コラム

環境・エネルギートピックスエネルギー

進展するASEANの炭素市場(前編)

機運高まる背景と最新動向は?

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2023.11.27

エネルギー・サステナビリティ事業本部野本哲也

環境・エネルギートピックス
東南アジア諸国連合(ASEAN)の脱炭素化の機運が急速に高まっている。脱炭素を契機とした日本とASEANの連携強化の重要性については、MRIマンスリーレビュー2023年6月号でも触れられているが、本コラムではASEAN Center for Energy(ACE)※1に出向中の筆者が、脱炭素化をめぐるASEANの最新動向について、前編と後編の2回にわたって紹介する。

炭素市場は「ボランタリー市場」先行

ASEAN加盟国はパリ協定を履行するにあたり、国家決定貢献(NDC)を通じて気候緩和行動の指針を示し、近年多くの国がネットゼロ目標を打ち出している。また、グローバル企業のサプライチェーン対策や地場企業によるネットゼロ宣誓により、ASEANでの民間企業の脱炭素機運も高まっている。これらの動向を踏まえて、各国政府は、カーボンプライシングや炭素市場形成のための施策検討に着手している。

カーボンプライシングは炭素に価格を付与する施策である。化石燃料を利用するコストを上昇させ、低炭素な代替エネルギーや技術の利用に相対的なコスト競争力を持たせることができる。このような炭素の価格付けを導入させるための政府規制としては、炭素税や排出量取引のルールづくりが検討されている。これら施策の効果として、価格シグナル※2による脱炭素への行動変容のほか、得られた税収が低炭素技術の研究開発や技術導入の資金として充てられることが期待される。

炭素市場は、炭素排出削減の価値を取引する場である。NDC達成を目的とした強制力を有するコンプライアンス市場と、民間企業の脱炭素目標を促進させるボランタリー市場の2種類に大別される。コンプライアンス市場では、政府によって炭素集約型産業の温室効果ガス排出量に課税または制限値(排出枠)設定が行われ、排出削減を促す。また、目標を超過達成した際の余剰排出枠や規制対象の外部で発行される炭素クレジットの取引を認めることで、費用効率的な排出削減が可能となる。一方で、ボランタリー市場では、法的強制力を持たない企業の目標達成のために、炭素クレジットの取引が行われる。

ASEANでは、ボランタリー市場が先行しており、取引の効率化や透明性の向上を目的とした炭素取引所が整備されてきている。炭素取引所では、販売者と購入者が売買交渉を行う「相対取引」、対象プロジェクトへ入札を行う「オークション」、多様なプロジェクトへの取引機会を提供する「マーケットプレイス」などが行われている。

既に4カ国で市場取引が始動

ASEANでは、ボランタリー市場はインドネシア、シンガポール、マレーシア、タイの4カ国、コンプライアンス市場はシンガポールとインドネシアの2カ国で取引が開始されている。

シンガポールは2019年に炭素税を導入しており、現在はトン当たり5シンガポールドル(SGD)の課税水準を、2030年時点で60~80SGDまで引き上げる計画である。課税対象は年間2万5,000トン以上のCO2を排出している施設である。炭素リーケージのリスクを軽減するため、炭素集約型で貿易依存度の高い化学などの産業には一定の税控除が受けられる。また、海外市場からの炭素クレジットを最大5%まで課税控除に使用することが可能で、対象となる炭素クレジットの認証スキームの基準が公表されている。

インドネシアは、炭素税と排出量取引の両方を含む施策を公表した。電力部門では石炭火力を優先分野とした排出量取引制度(ETS)が2023年に開始された。現在は、100メガワット以上の石炭火力のみが対象であるが、その他の火力発電も今後対象とする計画である。導入が2025年に延期された炭素税については当初、トン当たり3万インドネシアルピア(IDR)に設定される予定だ。なお、石炭火力以外の対象部門に関する詳細は未定である。

ボランタリー市場について、シンガポール、マレーシアではVCS※3など国際的な認証スキームによる炭素クレジット取引が開始されている。

一方で、タイでは国内の認証スキームT-VERによる取引を主眼に置いており、直近ではCORSIA排出適格ユニット※4の要求事項を満たすための質の高い認証スキームPremium T-VERが開始されている。インドネシアでは、コンプライアンスとボランタリーの両方の用途を持つ炭素クレジット取引所が開設された。なお、部門や国を超えた炭素クレジット取引については、対象部門のNDC目標を超過達成した場合のみ可能とするルールが規定されている。
図 ASEANにおける炭素市場動向(2023年9月末時点)
ASEANにおける炭素市場動向(2023年9月末時点)
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出所:Word Bank, “Carbon Pricing Dashboard”、UNEP, “Article 6 Pipeline“等を基に三菱総合研究所作成。
https://carbonpricingdashboard.worldbank.org/(閲覧日:2023年11月15日)
https://unepccc.org/article-6-pipeline/(閲覧日:2023年11月15日)

求められる炭素市場の柔軟性

ASEANの炭素市場は黎明期であり、今後もさらなる進展が期待される。現状の特徴は以下の3点である。

①地域的な炭素取引ハブを目指す市場間競争

ASEANでは、既に4カ国で炭素取引所が設立され、取引が開始されている。シンガポールでは、世界で上位の取引シェアを有する「Air Carbon Exchange(ACX)」や官民協力で設立された「Climate Impact X(CIX)」が、国際クレジット取引の地域ハブ的役割を目指している。一方で、炭素取引所同士での連携により、ASEANでの炭素クレジット取引のエコシステムを確立しようとする動きもある。今後、市場参加者が求めるニーズを捉えた炭素取引所へ取引が集中していくことが見込まれる。

②炭素クレジットを協力分野に含む二国間合意の進展

日本ではJCMとして知られる二国間合意による炭素クレジット制度であるが、パリ協定6条の議論に沿って、スイス、シンガポール、韓国なども取り組みを進めている。特に、CCUS(二酸化炭素回収・有効利用・貯留)やCDR(二酸化炭素除去)などの新規分野では、技術・資金提供や炭素クレジット帰属等の相互の便益を勘案した戦略的な協力アプローチが重要になると見込まれる。

③コンプライアンス市場での制度設計の着手

ASEANの炭素市場が進展している要因として、官民の脱炭素化機運の高まりと同時に、EUの炭素国境調整メカニズム(CBAM)をはじめとした外圧への対応が挙げられる。ASEANは世界の生産拠点でもあり、経済発展を阻害することがないように、自国での慎重な対応が検討されている。コンプライアンス市場での炭素クレジット活用は一つの重要な柔軟性措置であり、今後は対象部門に応じた制度設計が進展していく見込みである。

次コラムでは、ASEANにおける代表例として制度設計が進展するインドネシアの動向をケーススタディーとして分析し、そこから得た示唆を基にした対応の方向性について解説する。

※1:エネルギー分野におけるASEAN加盟国の利益を代表するASEAN機構内の政府間組織。

※2:価格によって製品の質や特徴を伝えるもの。炭素市場では、排出削減策の実施を判断するめやすとなる。

※3:VCSは「Verified Carbon Standard」の略。世界で最も広く使用されているクレジットの認証スキーム。

※4:CORSIAは「国際民間航空のためのカーボン・オフセットおよび削減スキーム(Carbon Offsetting and Reduction Scheme for International Aviation)」の略。2021年に運用が開始され、各航空会社には、定められたルールに沿って必要量の排出枠を購入し、オフセットする義務が課されている。義務付けられたオフセット量と同量の排出ユニットを購入して、相殺を行うことが可能。