根治療法であり、闘病生活の大幅な短縮、難病からの回復など、これまでの医療の概念を大きく変える可能性を秘めている。

再生医療は、皮膚や血管などの組織や心臓、すい臓などの臓器を細胞レベルから再生することで、元の状態に復活させる。心筋梗塞や糖尿病などの生活習慣病を患い機能不全に陥った臓器を正常な状態に戻すことができる。

例えば、糖尿病患者への活用は効果が大きいだろう。日本で糖尿病が強く疑われる患者は推計1,000万人、予備軍を含めると2,000万人に及ぶ(2017年公表)。糖尿病は一度発症すると治癒することはなく、病気の進行に伴って合併症(腎症、網膜症、末梢神経障害など)を発症し、脳や心臓の疾患リスクを高める。腎不全を発症した重度の糖尿病患者になると、1回4時間の人工透析が週3回必要となり、食事や生活の制限により不自由を強いられる。腎不全の医療費は1人あたり年間500万円以上で、国民医療費全体(約40兆円)のうち約1.4兆円が費やされている。

再生医療は、こうした疾患に苦しむ人を世の中から減らし、その結果、国民医療費の負担を大幅に削減する。現代の医療が抱える課題を抜本的に解決する方法であり、世界中の人々がその実現に大きな期待を寄せている。

2.日本の現状と課題

日本は再生医療の中でも、iPS細胞に関する研究で世界トップクラスにある。最も実用化に近いのが目の網膜の再生である。理化学研究所の髙橋政代プロジェクトリーダーを中心として、失明する恐れもある加齢黄斑変性という難病に関して、iPS細胞から作製した網膜シートの移植研究が進められている。2014年に世界で初めて患者自身のiPS細胞を使った臨床手術に成功し、2017年には他者のiPS細胞でも同様の手術を実施した。そのほかパーキンソン病、心不全、変形性関節症などを対象に、ドーパミン産生神経、心筋、軟骨などの細胞再生による臨床応用に向け、研究が進められている。

大学や研究機関といったアカデミアでの再生医療研究を後押しするため、国も2012年以降10年間で1,100億円という大規模な予算を投じている。また、2014年度より、文部科学省、厚生労働省、経済産業省で連携し「再生医療の実現化ハイウェイ」プロジェクトを推進。2015年度以降は日本医療研究開発機構(AMED)において3省の予算を一元管理し、毎年約150億円の支援を行っている。

しかし、日本は研究レベルでは世界をリードする一方で、米国などに比べると、多様なベンチャー企業や大企業を巻き込んだ実用化や産業化は遅れているのが実態だ。将来的な再生医療のあるべき姿から考えると、日本が取り組まなければならない課題は2点に集約される。

一つ目は、研究開発から製品開発、そして製品化へと技術イノベーションを実現する構造が確立できていないことである。これは、研究成果を再生医療製品に結実する「実用化のエコシステム」を指す。そして二つ目の課題は、再生医療による治療を円滑に実施するためのバリューチェーンが形成できていないことだ。細胞の採取、培養、搬送、そして患者治療という一連のプロセスを完結させ、多様なプレーヤーが協調連携して医療サービスの仕組みを創るものであり、「産業化のエコシステム」と呼んでいる(図1)。
[図1]実用化と産業化のエコシステム

3.実用化で先行する米国

米国の再生医療関連団体 Alliance for Regenerative Medicine(ARM)が2017年に公表した統計によると、再生医療関連企業は世界全体で少なくとも854社あり、そのうち約54%の460社が北米企業である。日本を含むアジア全体ではわずか14%の122社である。また国別の上市製品数を比較すると、米国は11製品、日本は4製品にとどまっている(2016年時点)。再生医療の実用化は米国が大きく先行していることがうかがえる。

この格差はどこから生まれているのか。ベースには国の研究開発への支援の手厚さの違いがある。米国では再生医療研究に米国立衛生研究所(NIH)が年間約14億ドル(約1,700億円、2016年時点)の資金を支援している。また州政府の助成や民間からの寄付も活用されている。一方、日本の場合、AMEDからの研究開発予算はおおよそ150億円(2017年度)と10分の1以下だ。

