コラム

MRIトレンドレビューサステナビリティ

「気候変動×金融」シリーズ 第2回:気候シナリオとシナリオ分析

タグから探す

2022.4.13

金融DX本部猪瀬淳也

MRIトレンドレビュー

POINT

  • 気候シナリオの試算結果は公表する機関、使用するモデルや試算前提によって異なる。
  • 企業の開示ではシナリオごとに自社のリスク・機会を検討し、戦略の頑強さを説明することが必要。
  • 分析機関は利便性向上と透明性拡大をともに満たす前提条件やパラメーターの公開を。
気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)提言に基づく情報を開示する企業は、国際機関・団体※1によって提示された複数の気候シナリオに対する自社の2030年、2050年時点の気候関連リスク・機会を特定する必要がある。

一方、開示項目の一つであるリスク分析などで気候シナリオを用いる利用者の立場からすると、多数提示される気候シナリオの分析結果をどう捉えればよいか戸惑うこともあるだろう。本コラムではこうした気候シナリオを比較しつつ、特に金融機関向けに、シナリオ分析を実施していく上で知っておくべき背景知識やデータを用いるにあたっての留意点などを紹介する。

異なる分析機関が公表する気候シナリオの比較は難しい

気候変動分野では「シナリオ」という言葉がよく使われる。例えば、「4℃シナリオ」や「2℃以下シナリオ」という使い方だ。これは今後100年間(多くの場合2100年時点)で何度温度が上昇するかを表現している。また、この「4℃シナリオ」や「2℃以下シナリオ」の内容は、公表する機関、さらには使用するモデルや試算前提によって異なる。多様な予測結果が専門機関から示される中、例えばIPCCの評価報告書では、膨大な気候シナリオの計算結果に基づいて将来をどう見通せばよいか分析※2してきた。

こうした情報を用いてシナリオ分析をする上で、複数の気候シナリオの特徴を把握しておくことは重要だ。以下では、NGFS※3とIEAのNet Zeroシナリオをいくつかの指標で比較する。まず図1は両機関が公表するNet Zeroシナリオについて、電源ごとの全世界での発電容量(2050年時点、単位はテラワット=TW=)の予測を比較したものである(左は全電源別の発電容量、右は再生可能エネルギーなどを除いた電源別発電容量)。ここでNGFSの分析結果にGCAM、MESSAGE、REMINDの3種類の数値があるのは、これらがGCAM※4、 MESSAGE ix GLOBIOM※5(以下MESSAGE)、REMIND-MAgPIE※6(以下REMIND)という統合評価モデルの中でも頻繁に使用される3つの分析モデル※7を使っているためである。

この比較を見てもわかるとおり、「2050年にNet Zeroを達成する」というシナリオでも、分析した専門機関や、そこで用いられるモデルごとに予測結果は異なる。
図1 NGFSとIEAの発電容量の比較
図1 NGFSとIEAの発電容量の比較
注:NGFSはNGFS Scenario Data IAM outputs V2.2のNet Zeroシナリオを、World Energy Outlookは2021年版 Tables for Scenario ProjectionsのWorld_Elec_NZEシート(Net Zeroシナリオ)を用いた。

出所:各種資料より三菱総合研究所作成

①電源構成

例えばNGFSがGCAMを用いて分析した結果では2050年の世界における総発電容量は21TWとなっているが、IEAではその1.5倍以上の33TWである。また再生可能エネルギー以外の電源構成を見ると、NGFSの3つのモデルのいずれも石炭や石油はほぼ無くなっているのに対し、IEAではCCUS(二酸化炭素回収・有効利用・貯留技術)を用いる前提で石炭が0.4TW、石油が0.7TW、それぞれ残っている。

②電気自動車等の比率

次に乗用車の電化状況を比較すると、NGFSとIEAでは公表の仕方が異なる。まずNGFSでは乗用車の電気自動車等比率(ハイブリッド、水素を含む)に関するデータをエネルギー消費量(エクサジュール=EJ=)の側面からのみ公開している。これは電気自動車やガソリン車を利用したことでどれだけのエネルギー消費があったかを示しているにすぎず、このデータのみでは台数ベースでの電気自動車比率が何%かを知ることはできない。

そのため本コラムではGCAMの輸送部門に関する説明資料※8に記載されている電気自動車やガソリン車別のエネルギー強度を基にkm単位に変換し、走行距離の比率を電気自動車等比率とした。一方、IEAのNet Zeroシナリオ※9では販売台数ベースの電気自動車等比率が公開されているものの、保有ベースの比率は公開されていない。国別のデータも公開されていない。これらのデータが非公開であると、日本で自動車業界のシナリオ分析を行う場合には困難が生じよう。

比較可能な指標が異なるためNGFSとIEAの直接の比較はできないが、世界全体におけるそれぞれの保有および販売ベースの電気自動車比率を整理したのが図2となる。まずNGFSのシナリオごとに2050年時点での走行距離比率で見た電動化率の予測値を見ると、GCAMではNet Zeroシナリオでも49%にとどまる。最も普及率が高いREMINDのNet Zeroシナリオでは83%、図中には記載していないが日本では91%の高水準となる。REMINDの方が高くなるのは、モデル内に学習効果を含んでおり、新技術の価格が下がりやすいという特性があるためと推察される。

