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人的資本経営 第1回:意義と実現に向けたポイント

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2023.4.7

キャリア・イノベーション本部菊田千紘

MRIトレンドレビュー

人的資本経営への関心の高まり

近年、企業の経営や人事をめぐり「人的資本経営」というキーワードに注目が急速に集まっている。当社が事務局として関わっている「人的資本経営コンソーシアム」には、設立初年度にもかかわらず2022年12月15日時点で437法人が加入しており、その多くが人的資本経営の必要性を感じていると考えられる。

人的資本経営への関心の高まりを受けて関連する解説が多数書かれているが、例えば経営戦略と人事戦略に触れず個別の人事施策のみを解説したものなど、その本質をとらえていないものも一部見られる。

そこで本連載では、人的資本経営コンソーシアムにおいて話題に挙がることが多い内容も踏まえつつ、人的資本経営に注目が集まる背景やどのように取り組めばよいかなど、人的資本経営を「やった感」で終わらせず、企業の持続的な成長に確実につなげるためのポイントを提案する。

2つの背景と対応方針

人的資本経営に注目が集まっている背景は2点ある。

第1に産業構造の変化、市場の変化、技術動向の変化など、企業を取り巻く環境の変化がますます加速していることがある。そのため、持続的な成長に向けた事業構造の変化と、事業構造の変化を実現する人材の獲得の双方に取り組むことが企業には求められる。

ただし、当社が実施したアンケートでは「今後成長が見込まれる分野に必要な人材の獲得・育成が経営計画に盛り込まれている」との質問に「とてもあてはまる」「あてはまる」と回答した割合が合計で約25%にとどまった。事業構造の変化に対応した人材関連施策の取り組みに着手している企業はそれほど多くないと言える(図表1)。
図表1 事業構造転換に際して、自社で実施する人材に関する取り組み(単数回答、n=1,000)
事業構造転換に際して、自社で実施する人材に関する取り組み(単数回答、n=1,000)
出所:三菱総合研究所アンケート調査より。自社の人材戦略に深く関わりをもつ国内企業勤務のビジネスパーソンを対象にWebアンケート調査を実施
企業は人事施策として、これまでは既存事業を遂行するための人材獲得を中心に実施してきた。例えば、新卒採用を中心とした採用やOJTを中心とした育成などが挙げられる。

一方、今後企業には事業環境の変化に対応する形で経営戦略を見直すことが必要となる。経営戦略を見直す中で、既存事業にとどまらず新たな事業領域に挑戦することや、新たな事業領域に関する知識・スキルをもつ専門人材の獲得が必要となるだろう。これまでの新卒採用・OJTを中心とした人材施策では新たな知識・スキルを有する人材をスピーディーに獲得できない可能性が高いため、企業には、これまでの人材戦略を見直すことが求められる。

第2に、企業による人材の確保が難しくなっていることが挙げられる。日本の生産年齢人口は減少を続けており、人手不足に苦しむ企業は多い。こうした状況に加えて今後は企業間での労働移動の流動化も進むだろう。理由としては、労働者の終身雇用への意識が薄くなっていること、上述のとおり専門人材を中途採用で獲得しようとする企業が増えていくことが挙げられる。

このように、「人材採用が困難化」する中で、「事業構造変化を実現する人材を獲得する」という非常に難しい課題に対応することが、今後企業には求められるだろう。また事業構造の転換に際しては、社内人材へのリスキリングの実施や新たな領域への配置転換など、既に社内にいる人材の育成や活躍の支援も必要となる。

こうした課題に対応するために、経営戦略と連動した人材戦略の策定や、戦略に基づく人材の採用や育成、つまり人的資本経営がすべての企業において必要となるのだ。言い換えれば、これからは人的資本経営なしには企業の持続的な成長はありえないと言えるだろう。このためには、従来通りの「人事施策」ではなく「経営課題」として、事業戦略を実現するための人材獲得について議論し、人材への投資を行う必要がある。

人的資本経営実現のポイントは経営層・取締役会

「経営課題」として人的資本経営に取り組む際には、これまで以上に経営層、特に取締役会の役割が重要となる。

前述のとおり、これまでの人事施策は、既存業務を遂行する人材の獲得に向けて人事部が主導し毎年のルーティン的に実施する企業が多かった。

一方の人的資本経営では、企業価値の向上、すなわち今後の経営戦略の実行に向けて必要な人材の獲得につながる人材戦略の策定・運用が必要となる。そのためには、今後の経営戦略と人材戦略の一体的な議論や、投資家や株主に対する開示が重要となる。

コーポレートガバナンス・コードでは、取締役会の役割について「開示・提供される情報が株主との間で建設的な対話を行う上での基盤となることも踏まえ、会社の財務情報や非財務情報が正確で利用者にとってわかりやすく、有用性の高いものとなるようにすべきである」「株主に対する受託者責任・説明責任を踏まえ、会社の持続的成長と中長期的な企業価値の向上を促し収益力・資本効率等の改善を図るべく、企業戦略等の大きな方向性を示すなど、その役割・責務を適切に果たすべきである」といった記載がある※1。また、2021年の改訂では、企業の持続的成長に大きな影響を与える「人的資本」に関する情報開示についての項目が追加され、上場企業にはさらなる情報開示が求められている。つまり取締役会には、人的資本を含めた中長期的な企業価値向上につながる企業戦略を株主にわかりやすく説明する責任があると言えるだろう。

企業戦略とは、事業戦略と、事業の担い手である人材戦略がセットで提示されることではじめて実現可能性が担保されるものである。特に新規事業領域に進出する際には、これまで以上に当該事業に関する知識・スキルを有する人材が社内に在籍しているかという点の説明が必要となる。仮に人材戦略が示されなければ、取締役会は株主に対する受託者責任・説明責任を果たしているとは言えないだろう。

ここまで、人的資本経営に注目が集まる背景や経営層・取締役会の役割を説明してきたが、「人的資本経営に取り組む場合、そもそも何に、どんな手順で取り組めばよいのか」という点に悩みを抱える企業は多いのではないだろうか。そこで次回のコラムでは、人的資本経営に取り組む際に、まず何から始めればよいか、どういった点に留意すべきかといった観点などについて紹介していく。

※1:株式会社東京証券取引所ウェブサイト「コーポレートガバナンス・コード~会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のために~」(2021年6月11日)を基に三菱総合研究所において要約。
https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008jdy-att/nlsgeu000005lnul.pdf(閲覧日:2023年3月13日)