感染症対策における下水道の機能①:感染リスクの抑制
一方で、汚水を排水管や下水管に集約することで、さまざまなウイルスや菌を自然界へ循環させることにもなった。家庭やビルからの汚水に含まれるウイルスが下水道に流れ込み、下水処理場から川や海、時には生物を経由して再び人間に取り込まれることで接触(経口)感染が発生する場合がある。牡蠣(かき)などの二枚貝を十分に加熱していない状態で食べ、食中毒を起こした経験のある方もいるだろう。原因となるノロウイルスは人の口から体内に侵入し、感染者の排せつ物を通して下水道に流入し、処理場の浄化処理をかいくぐった一部のウイルスが河川に排出される。やがて海に流れ着いたウイルスは二枚貝類に吸い込まれ内部で濃縮され、また人体に戻って感染を繰り返すといった感染サイクルが知られている※1。
こうした接触(経口)感染を抑制することは、下水処理システムに膜処理などの「確実にウイルスを除去する」工程を導入することで技術的には可能である。世界の河川や海がつながり、食料のグローバル流通が一般化していることを考えると、汚水を通じた接触感染を確実に抑えるためには新興国を含め、汚水処理基準を国際的に標準化することも有効だろう。ただし、処理場からの放流水に含まれる栄養塩類は海面養殖における肥料(餌)を補充し、品質の維持と養殖にかかる手間と費用を軽減する場合もある。処理技術の高度化は、人への健康リスクと適度な処理とのバランスを含めた、全体のバランスの中で考える必要がある。
都市内での不適切な汚水管理・運用が引き起こす、ウイルスの飛沫(ひまつ)感染の例もある。2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行した際、香港の高層マンションで集団感染が発生した。その一因として、WHOの調査では、病原体ウイルスを含んだ汚水のごく小さな飛沫が排水口を通して一部の部屋を汚染し、またバスルームの換気扇を通じて建物全体に広がった可能性があることを指摘している※2。これを抑制するには、都市全体の下水道管路や処理場を高度化するだけではなく、個別の住宅やビルなど建物内の配管を含めて、定期的な点検や掃除、トラブルや老朽化が起きた場合の修繕など、適切な維持管理を行うことが重要である。
ウイルスや細菌を含む汚水を集約して処理する下水道であるが、同時に人間が使用する薬剤成分も集約するため、薬剤に耐性を持つ菌類を生み出すことも懸念される。これは、薬剤耐性(AMR)問題と呼ばれる。感染症を治療する上で有効な抗菌薬が人や家畜などに多用されることで細菌が耐性化し、人や家畜の排せつ物を通じて下水に流入、やがて自然環境中に流出することで、新たな薬剤耐性菌が発生する※3。この薬剤耐性を持つ細菌が繁殖し、その細菌が人に感染してしまうと、抗菌薬の効かない感染症が増加し、感染症予防・治療がますます困難となってしまう。現在、世界各国で抗菌薬の適正使用を推進するための普及啓発活動や、薬剤使用量データの定量分析・評価、新薬の研究開発といった多方面からのAMR対策が進められている。
感染症対策における下水道の機能②:ウイルス・細菌検知の可能性
汚水に含まれる汚染物質やウイルスを感知する研究はこれまでも世界各地で進められてきたが、新型コロナウイルス感染症の流行を契機として、世界中でパイロット事業が進み、ウイルス検知のビジネスが拡大していく可能性がある。
検知方法の一例として、バイオセンサーの活用を挙げる。バイオセンサーは生体分子を識別する化学技術であり、技術の発展に伴い臨床診断検査、食品産業、環境分野など多分野で活用されてきた。医療分野では米国に拠点を置く企業が供給の大部分を占めている※4。
国内では、産業技術総合研究所が汚水に混入したウイルスを光と動きで検出するバイオセンサー技術の開発を発表している※5。現状は技術開発フェーズであるが、今後技術実証を経て実用化が進めば国内外の感染症対策に寄与できる。
行政による取り組みも進められている。東京都下水道局では2020年5月13日より下水処理場の下水を採取・保存し、下水中に含まれるコロナウイルス量を把握することで、感染拡大の兆候を把握できる可能性を確認する研究を進めている※6。自治体主導による下水道設備を活用した感染症対策の実現が期待される※7。
分野横断型の連携が日本企業のビジネスにつながる
下水道や水環境改善など、汚水管理分野では、汚水処理率の低い東南アジア各国に対して日本が政府主導で多様な支援を行っている。環境省ではアジア各国での水環境改善に関する「アジア水環境パートナーシップ(WEPA)※10」を立ち上げ、国土交通省ではASEAN5カ国+日本から成る「アジア汚水管理パートナーシップ(AWaP)※11」を設立し、東南アジア各国との政策対話や日本企業とのマッチングなどを支援している。このようなGtoGの枠組みも活用して、日本の技術を海外に積極的に展開することで、新たなビジネスにつながる可能性がある。
今回感染症対策の機能として、感染症リスクの抑制、ウイルス・細菌検知を取り上げたが、この双方で日本は世界に貢献できる可能性がある。当社では、国土交通省から「異業種技術の下水道分野への活用に向けた戦略検討業務」を受託し、異業種企業の技術について下水道分野への活用可能性の検討を進めている。また国土交通省の国際業務として上記AWaPの対象国が参加した国際会議の開催支援も行っている。このような取り組みを通じ、今後とも日本の下水道技術が世界の感染症対策に貢献できる可能性を探っていきたい。
※ 1:国立感染症研究所「ノロウイルス感染症とは」
https://www.niid.go.jp/niid/
※ 2:World Health Organization, “Severe Acute Respiratory Syndrome (SARS) - multi-country outbreak - Update 33”
https://www.who.int/
※ 3:AMR臨床リファレンスセンター「薬剤耐性(AMR)とワンヘルス(One health)」
http://amr.ncgm.go.jp/
※ 4:Thomas Industry Update, “Top USA and International Biosensor Suppliers”
https://www.thomasnet.com/
※ 5:国立研究開発法人産業技術総合研究所「極めて低濃度のウイルスを簡便に検出できるバイオセンサーを開発-ウイルス粒子を光と動きで検出-」
https://www.aist.go.jp/
※ 6:東京都庁「下水中の新型コロナウイルスの分析に向けた対応について(第334報)」
https://www.metro.tokyo.lg.jp/
※ 7:なお、2020年6月16日、富山県立大学と金沢大学の合同の研究グループが、処理されていない下水から新型コロナウイルスを検出することに国内で初めて成功したと発表した。今後も採取を続け、分析や測定方法の確立を目指すとしている。
富山県立大学(プレスリリース)「国内下水試料中の新型コロナウイルスの検出」
https://www.pu-toyama.ac.jp/
※ 8:環境省「平成30年度末の汚水処理人口普及状況について」
https://www.env.go.jp/
東日本大震災の影響により調査不能な市町村を除いた集計データを用いた数値。
また、2018年度末における全国の下水道普及率は79.3%(下水道利用人口/総人口)である。(公益社団法人 日本下水道協会「都道府県別の下水処理人口普及率」
https://www.jswa.jp/
※ 9:国土交通省都市・地域整備局下水道部「下水道の歴史」
https://www.mlit.go.jp/crd/
※10:「アジア水環境パートナーシップ Water Environment Partnership in Asia (WEPA)」
http://wepa-db.net/jp/
※11:国土交通省「アジア汚水管理パートナーシップ AWaP(エイワップ):Asia Wastewater Management Partnership」
https://www.mlit.go.jp/