一方IEAの販売ベースでのシェアを見ると、Net Zeroシナリオでは2050年時点ですべての自動車が電気自動車などになっていると想定されている。保有ベースの比率は不明だが、2030年時点でも65%程度に達すると見られることからすればREMINDと同等かそれ以上の電気自動車比率になると考えられる。
図2 NGFS(保有ベース)とWEO(販売ベース)の電気自動車等比率の比較
図2 NGFS(保有ベース)とWEO(販売ベース)の電気自動車等比率の比較
注:NGFSはNGFS Scenario Data IAM outputs V2.2を、World Energy OutlookはNet Zero by 2050 Scenarioの図3-23(Light duty vehicles)を用いた。NGFSのCPはCurrent Policy、Below 2Cは2℃以下シナリオ、NZはNet Zeroシナリオ。MESSAGEではエネルギー消費量ベースでの電気自動車等比率が公開されていない。またGCAM、REMINDともにBEV(Battery Electric)とプラグインハイブリッドの内訳は分類されていない。

出所:各種資料より三菱総合研究所作成
本コラムで比較したのは電源構成と電気自動車等の比率のみであるが、この比較だけでも冒頭で記載したように複数の気候シナリオの特徴を把握しておくことの重要性は理解できよう。一方で、気候変動分析の専門家でない金融機関が詳細な分析の前提条件やモデルの特徴をすべて理解することは極めて困難といえる。

そのため、今後は分析機関によって公表している数値としていない数値は何か、各分析機関が用いる数値の前提はどうなっているかといった点をわかりやすく公開することと、行政などがこれらの数値をまとめ直すことが必要となる。

気候シナリオは「どのような社会が実現されているのか」を反映している

ここでNGFSの3シナリオとWEO 2021(IEA)のシナリオのどちらが正しいかを議論することは必ずしも重要ではないということを強調しておきたい。各機関はそれぞれが妥当と考える前提に基づいて2050年の予測を行っているが、これらの前提のうちどれが正しいかを現時点で確定的に判断することは不可能といえよう。そのため、「2050年にNet Zeroを達成している」シナリオが多数存在することは当然ともいえる。

シナリオを作り上げる過程ではではよく「どのような社会が実現されているのか」という点が重視される。もう少しわかりやすく説明すると、2050年、2100年に実現される社会の構成要素として、電源構成や電気自動車の比率、建物における省エネ設備の普及状況、背景としての消費者トレンドの変化、さらには温室効果ガス削減が国際的に進むような協調体制が整っているか、などといった要素が検討の前提に据えられる。

こうした前提は分析機関によって異なっており※10、また用いるモデルによっても、どの前提を取り込めるかが異なってくる。これが気候変動のシナリオが無数に生まれる背景である。

①異なる気候シナリオをどう戦略に織り込むか

TCFD開示において気候シナリオは戦略の頑強さを説明するために活用されるが、ここまでの説明で、特にシナリオ分析に活用する観点で気候シナリオを見る際の留意点は概観した。TCFD開示ではさらに起こりうるそれぞれの将来について自社のリスク・機会を検討し、戦略の頑強さを説明することが求められる。

気候変動関連の財務情報開示でグローバルに今求められていることは、多様なシナリオに対する理解に加えて企業戦略としていかに気候変動に対応するかの2つである。現時点でTCFDは「4℃シナリオ」と「2℃以下シナリオ」など複数のシナリオを分析することを推奨しているが、一言に「2℃以下シナリオ」といっても、その姿が一様でないことは冒頭に述べたとおりだ。

そのため、想定しうるいくつかのシナリオを基に、抽出した気候関連リスクと機会が自社の事業価値にどのような影響を与えるかを議論して経営戦略に落とし込むことにより、開示企業が具体的な行動をとることが期待されている。こういったプロセスは一見、中期経営計画などの経営戦略策定と開きがあるように見えるが、実は戦略論としては極めて一般的なことを言っているにすぎない。

「Plan B」という言葉は最近よく聞かれるようになってきたが、これは何らかの不測の事態により当初想定していた「Plan A」がうまくいかなかった場合に遂行される代替案のことであり、不確実性が高い環境下(戦争や救出作戦など)では多用される考え方だ。特に不確実性が高い環境下では「Plan B」にとどまらず「Plan C」、「Plan D」を普段から考えておかないと最適な対応を即座に行えないことは明らかだ。こうした考えを長期の自社戦略を検討する上でも活用して、自社の戦略のレジリエンスを高める上で、シナリオ分析は非常に有益な手段であるといえよう。そして、この分析を上手に活用するためにも、背景にある気候シナリオの特性を理解することは意義がある。

②求められる企業側の認識向上と気候シナリオの利便性向上

TCFD提言へ賛同する企業は急拡大を続けているが、シナリオ分析まで実施し開示している企業は必ずしも多くない。金融機関に限らず一般事業会社も含めた分析にはなるが、日本取引所グループが2021年11月に公開した資料※11によれば、2021年3月末時点でTCFDに賛同を表明した上場企業のうち「シナリオに基づく戦略のレジリエンスの説明」を行っている企業は34%にとどまる。

