コラム

環境・エネルギートピックスエネルギー

シリーズ「洋上風力の未来」第3回:海洋空間計画と日本への示唆(後編)

「海洋データ」の拡充による案件形成加速化

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2023.9.5

サステナビリティ本部小島泰志

寺澤千尋

環境・エネルギートピックス
第1回コラムでは、日本が海洋産業立国になるための要件について詳報した。そこでは、日本市場の投資価値の向上策として、「洋上風力の有望海域を特定することによる中長期市場の見える化」が重要であり、この実現に向けて鍵となるのが、海外で実践されている「海洋空間計画」を通じた合意形成プロセスであることをお伝えした。シリーズ第3回の本コラムでは、その基盤となる「海洋データ」の重要性について解説したい。

海洋データの重要性

世の中のあらゆる調整事にとって、ステークホルダーと丁寧なコミュニケーションを重ねることは必要かつ不可欠だ。洋上風力の有望海域を特定する際には、同じ海を利用するステークホルダーと信頼関係を築きながら合意形成を進めることが求められる。なぜならば、洋上風力により彼らの生業に支障をきたすことが懸念されているからだ。

この点について参考となるのが、第2回コラムで紹介した、海洋空間計画の作成を通じた合意形成プロセスである。海外では、多くの海洋データを活用しながら海洋空間計画と類似のプロセスで洋上風力の有望海域の特定が行われる(図1)。海洋データは、海域の自然条件、社会条件に関する事項を中心に政府機関、自治体、研究機関などが収集して地図情報としてさまざまな段階で整理する。
図1 洋上風力の有望海域特定に用いられる海洋データの例
洋上風力の有望海域特定に用いられる海洋データの例
出所:令和4年度資源エネルギー庁委託調査成果に基づき三菱総合研究所作成
ここでは図1を元に、各STEPを紹介したい。

STEP1:計画の目的と対象海域の定義

風況、水深などの海洋データを用いた分析により、発電量が多くかつ低コストで事業を実施可能と見込まれる海域が対象海域として選定される。

STEP2:ステークホルダーの特定

対象海域を利用するステークホルダーの状況を、船舶通航量や漁業操業区域などの海洋データを用いて分析する。漁業者は特に日本で重要なステークホルダーであり、漁業実態の把握が不可欠である。

STEP3:ステークホルダーとの初期合意形成

洋上風力がもたらす影響に対する懸念事項を1つずつクリアするため、環境影響、漁業影響、地域にもたらす影響などの説明を行う。その際、ステークホルダーの理解と信頼を得られるよう、提示するデータの前提条件や根拠、データが示す結果をわかりやすく示し、丁寧に合意形成を図ることが重要である。

STEP4:海洋データの収集、分析(GIS)による草案作成

対象海域を利用する輸送事業者や漁業者などへのヒアリング、追加的な海洋データの収集により、開発の制約となる船舶通航量の多いエリアや障害物の位置を整理し、有望海域を具体的に特定する。
STEP5~7においても、必要な海洋データを活用しながら、ステークホルダーとの合意形成が繰り返し行われる。

漁業の実態把握に伴う海洋データの課題

洋上風力の有望海域特定を効果的に進めるためには海洋データの整理と充実が鍵となるが、現状は特に沖合の漁業実態を把握するための海洋データ不足が問題となっている。これは、日本の漁業種類の多さと複雑さに起因している。それらは管理方法別に漁業権漁業、知事許可漁業、大臣許可漁業などに区分されるが(図2)、特に沖合ではさまざまな種類の漁業が複雑に入り組んでいる。

これまで洋上風力の開発が行われてきた沿岸では、主に漁業権に基づく漁業が営まれているため、権利を保有する漁業者の特定が比較的容易であった。一方、今後洋上風力のさらなる導入拡大のためには、排他的経済水域(EEZ)を含む沖合での開発が必要となる。沖合になるほど操業範囲の広い許可漁業が主体となることから、対象海域で操業する漁業者の特定が困難となることが想定される。加えて、気候変動などの影響により、許可漁業の漁場が変動する可能性にも留意する必要がある。
図2 日本における主な漁業区分と海域の状況
日本における主な漁業区分と海域の状況
出所:水産庁、都道府県資料などより三菱総合研究所作成
沖合の漁業実態を把握するための海洋データの状況は、漁業区分により違いがある(図3)。例えば、大臣許可漁業は操業区域が広大なため操業場所の把握が難しいが、漁船の航行データの取得は可能だ。漁船の航行データを取得可能な機器の搭載と常時作動が義務化されているからだ。一方、知事許可漁業では操業区域は大臣許可漁業ほど広大ではないが、区域の指定がない漁業の場合は操業場所の把握が難しく、航行データを取得可能な機器が搭載されていない漁船も多い。このため操業や航行に関する海洋データを取得できないことがある。また、比較的小規模な自由漁業※1に至っては、操業実態を示すデータはほとんどないのが実態だ。
図3 漁業区分別の漁業実態に関するデータの整理状況
漁業区分別の漁業実態に関するデータの整理状況
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出所:水産庁、都道府県資料などより三菱総合研究所作成