研究開発以上に特筆すべき点は、米国では製品製造技術の実用化にも注力していることである。2014年に設立されたコンソーシアム、National Cell Manufacturing Consortium(NCMC)は細胞製造領域で米国が世界をリードすることを目指し、コスト効率が高い細胞製造技術の開発に特化した取り組みを推進している。また2016年には商務省や国防総省が、再生医療領域における製造プロセス開発に取り組む研究所を相次いで設立している。国防総省が設立した先進人工組織バイオファブリケーション製造イノベーション研究所(ATB-MII)は、主要技術によって得られる経済効果を年間10億ドルと試算している。

さらに重要な日米の違いは、研究開発から製品化への橋渡しを実現する仕組みだ。米国ではアカデミア発のシーズをベンチャー企業が開発し、大手企業により上市までつなげる実用化のエコシステムが機能している。例えば細胞を培養する際に重要な部材の一つである「培地」も、米国流エコシステムの成功事例である。米ウィスコンシン大学の研究者により開発された培地製造技術が、細胞培養分野の大手企業(STEMCELL Technologies社など)により製品化された。現在では、同製品は世界市場全体でのグローバルスタンダードとして幅広く使用されている。

日本には、先行する米国の取り組みを参考として、基礎研究によるシーズ開発、応用研究による製造技術開発、そして実用化のための製品開発が、シームレスにつながりながら活性化するエコシステムの確立が必要である。

4.産業化に向けた萌芽

産業化のエコシステムに関しては、日本でも新たな取り組みが徐々に生まれてきている。ベンチャー企業のサイフューズは、3Dプリンターを用いて細胞を任意の形に積層し立体組織を作製する独自技術の研究開発に成功し、三次元細胞積層システム機器を販売開始した。バイオロジー(生物学)とエンジニアリング(工学)を融合させたイノベーションが結実した事例である。

また日立グループでは、再生医療用細胞の培養のアウトソーシングを担う日立化成を中核に、再生医療ビジネスの事業展開を進めつつある。同社は米国市場で細胞培養の実績ある企業を買収し、海外の製造技術・ノウハウを日本市場に取り入れる戦略を採用している。

しかしこれらの取り組みも、産業化のエコシステムであるバリューチェーンから見れば一部にとどまり、バリューチェーン全体をつなげる段階までには至っていない。世界に目を向けると、欧米のグローバル企業(Lonza、Thermo Fisher Scientific、GE Healthcareなど)は、自社の多様な製品群によってバリューチェーン全体を幅広くカバーする戦略で、市場での存在感を示している。

日本の再生医療産業を振興するためには、オープンイノベーションやM&Aなどを駆使してバリューチェーン全体をつなげる努力が不可欠である。

5.日本にふさわしい戦略

実用化と産業化の課題解決に向けて、実用化を川上領域、産業化を川下領域と位置づけ、双方の関係性を意識して戦略を設計することも必要だ。研究を起点とする産業の場合、概して川上から川下へと戦略の手順を考えがちだが、再生医療では川下における多様な個人に合わせたきめ細かいサービスが求められる。川上で作られた製品を大量生産し市場に提供するという単純な構造ではなく、川上と最終消費者である患者との有機的な連携が必要である。川上、川下、どちらかに偏ることなく、お互いに相手を意識しながら全体設計していくことが重要である。

再生医療において日本は最も上流の領域で研究としての強みをもっているが、川上領域で実用化の拡大を図るためにも、川下領域の産業化を同時に整備し、全体が成長する仕組みづくりを目指すべきだろう。研究であれ事業であれ、多様なステークホルダーやプレーヤーによる参入と投資を増やすためには、川上と川下の両輪が同期して機能することが欠かせない。

川上起点にとらわれると研究開発領域を支える資金は国中心になる。だが川下領域での市場拡大から発想すると、再生医療市場に多彩な事業者が参入し、川下市場での事業確立を狙うとともに、川上領域への投資意欲を促す好循環が期待できる(図2)。

加えて、日本の中で実用化や産業化を完結させるという自前主義の考え方は捨てたほうがよさそうだ。グローバル化が進む中、どの国・地域で製品開発するかはあまり問題ではない。現に米国のコンソーシアムなどでは、中国企業からの共同研究開発の申し出も積極的に受け入れる方向であるとの話も聞こえる。より進んだ技術・シーズを世界中から集めて組み合わせ、再生医療の実用化と産業化を目指すことが重要である。世界規模のエコシステムに日本が積極的に関わっていくことが、実用化と産業化を加速させる。そうすれば、将来的に再生医療で世界をリードするポジションへと日本を引き上げることに つながるはずだ。
[図2]川上・川下領域の好循環モデル