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外交・安全保障 第9回:日本は「戦後最も厳しく複雑な」環境に直面

安全保障環境を戦後から振り返る

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2023.6.23

フロンティア・テクノロジー本部小久保祐輝

外交・安全保障

POINT

  • 政府は日本の安全保障環境を「戦後最も厳しく複雑」と認識。
  • 冷戦期は力の均衡、冷戦直後は中露のレジームへの取り込みが機能。
  • 現在、冷戦終焉後より現れた新たな脅威が一層顕在化・深刻化。

冷戦期における日本の安全保障環境

2022年12月16日に日本政府が発表した「国家安全保障戦略」では、日本が「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」に直面しているとの認識が示されている。本コラムでは、この「戦後最も厳しく」という部分に着目して、戦後から日本を取り巻く安全保障環境を振り返りながら、その意味を明らかにしていきたい。

第二次世界大戦後の日本は、戦後処理と国家の再建が至上の命題となっていた。そのための国家方針は、「吉田ドクトリン」と呼ばれるものである。具体的には、日本の安全保障・国防は日米同盟を基軸として米国に担ってもらい、日本は軽武装のもと国内の経済復興・経済成長を優先するというものである。1950年代初頭、当時の吉田茂首相は警察予備隊の創設には合意する一方で、米国が提示する日本の再軍備の兵力目標案に否定的な態度を示して、再軍備よりも経済復興を優先する姿勢を示した※1。こうした方針は基本的に、冷戦期を通した日本の安全保障政策の中心となっていく※2

日本が冷戦期にわたって「吉田ドクトリン」を採用し続けられた背景を対外環境から考えると、一つには米ソ両国の核抑止に基づく一種の均衡状態がある。特にソ連のキューバにおけるミサイル基地建造に端を発したキューバ危機(1962年)後、米ソ関係には抑止に基づく安定状態が生まれた。そして、1970年代には米ソの緊張緩和(デタント)が生じることになる。他方で中国についても、1970年代前半の米中接近の動きを契機として、日中の国交は1972年に正常化された。その後の日中関係は、「1972年体制」のもとで20年以上にわたる友好関係を維持することとなる※3。ジョン・ルイス・ギャディスが冷戦を「長い平和」と呼んだように、米ソが直接的に争う戦争は起こらなかった。他方で、朝鮮、ベトナム、アフガニスタンなどで発生した戦争が、日本にとって差し迫った安全保障上の危機となることはなかったといえる。

冷戦終焉後の期待と新たな脅威

1989年の米ソ首脳によるマルタ会談で、冷戦の終結が宣言された。その直後には、共産主義は敗北して、今後の世界では自由民主主義が広がるという楽観的な見方が現れた。ロシアや中国も含めて、現在は政治体制が異なる国でも、将来的には自由民主主義に統合されていくだろうというものである。

1991年には米ソ間で第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)が締結され、両国は保有核弾頭数を大きく減少させることに成功した。中国も1990年代には社会主義市場経済路線のもと、米国などの積極的関与政策もあり国際的な市場経済への統合が進み、2001年の世界貿易機関(WTO)加盟に結実することとなる。中露に対する積極的な関与のもと、両国を国際的な枠組みに取り込むことができていたといえる。

他方で、この時期に北朝鮮による核・ミサイル開発が判明して、日本にとっての新たな脅威となった。1993年、偵察衛星画像から核兵器製造施設とみられる建物が発見された際、北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の特別査察を拒否し、翌月には核兵器不拡散条約(NPT)の脱退を宣言した(第一次核危機)。その後に紆余曲折はあるものの、2006年には第一回核実験が行われることになる。1998年にはテポドン1号が発射され、日本上空を通過した射程の長い弾道ミサイルに対する懸念も大きく高まった。