金融機関に絞ってみると、メガバンクはいずれもTCFDリポートを公開して気候シナリオに基づいたシナリオ分析やリスク管理を行っている一方、地銀では資産規模が小さい銀行を中心にいまだ開示が進んでいない。

今後シナリオ分析を含めた気候変動関連の開示を進めていく上では、特に中規模以下の金融機関を中心とした経営層の認知向上・体制整備に加えて、社会全体としての気候シナリオなどの関連データ整備が必要となろう。特にデータ整備について、足元では多くの機関(例えばIEA、DDPP、IRENA、NGFS)がさまざまな気候シナリオを公開している。

一方、NGFSと IEAの比較において述べたように、これらの機関では前提条件や国ごとなど詳細な分析結果一式を公開していないことも多い。一方でリスク管理などに気候シナリオを用いる金融機関としては、顧客のリスクを把握するためにも、どの気候シナリオでは電気自動車比率が何%程度になるか、CCUSの導入比率が何%程度になるか、といった産業構造やコストに直結する前提や分析結果の数値が必要となることは想像に難くない。各分析の信頼性を評価するためにも、利用者側としては分析プロセス内でブラックボックスとなる部分は少ない方が望ましい。

分析結果を公開している機関にとっては、あまりに細かいデータを出してしまうと分析の本意から外れたところでの議論が起こってしまうなどのリスクが想定される。しかし、多くのプレーヤーが利用するようになった局面であるからこそ、きめ細やかなアウトプットの開示やブラックボックスとならないように透明性のある分析プロセスの開示、さらには第三者による再現性の確認などが今後必要となるだろう。

各シナリオの前提条件や国別など詳細な分析結果一式が共有されることで、再現性が高まるだけでなく、開示する企業が実施するシナリオ分析の比較可能性も高まり、開示の質の向上にも貢献することが期待される。

※1:国際エネルギー機関(IEA)や気候変動に関する政府間パネル(IPCC)など。

※2:例えばFuss et al. (以下URL)のFigure 1にあるように、数百の気候シナリオの計算結果を集約し、その中で最も代表性の高いシナリオを同定してRCP(Representative Concentration Pathways)やSSP(Shared Socioeconomic Pathways)というシナリオ群を設定している。
https://www.globalcarbonproject.org/global/pdf/Fuss_2014_Betting%20on%20negative%20emissions.NatureCC.pdf(2022年3月16日閲覧)

※3:IEAやIPPCはエネルギー需給や気候変動の分析を行う一方、NGFSは金融機関のリスク管理のために情報公開をしている点で、若干機関の特性や公表目的が異なっている。

※4:気候モデル部分が詳細に分析可能となっており、24種類の温室効果ガスやオゾン・前駆体などの分析が可能。計算結果では負の排出やCCUSが重視される傾向。

※5:MESSAGEは特にエネルギーシステムについて詳細な分析が可能。土地利用に関する分析を行うモジュールであるGLOBIOMとともに用いられる。

※6:REMINDもMESSAGEと同様エネルギーシステムについて詳細な分析が可能。特徴としては学習効果(learning by doing)がモデルに組み込まれているため、再エネ価格下落が反映されやすく再エネ比率が高くなる傾向にある。MAgPIEはGLOBIOMと同様土地利用に関して分析するモジュール。

※7:いわゆる統合評価モデル(Integrated Assessment Model)。これ以外にはAIM、 IMAGE、WITCHなどのモデルがある。2018年5月15日までに論文として投稿されたシナリオ数を上位から並べるとREMIND(93件)、AIM(90件)、IMAGE(61件)、MESSAGE(58件)、GCAM(47件)の順。“Mitigation Pathways Compatible with 1.5°C in the Context of Sustainable Development - Supplementary Material”, Forster et al., Table 2.SM.8
https://www.ipcc.ch/site/assets/uploads/sites/2/2018/12/2SM_V19_for_web.pdf(2022年3月16日閲覧)

※8:https://escholarship.org/content/qt8nk2c96d/qt8nk2c96d_noSplash_21a4d6e66ec6017be1d0b2b80a599f1a.pdf(2022年3月16日閲覧)
なお、エネルギー強度(MJ/km)は経年で変化する想定となっているが、どのような変化パスをたどったかは確認ができないため初期値のエネルギー強度を用いた。

※9:https://www.iea.org/data-and-statistics/data-product/net-zero-by-2050-scenario(2022年3月16日閲覧)

※10:例えばShellが分析するShell-Sky 1.5というシナリオでは、分析主体の特性上2050年にNet Zeroを実現しているという前提でも使用エネルギーはIEAの約1.5倍、再生可能エネルギー導入比率も40%程度になっており、石化企業にとって比較的都合の良い社会の姿が想定されている。

※11:https://www.jpx.co.jp/corporate/news/news-releases/0090/nlsgeu00000610sr-att/TCFDsurveyJP.pdf(2022年3月16日閲覧)

連載一覧

関連するナレッジ・コラム

関連するセミナー