海洋データの充実と有望海域特定への提案

漁業実態データの不足という問題を解決する、あるいは、データ不足の中でステークホルダーとの円滑な調整をするために、重視されるべき取り組みは3つある。

1点目は、国と自治体が保有する海洋データのさらなる構築と統合だ。大臣許可漁業を管理する中央政府の海洋データと、知事許可漁業などを管理する都道府県の海洋データの統合が方策の1つとなる。そのためには、例えば知事許可漁業のデータ整理を各都道府県が共通のルールで進めるなど、データ整理方法やフォーマットを統一化していく必要がある。また、海難事故を防ぐ観点からも、AIS※3の搭載率を引き上げる取り組みにより海洋データをさらに充実させることも有効である。

2点目は、開発者とステークホルダー間の情報共有の促進だ。洋上風力の導入が漁業や海域に与える影響の有無を示すデータや、対象海域の操業実態に関する情報を互いに提供することにより、対象海域に対する相互理解を深めることができる。具体的な手法として、合意形成段階における国・自治体や第三者機関(漁業リエゾン※7など)を介した開発者、ステークホルダーそれぞれとの意見交換会の実施などが考えられる。対話を通じて双方が納得する海域を選定するプロセスは不可欠であり、海洋データは双方の理解を深めるツールとして重要となる。

3点目は、既存の海洋データではステークホルダーを特定できない場合の代替措置を設けることだ。代替措置の例として、パブリックコメント※8の形で全ての者を対象としたオープンな意見募集を行い、自身がステークホルダーであると自己申告できる場を設けるといったプロセスが想定される。その際、架空の権利を主張する者の出現を防止するには図4に例示するようなステークホルダー範囲のルールや基準を設定する必要がある。適切なルール・基準については、国や自治体、漁業団体、有識者など、関係者間の丁寧な協議を踏まえて決定していくことが肝要である。
図4 ステークホルダー範囲の基準例
ステークホルダー範囲の基準例
出所:三菱総合研究所

洋上風力の有望海域特定の進展に向けて

シリーズ第2回・3回にわたり、海外で実践されている「海洋空間計画」を参考に、日本で洋上風力の有望海域特定を進めていく上で克服すべき課題や、関係者で議論を深めるべき論点を紹介した。洋上風力の有望海域の特定は、日本市場の投資価値の向上はもとより、2050年までの長期導入目標、効率的な港湾やインフラ整備計画など、全ての施策検討のベースとなる重要な施策である。その実現に向けては、関連省庁と産業界が一丸となった取り組みが必須である。

※1:国や知事の許可が不要な漁業。比較的小規模なものが多く、漁業組合で管理されていることが多い。

※2:Vessel Monitoring System(衛星船位測定送信機)。人工衛星を利用して船舶の位置の測定および送信を行う機器。違法操業の防止と漁業取締りの効率化の観点から、全ての大臣許可漁業に対し、VMSの設置および常時作動が義務化されている。

※3:Automatic Identification System(船舶自動識別装置)。船舶の識別符号、種類、位置、針路、速力、航行状態およびその他の安全に関する情報を自動的に電波で送受信し、海上保安庁の船舶局相互間および船舶局と陸上局の航行援助施設等との間で情報の交換を行うシステム。

※4:漁業権のうち、漁場を地元漁民が共同で利用して漁業を営む権利。

※5:漁業権のうち、一定の区画において養殖業を営む権利。

※6:漁業権のうち、大型定置網漁業を営む権利。小型定置網は共同漁業権等に位置づけられる。

※7:漁業者との調整を専門的に担う組織であり、海外では漁業リエゾンを活用して漁業者との合意形成を進めた事例がある。漁業リエゾンには、地域の漁業活動に関する深い知見が求められる(詳細は第2回コラムを参照)。

※8:国の行政機関が政令や省令等を定めようとする際に、事前に、広く一般から意見を募った上で考慮することにより、行政運営の公正さの確保と透明性の向上を図り、国民の権利利益の保護に役立てること。今回のケースでは、広く一般からステークホルダーを募り、利害関係の調整が必要なステークホルダーの抜け漏れをなくすことにより、公正さの確保と透明性の向上を図る。

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