また中国の国防予算を見ても、1989年度から2015年度まではほぼ毎年二桁の伸び率を記録している。こうした動きが、近年の中国の強大な軍事力に寄与していることが分かる。
図1 中国の国防予算の推移
中国の国防予算の推移
出所:防衛省「令和4年版 防衛白書」
https://www.mod.go.jp/j/press/wp/wp2022/html/n130202000.html#zuhyo01030201(閲覧日:2023年5月29日)

現在の安全保障環境とその評価の変化

そして近年、冷戦直後から続いてきたこうした脅威が一層深刻化・顕在化したと言える。日本政府は、中国による最近の行動を、南シナ海や東シナ海における「現状変更」の試みであるとしている(外務省「外交青書 2022※4」)。また、特にトランプ政権以降、米国も中国に対する脅威認識を明言するようになり、米中対立は経済関係にまで影響を与えるようになった。航空自衛隊の中国に対するスクランブル発進の数(図2)を見ると、それまでにも増加傾向にあったものが2016年度に過去最多851回となり、その後も高い水準を維持している。また同年は、中国とロシアに対する合計のスクランブル数が冷戦時のピーク944回を超えており、その後も複数年このピークを越えている。そして、北朝鮮は核・ミサイル能力を一層向上させており、ロシアはウクライナに軍事侵攻を行い、今も戦争状態が続いている。
図2 冷戦期以降のスクランブルの回数の推移
冷戦期以降のスクランブルの回数の推移
出所:防衛省「令和4年版 防衛白書」
https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2022/html/n310103000.html(閲覧日:2023年5月29日)
2013年版と2022年版の「国家安全保障戦略」を比較すると(表1)、周辺の安全保障環境に対する日本の認識の変化が分かる。中国については、2013年版では、「より積極的かつ協調的な役割を果たすことが期待されている」として、中国との協調関係についての言及が最初にあり、その後に「十分な透明性を欠いた中で」の軍事力の強化が言及されている。他方で2022年版は、最初に「我が国と国際社会の深刻な懸念事項」であると言及し、「これまでにない最大の戦略的な挑戦」として強い脅威であるとの認識を示している。

ロシアについては、2013年版では脅威としての見方は示しておらず、安全保障分野での協力も言及されていたが、2022年版では「安全保障上の強い懸念」と、評価が大きく変化している。また北朝鮮についても、「脅威が質的に深刻化している」という表現から、「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」として、脅威認識が強まっていることが見て取れる。
表1 「国家安全保障戦略」における安全保障環境に対する認識および外交戦略の変化
「国家安全保障戦略」における安全保障環境に対する認識および外交戦略の変化
出所:「国家安全保障戦略」(2013年版、2022年版。概要版を含む)を基に三菱総合研究所作成

「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」とは

冷戦期は米ソの抑止に基づく均衡状態が基調であり、地域における戦争も日本にとっての差し迫った軍事的リスクとはならなかった。冷戦直後には旧共産主義陣営の主要国も国際的な枠組みに参加することで緊張関係は大きく緩和された一方、北朝鮮は核・ミサイル開発に着手し、中国は国防予算を毎年増大させて軍事力を向上させ、日本が新たな脅威に直面する時代に入った。

そして現在、こうした脅威が、日本政府によって「現状変更の動き」と評価される行動に密接につながるようになり、日本周辺の安全保障環境におけるリスクがより深刻化している。「国家安全保障戦略」における「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」という表現には、こうした背景があるのである。
表2 (参考)日本の主な周辺国における出来事(年表)
(参考)日本の主な周辺国における出来事(年表)
出所:各種情報を基に三菱総合研究所作成

※1:五百旗頭真編『戦後日本外交史 第三版補訂版』、有斐閣アルマ、2014年、p.73。

※2:五百旗頭真編『戦後日本外交史 第三版補訂版』、有斐閣アルマ、2014年、p.307。

※3:国文良成『中国政治から見た日中関係』、岩波書店、2017年、終章。

※4:https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2022/html/chapter2_02_02.html(閲覧日:2023年5月29日)

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